塩原元湯で迎える静かな朝。窓を染める白さに外を眺めれば、木々も山肌もうっすら雪化粧。ひと晩で結構降ったんだな。そんな冬景色を浴びるため、まだ誰もいない高尾の湯へと向かいます。

凛とした空気のなか、ミルキーなにごり湯に揺蕩う雪見露天。この季節だからこその贅沢に存分に染まり、まだほんのりと温もりの残る布団で余韻に浸る。旅先でしか味わえぬゆったりとした時間の流れに身を任せていると、お待ちかねの朝食の時間に。
飲泉もできるこちらのお宿、朝食の温泉粥が名物なのだそう。もちろん僕もと、一杯目はお粥をいただきます。まずは何もかけずにひと口。あれ?昨日飲泉したときのあの渋味、苦味がどこにもない。
とろっとろに炊かれたお粥は、お米の甘さがふわっと広がる穏やかさ。だがしかし、それだけではない奥行きのある味わいが確かに感じられる。それこそが、源泉の成分によるものなのだろう。つづいてしっとりとした自家製ゆかりをかければ、ずっと口へと運んでいたいと思える至福の味わいに。
お粥のおいしさにおかわりはどうしようかと悩みましたが、そこはやっぱり白いご飯。焼鮭に切干大根、葉唐辛子やわらびといったおかずに、どんどんご飯が進みます。

おいしいおかずにご飯を味わっていると、これまた熱々の大根のそぼろ煮が。大根の良さを残しつつ、じゅんわりとちょうど良い塩梅に柔らかく。しっかりと含んだ上品な薄味のおだしが、お腹とこころを温めてゆく。

結局お粥1杯にご飯2杯を平らげ、ぱんぱんになったお腹を抱えて自室へ。敷きっぱなしの布団で、のんべんだらりと怠惰に身を委ねる。そんな甘美にとろとろと微睡み、こころの赴くままにふたたび湯屋へ。

今日一日、足の向くまま気の向くまま。連泊の悦びを噛みしめつつ湯船へと近づけば、湯面一面にうっすらと張った薄い膜。成分の濃さが伝わる光景に、さらに嬉しくなってしまう。

昨日よりも一段と熱めになった内湯でさっと体を温め、つづいて赤川沿いの露天へ。穏やかなミルキーな浴感ながら、しっかりと芯まで温まるにごり湯。そんなうぐいす色の贅沢に抱かれ眺める冬の空からは、はらはらと舞いおりてくる白い雪。

雪見露天で近づきつつある冬を出迎え、ほくほくに温まったところで湯上がりの至福を。キンキンに冷えた瓶ビール、そのお供にとお昼用に買っておいたお菓子を開けます。
宇都宮の駅ビルのお土産屋さんでいろいろと目移りするなか、今回選んだのは本橋製菓の昔ながらのいちごあんドーナツ。栃木といえばのいちご、それもとちあいかの文字に魅かれて購入。
結論から言いましょう。これ、本当に激うま。50年にわたり、あんドーナツを専門に作りつづけてきたというこの会社。甘すぎず素朴な風合いをもつ生地はしっとりとくちどけがよく、まさに歴史に裏打ちされた味わい。
そんな生地に包まれているのは、いちごピューレが練り込まれた白あん。こしあんのほっくり感にいちごの爽やかな甘酸っぱさが活き、ぷつぷつと感じる種もまた食べていて愉しくなる。

全体的にほどよい甘さで、いちごのみずみずしさすら感じられる。そんな手作り感ある豊かなドーナツを、ビールとともに温かい室内でのんびり齧る。連泊がもたらす時間とこころのゆとりを知ってしまうと、もう後戻りなどできるはずもない。

地元の名菓に満たされ、ビールの余韻に誘われ微睡む午後。ふと目覚めれば、そろそろ宝の湯が開く時間。その湯の良さは昨晩確認済みなので楽しみにしつつ浴場へと向かえば、なんともうれしい一番風呂。
この宿のもつ3本の自家源泉は、すべて自然湧出。そのなかでもこの宝の湯は間欠泉で、しばらく浸かっていると湯口からどぼどぼと源泉があふれてくる。その分湯温調節が難しく熱いときは加水するよう書かれていますが、滞在中はいつも適温に保たれていました。

小さめのひのき風呂に満たされた、濃厚なにごり湯。香りも浴感ももちろんのこと、浴室の床一面を覆う析出物がその濃さをもの語る。まろやかな浴感を肌に感じ、硫黄の香に満たされ湯の創りだす文様に目を細める。本当に、これは泊まらなければ味わえない贅沢だ。

