みんなチェックアウトし、静かな宿に流れる穏やかな時間。帰ることを気にせず、ゆったりとお湯を愉しめる。連泊だからこそのこのゆとりを一度知ってしまうと、もう後戻りなどできるはずがない。
身を包むシルキーな肌触りと、鼻をくすぐる硫黄の香。ゆらゆらと絶えず表情を変える湯面を無心で見つめれば、いつしかお湯と自分、現実と夢想の境すら溶けだしてしまいそう。
怠惰、ただひたすらに怠惰。食べて浸かって転がって。そして禁断の湯上りの刺激を喉に感じるひととき。こんな甘美な怠惰に昼前から身を委ねるなんて、これ以上幸せなことはないとすら思えてしまう。
空は抜けるように青く、耳には絶えず届く川の音。未だ積雪残る谷底を流れるのは、鬼怒川の源流。そうとは思えぬほどのすらりとした川幅を、澄んだ水が滔々と流れてゆきます。
静かで穏やかな時間に揺蕩っていると、あっという間にもうお昼の時間。連泊の場合は朝食時にお願いすると、昼食のおそばを用意してくれます。
今日選んだのは、山菜そば。しゃきしゃきの山菜とつるりとしたなめこがたっぷりと載せられ、そばは黒くがっつりとした太麺。甘じょっぱいおつゆを交えつつ、食べ応えあるそばをわしわしと平らげます。
お昼を食べ、ごろ寝したりお風呂へ行ったり。そんなことを繰り返していたら、あっという間にもう夕刻に。愉しい時間というものは、何故こうも瞬く間に過ぎ去ってしまうのか。毎度のことながら、同じ1分1秒とは思えぬ時の速さに首を傾げます。
夕暮れ時の内湯で頭を流し、汗が引いたところで夕食会場へ。食卓には今夜もおいしそうな品々が並びます。まずは惣誉片手に、ヒラタケやしゃきしゃきのわらびのお浸しから。鱒はカルパッチョにされ、しっとりとした身質をシンプルに塩とオリーブオイルで味わいます。
昨日は塩焼きで味わった岩魚は、今夜はからあげで。サックサクに揚げられており、頭からしっぽまで全部食べられます。豚の蒸籠蒸しは脂が甘く、熱々のビーフシチューはしっかりと煮込まれとろとろに。最後はご飯で〆て、今夜も満腹になってしまいました。
パンパンになったお腹を落ち着けたところで、今宵の供を開けることに。日光市は渡邊佐平商店の日光誉をちびりとやります。しっかりとした旨味や酸味の中、ピリッと感じるビターな味わいが印象的なおいしいお酒。
何となく気が向き窓辺へと近づけば、ライトアップされた滝と柱状節理。全ての色を失い灯りの色一色に染めあげられた木々や岩肌と漆黒の夜空の対比は、まさに幻想的のひと言。
灯りに照らされ、より艶やかさを増す白濁の湯。ゆらゆらとした艶めきからは、その滑らかさが手に取るように伝わるよう。
いつまでも、ずっとこうして揺蕩っていたい。関東最後の秘境と言われるこの地に身を委ね、身も心もすっかり溶けきってしまったようだ。今は何も考えず、この至福に埋もれていたい。肌を包む温もりに抱かれ、静かな夜の波間へと落ちてゆくのでした。
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