八甲田に抱かれ迎える朝。窓から漏れるぼんやりとした明るさに起こされ外を眺めれば、全てが凍てつくような青白き世界。本当に、冬の酸ヶ湯はうつくしい。
凛とした空気に背中を押され、静けさに包まれる千人風呂へ。朝の人の少ない時間、もうもうと立ちこめる湯けむりのなか乳白の湯と戯れる。これを至福と言わずして何と言えよう。泊った者のみが許される贅沢にどっぷりと身を委ね、空っぽになったお腹を抱えて朝食会場へと向かいます。
夕食は旅館棟と湯治棟で違いがありますが、朝食は食堂で同じメニュー。ずらりと並ぶ和洋の品々から、好みのものを選びます。青森といえばのねぶた漬けやしそ巻き梅、ピリ辛が旨い南蛮味噌に高菜と、どれも白いご飯が進むものばかり。〆にたっぷりの納豆ご飯を平らげ、大満足で自室へと戻ります。
ぱんぱんのお腹を抱えて帰る道すがら見つけた、圧巻のポスター。ずらりと並ぶりんごは100種類、さすがは青森としか言いようがない。ですが帰宅後調べてみると、県の試験場ではこの3倍もの品種が育てられているそう。本当に、青森はりんごの王国だ。
こんな小さな発見を愉しめるのも、連泊というゆとりがあればこそ。湯治棟に戻れば早くもチェックアウト後の部屋のお掃除が始まり、そんななか浴衣でぷらぷら歩くこの瞬間が堪らなく愛おしい。
気の向くまま、部屋と湯屋を往復する。そんなゆるやかな時間に揺蕩っていると、あっという間にもうお昼どき。今日も併設された鬼面庵に向かい、大好物の酸ヶ湯そばを食べることに。
昨日に引き続き、今回も期間限定メニューだという舞茸天そばを注文。大ぶりな舞茸の天ぷらは揚げたてで、おつゆから出ている部分はさっくりと、そして浸ったところはじゅんわりとしたふくよかな味わいに。
甘味のないすっきりとした焼き干しのおつゆ、そこに天ぷらのコクが加わり深まる味わい。ほろほろとほどける魅惑の食感のそばを啜れば、ほっくりとした穏やかな旨さが舌のみならずこころにまで広がってゆく。
本当に、津軽のそばは胸に沁みる。この地でしか味わえぬ、唯一無二の優しい旨さ。そのまろやかな余韻に浸っていると、窓をぱっと照らす明るさが。すぐさますりガラスを開け放てば、雲間から顔を覗かせる一瞬の晴れ間。白と青の鮮烈な対比に、日々のあれこれが漂白されてゆく。
爽快な冬の青空も束の間に、再び酸ヶ湯を包む雪の舞い。湯上りの火照りを帯びた喉に赤星を流せば、しばれる空気すらも悦びへと昇華する。
それにしても、今年は本当に雪が多い模様。12月半ばでこの積雪なのだから、厳冬期には一体どれほどまで積もるのだろうか。我々のような観光客はこれを求めてやってくるのだから気楽なものだが、この地で暮らす人々の大変さは想像すらつかない。
サッポロラガーを飲み干し、畳の上にごろりと転がる。することもなく、ただぼんやりとその肌触りを噛みしめる。やはり僕には、定期的にこうした木造の宿に身を置く時間が必要だ。
ひとから見れば、何が楽しいのか解らないかもしれない。でも僕は、今最高にこの穏やかな時間を愉しんでいる。そんな静かな至福は儚いもので、あっという間に2度目の夕暮れ。玉の湯で洗髪し、夕食の時間を待ちわびます。
酸ヶ湯のお湯に浸かると、なぜか心地よい空腹感が訪れる。17時半を過ぎたところで、足取り軽く食堂へと向かいます。
じんわりとした優しい旨さの山菜の炒め煮、こりっとした食感と磯の香りが嬉しいつぶのめかぶ和え。目鯛の塩焼きはほっくりとた滋味が詰まり、大ぶりのローストビーフにはしっかりとした赤身の味わいが。
旨い品々片手に地酒が進んだところで、日替わりの大鍋を。今夜はきのこ鍋。たっぷりのきのこから染み出た旨味、それを邪魔しない上品な味付け。豆腐やしらたきがそれらをまとい、これまた心身をじんわり温める最高の善きつまみ。