静かで深く豊かな時間は粉雪のように風に乗り、どこかへとふっと去ってしまった。愉しい時間とは、儚きもの。山の湯宿には夜の闇が忍び寄り、まもなくそれがモノクロームという色彩すら奪ってゆく。

高尾の湯で夕刻から夜への移ろいを噛みしめ、自室でごろごろすることしばし。今宵もおいしそうな夕食がお部屋へと運ばれてきます。
今夜のお刺身は、僕の大好物の岩魚。淡白ながら濃い旨味を宿しており、ひと切れごとに栃木の酒をぐいっといきたくなる。日光名物の湯波刺しは見てのとおりの分厚さで、とろりと濃密な豆の風味が堪らない。
熱々の炊き合わせは、海老や鶏団子に里芋、野菜を包んだ稲荷巻き。上品なおだしがじゅわっと染みており、昨日の濃口の筑前煮とは好対照の旨さ。その下は、さっぱりとぽん酢でいただく白身魚のちり蒸し。しめじとこんにゃく、さつまいもの白和えもやさしい味わいで、グラスがどんどん進みます。
山の湯宿といえばの焼魚、今宵は鮎を塩焼きで。凝縮感あるほくほくの身からは、ふわっと香る鮎ならではの風味。ロースとばら二種類の豚しゃぶは、しっとりとした身質に宿る赤身の旨味、白身の甘味。豚好きには堪らない食べ比べを愉しみます。
いやぁ、今夜も旨かった。そんなひとり宴の〆は、だしのきいた真丈のお吸い物と白いご飯で。添えられたたまり漬けがまたおいしく、これだけでご飯がどんどん進む。結局おひつを全部平らげ、レアチーズケーキで仕上げて大満足の夕餉を終えます。

あとはもう、残された夜をお酒とともに揺蕩うのみ。そんな静かな時間のお供にと開けるのは、大田原は渡邉酒造の旭興純米吟醸。ひと口含めばフルーティーな甘酸っぱさが広がり、そこからさっと酸味や辛味が来てふわっと広がり消えてゆく。

これまで出逢ったものとは表情の異なる味わいに、また新たに知った栃木の酒の奥深さ。これだから、旅することをやめられない。そんな野州の恵みを肌へも受け取るべく、静けさに包まれた夜の高尾の湯へ。
昼間は雪の舞っていた空も、夜にはすっかり月が見えるように。川音を聴きながら月明かりに染まる雪見露天を愉しみ、湯けむりの立ち込める内湯で熱めの源泉と対峙する。鼻腔に毛穴にと沁みてゆく硫黄の香りが、塩原での想い出として刻まれる。

肌から香る湯の香に目を細め、つづいてのお供を開けることに。佐野の第一酒造が醸す、開華純米吟醸。するりとした飲み口とともに、酸味から甘味、日本酒らしい酒感が開いて流れてゆく。あらためて、栃木には旨い酒がたくさんあるんだと思い知る。

そんな静かな宴を一層味わい深いものにしてくれるのが、今井屋の田舎まんぢう。部屋の注文票に書いてあり気になっていたので、連泊のお茶菓子として渡されたときには思わず小躍りしてしまった。
これがまた、旨いのなんの。昨日の温泉まんぢうとはある意味好対照。ほっくほくとした粒あんは、極限とも思えるほど甘さ控えめ。しっかりと豆感の残るあんを包むのは、しょう油の薫るしっとりとした生地。絶妙な甘じょっぱさに、自ずと笑みがこぼれてくる。

昨晩に残しておいた農民ロッソに切り替え、ちびりちびりと噛みしめる静かな時間。そろそろお酒も尽きるし、最後にひとっ風呂浴びて寝ることにしよう。
今日一日、高尾の湯に宝の湯と湯めぐりを愉しんだ元泉館。その〆にと選んだのは、一番濃厚さを感じさせる邯鄲の湯。荒々しい岩肌を見据え、温かい湯に肩まで沈む。深呼吸すれば、胸いっぱいに広がる硫黄の香り。こんな時間が、ずっとずっと続いてくれたなら。
ミルキーないで湯に抱かれ、そんな贅沢を浮かべてみる。それが決して叶わぬ願いだと知っているからこそ、この瞬間瞬間を大切に噛みしめたい。静かに湯の流される邯鄲の湯に染まり、そんな儚い夢を想うのでした。



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