初めての倉敷で迎える朝。今日はある意味この旅のメインのひとつともいえる、しまなみ海道を渡る日。期待していた青空ではないけれど、どうやら雨はまだ降らなさそう。
今日はちょっとばかり早めの出発。さっと身支度し、ささっと荷物をまとめてから無料の朝食会場へ。色々並ぶおかずの中から選んだのは塩鯖に海苔の佃煮、納豆にミートボール。これが3,000円台の宿泊費に含まれているのだというのだからありがたい。
今回、ようやく初めて訪れることのできた倉敷の街。美観地区は奥深く、ほんのさわりしか見られていない。市域は広く、エリアごとに見どころもたくさん。これは絶対、再訪だな。そんな良からぬ企みを胸に、駅へと向かいます。
ホームで待つことしばし、流れるいい日旅立ちの旋律。今日こそ113系の乗り納めかな。そんなことを考えていると、岡山地区における久々の新車として投入された227系が入線。
それにしても、カメラを買い替えても相変わらず電車の写真下手くそ。自分の芯の部分はがっつり鉄ちゃんなのに、ホームでカメラを構えることに未だ恥じらいを感じてしまうんだもん。しかたない。
人家と田園の織り成す山陽路の車窓を愉しむこと約1時間、尾道に到着。ここに降り立つのも、17年ぶりのこと。あのときとは駅舎もがらりと変わり、駅前もなんとなく記憶があるようなないような。
駅前のロータリーも、あのときよりさらに整備されたんだろうか。そんなことを思いつつ駅を背に国道2号を東進すると、はっきりと見覚えのある商店街が。
生まれて初めて足を踏み入れた広島県、そこで出逢ったアーケード。味わい深い雰囲気に圧倒されたのも束の間、道端で魚を捌き売るおばちゃんの姿にそれは感動したものだった。
そんな情景とともに記憶に残る、重厚感に満ちたこの建物。大正12年に尾道商工会議所として建てられた、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造。築102年を迎えた古老は、商工会議所として建築された鉄筋造りとしては現存する日本最古のものだそう。
坂の街尾道は、その豊かな表情から幾多もの作品のロケ地に選ばれてきたそう。そんな場所のひとつを見たいという相方さんに先導され、国道沿いへ。すると目に飛び込む、不思議な光景。
列車と車の往来する、現役の線路と国道。その護岸と歩道に埋もれるようにして並ぶ、古いお地蔵さんと年季の入った手押しポンプ。水道が普及する前、ここで暮らす人々のライフラインであった井戸。鉄路も道路も寸断できぬ、大切な役目を担ってきたことが伝わるよう。
そうそう、これが見てみたかったんだよ。相方さんが探していた長い長いスロープをもつ跨線橋も無事見つかり、そのまま線路と国道の並走する道をゆくことに。
すると背後から近づく、力強い音。馬力の強さを感じさせる電気機関車、それに追随する貨車の刻む軽いリズム。その背後には、歴史を感じさせる古いお寺。初めてなのに、何故だか郷愁を誘う。そんな情緒に満ちているからこそ、この街でロケをしたくなるのだろう。
国道2号を横断歩道で渡り、列車の通過する迫力をすぐ間近に感じつつさらに先へ。案内板が現れたところで線路をくぐろうと左折すると、その足元を支えるのはレンガと石で造られた橋台。奥はコンクリート造となっており、複線化のため後年増設されたことが判る興味深い眺め。
山陽本線の歴史深さを感じさせるガードをくぐり、『千光寺山ロープウェイ』の山麓駅へ。駅からここまで、景色を眺めながらのんびり15分。時間が許せば、もっと寄り道してもおもしろそう。
ロープウェイは基本的には9時始発、15分間隔での運行。目の前で出発した15分の便は、同じ列車から下車した人々で満員状態。僕らは次の便の先頭になったため、眺めの良い特等席を選び放題。