そして〆には、やっぱり白いご飯。大好物の水だこのお刺身をワンバウンドさせ、じわりと広がる旨味とともにご飯をぱくり。やっぱり水だこは、酒にもいいがご飯が最高の相棒だ。
今宵も大満足の夕餉に満たされ、ほくほく顔で帰る自室への道。昭和の雰囲気を感じさせる玄関棟、そこから湯治棟へと繋がる一号館は現代風にリニューアル。
ねぶたロビーと名付けられた、ベンチや自販機の並ぶ一画。その壁には、目を見張るほどのうつくしさを放つステンドグラスが。その迫力が見事に再現されたねぶた絵に、冬だというのに津軽の熱さが胸へと吹き込む。
半年後には、またあの熱さに逢いに来なければ。そんな決意にも似た想いを胸に灯し、今宵のお供を開けることに。まずは八戸酒類の醸す三戸のどんべりを。
八戸の八鶴工場と五戸、ふたつの工場をもつ八戸酒類。五戸工場で造られた五戸のどんべりはすっきりとした飲み口のにごり酒であるのに対し、八鶴工場の三戸のどんべりはかなりの濃厚さ。その密度はまるでおかゆのよう。
しっかりとお米の甘味があり、それでいてしつこさはない。後を引くにごり酒ならではの旨さに、四合瓶を自宅用にお土産として買って帰ったのは言うまでもありません。
ぽってりとしたどんべりの旨さに満たされ、気が向いたら千人風呂へ。にごり酒の余韻のなか、白い湯けむりと青白き湯に抱かれる。そんな幾多もの白さに染められ歩く、湯上りの道。
ふと呼ばれるように、夜の静かな御鷹々々サロンへ。日中は日帰り客で賑わう空間も、この時間はひっそりと。外は氷点下とは思えぬ暖かさ、それ以上にこころを温めるふんだんに使われた木の重厚感。
サロンの不思議な名前の由来となっているのが、棟方志功の描いたこの御鷹々々図。見る者をきりりと射すくめる鋭い眼光、息遣いを感じさせるような躍動感。普段全く絵画に触れることのない僕でも、この屏風絵から伝わる力強さに圧倒されてしまう。
そしてこの部屋にも、艶やかな色彩美を魅せるステンドグラスが。雪が融け草花の萌ゆる春、厳しい冬を前にその年最後の輝きに燃える一面の紅葉。八甲田の春と秋の豊かさが、この一枚に込められている。
その隣には、凝縮された青森の夏。大勢の跳人に導かれ夜闇を舞うねぶたの勇壮さ、その祭りの最後を彩る花火の儚さ。津軽の短い夏に宿る熱量が、光を通して胸を染めてゆく。
春夏秋と季節は移ろい迎える、雪に閉ざされる冬。豪雪の地八甲田、樹氷にスキーと眠っていた白銀への憧れが呼び起こされる。
毎年この宿に逗留したという棟方志功の絵の力強さと、彼を魅了したであろう青森の四季折々の豊かな表情。湯上りだけではない火照りを持ち帰り、ひとり静かに宴の続きを。
続いて開けるのは、大鰐のサンマモルワイナリー第2工場の津軽ワインホワイトスチューベン。昨日の赤に引き続き、青森産ぶどうを全量使用したという贅沢な一本。
湯呑に注いでみると、まずその琥珀色に驚く。深い色味に誘われひと口含めば、ふわっと広がる果実味。酸味は穏やかで、ぶどう感はしっかりあるのに甘くない。ドライだけれどフルーティーな味わいは、これまで出逢ったことのない新たな旨さ。
昼間に一瞬覗いた青空は幻なのか、到着後から延々と降り続く雪。凛とした津軽の冬を感じさせる白ワインが、その静かなる荘厳さを一層深めてくれる。
暑い夏には熱い地へ、寒い季節には銀世界へ。せっかく春夏秋冬のある国に生まれた以上、それを愉しまないともったいない。
子どもの頃と比べ、明らかに様子が変化しつつある日本の四季。こうして味わえる豊かな表情も永遠ではないと、今この瞬間の清冽さを改めて眼にこころに刻むのでした。
2024.12 青森
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