進行方向後ろ側、展望の開けるであろう街側窓際へ。待つことしばし、ロープウェイは山頂駅へと向け静かに出発。ゆっくりと、しかし確実に標高を上げゆくゴンドラ。みるみるうちに街は小さくなり、それと反比例するかのように存在感を増す尾道水道が。
あっという間の空の旅、3分足らずで山頂駅に到着。駅舎に隣接する展望台へと登れば、この壮大な眺望を一望のもとに。目の前が、これから渡る向島。その手前、川と見紛うほどの狭い水路が瀬戸内海の一部である尾道水道。
ジオラマのような凝縮された情景から右を向けば、思わず息を呑んでしまうこの展望。延々と、見える限りに浮かぶ無数の島々。あの多島美の真っ只中を、これから僕らは進んでゆく。そのことを想うだけで、胸の深い部分が熱をもつ。
前回は、これから自転車で渡るべき島と橋の多さに心配し、ここ千光寺山には登らなかった。でもやっぱり、尾道に来たらこの雄大な景色を見なければもったいない。二十代の宿題を、四十半ばにしてようやく回収。こんな出逢いがあるからこそ、旅を重ねることをやめられない。
山頂から文学のこみちと呼ばれる登山道を下り、山の中腹に位置する千光寺へ。お寺の背後、下山ルートにおける境内の入口に位置するのが鏡岩。上部はノミで円形に削られ、太陽や月、そして同じく境内の玉の岩の宝玉の光を鏡のように映していたとの言い伝えが。
実はこの鏡岩、2000年になってから発見されたそう。来年で開山1220年を迎えるという千光寺。その長い歴史において未だ隠されていたものがあるということに驚き。
巨岩や奇岩を背負うように、絶壁にへばりつくようにして建つ千光寺。お堂と岩盤に挟まれた狭い道を、すり抜けるようにして進みます。
千光寺を開いたという弘法大師の祀られた大師堂の横を進んでゆくと、突如開ける視界。龍宮造りの優美な鐘楼、その背後に横たわる尾道水道。毎年大みそかには、この驚音楼で撞かれる除夜の鐘が尾道の街に響くのだそう。
どことなく異国情緒を感じさせる鐘楼に別れを告げ進んでゆくと、岩肌にくっきりと刻まれた曼荼羅が。この梵字岩は、徳川五代将軍綱吉公のころに彫られたものだそう。
三百余年もの時を経たとは思えぬほど、今なおくっきりと遺された彫刻。その明瞭さに驚いていると、すぐ隣で涼やかな音色を響かせる幾多もの風鈴。もうすぐ真夏日も出て来ようかというこの季節、吹き上る海風にそよぐ硝子の透明感がうつくしい。
そしてこちらが、御本尊である千手観世音菩薩が祀られる本堂。懸造りや舞台造りと呼ばれる、断崖絶壁に張りつくように建つ圧巻の姿。この朱塗りのお堂で、尾道の再訪と初めてお参りできたお礼を伝えます。
本堂にすぐ横に建つ鳥居の先には、くさり山と呼ばれる荒々しい岩山が。この石鎚山には千光寺鎮守である熊野権現と石鎚蔵王権現が祀られており、鎖を伝って登ることもできるそう。
今日は荷物も背負ってるし、まだ先が長いからね。登り口の険しさを見たヘタレな僕は、鎖場への挑戦は次回の宿題にとっておき下山することに。
尾道水道沿いの平地に密集する街を見下ろしつつ、延々と続く坂道を。すると途中には、これまた歴史を感じさせる三重塔が。この天寧寺の塔は、640年ほど前に五重塔として建立されたもの。その後330年ほど前に、傷みの激しい上部二層を撤去し三重として改築されたそう。
本当に、尾道は坂の街だ。平場のほとんどない山の斜面、そこに器用に建つ家々とそれらを結ぶ細い道。進むごとに表情を変え、時間さえ許せば奥へ奥へと行ってみたくなる。
17年前、しまなみサイクリングの起点として訪れた尾道。ちょっとばかり散策し、尾道ラーメンを味わい漕ぎだしたあの日。そのときに比べ、今日はよりこの街を感じることができた。
でもまだまだ、全然足りないな。初めて訪れた千光寺山に宿る豊かな表情に触れ、その奥深さを思い知る。再々訪の予感を密かに胸に秘め、続く階段を海辺へと向け下ってゆくのでした。
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