湯上がりに、風に吹かれてぼんやり過ごす甘美なひととき。そんな贅沢に揺蕩っていると日は翳りはじめ、もう間もなく夕食の時間に。
料亭を営む大館の会社が運営しているという、現在の日景温泉。そのためご飯がおいしいらしく、旅立ち前から楽しみにしていました。
個室の食事処に通され、まずは前菜から。蓬豆腐は風味が濃く、なめらかな口溶けとともに清々しさが広がります。鴨香味焼きは柔らかジューシーで旨味が濃く、コクのある青唐辛子味噌の乗せられた蛇腹胡瓜は夏らしいおいしさ。
枝豆蓮根揚げは豆のほっくりとした風味とれんこんの甘さが引き立ち、豚肉煮凝りはさっぱりとした中に込められた豚の赤身の旨味が印象的。ばい貝の旨煮も貝の旨味を活かすちょうど良い塩梅で、これまた地酒を誘います。
カマス鮭南蛮漬けはほんのりと梅が香り、魚の旨さを華やかに引き立てる。豆のほっくり感がしっかりと活かされたうすい豆ムースには白桃のジュレが掛けれられ、味の組み合わせの妙にしてやられる。
お隣青森の名産である嶽きみの冷製スープは、嶽きみをそのまま飲んでいるかのような濃厚さ。クリーミーな中にほんのりととうもろこし感が残され、嶽きみの良い部分をこれでもかと凝縮したまさに逸品。
ふるふるとした茶碗蒸しは、上品な蟹餡かけで。てっきりしょっぱいものだと思い込み食べてみれば、出た!忘れたころに秋田青森で出会う甘いやつ。ですがその甘さは控えめで、蟹餡かけとのバランスも違和感なし。銀杏の代わりの栗の甘露煮を頬張れば、北東北へ来たという実感がいよいよ漲ってくる。
今回は通常プランにちょっとプラスし、飲み比べプランを予約。さすがは酒処秋田、3種どれも旨い酒。さらに地酒をおいしくしてくれるのが、木の温もり溢れるおちょこ。軽く優しい口当たりに、空から見た秋田の美林が甦る。
続いて、しっかり冷たい状態で運ばれてきたお造りを。カツオたたきはふわっとした香ばしさが赤身を彩り、もっちりと滋味深いひらめは合わせられたねぎと相性ばっちり。甘酢でマリネされたつまがまたおいしく、この宿のこだわりが見えるよう。
焼き立て熱々を運ばれてきた、鮎の塩焼き。肉厚の鮎は驚くほどふっくらと焼かれ、ほとばしるジューシーな脂とふんわりとした身の豊かな香りが堪らない。内臓もコクがあり、これはこれまで食べた鮎の中でもかなり好み。
おいしい品々に舌鼓を打っていると、続いて湯気の上がる国産牛モモ肉の竹筒蒸しが。モモ肉らしいぎゅっと詰まった赤身の旨味、巻かれた水菜のしゃきしゃき感。ぽん酢、柚子胡椒、ごまだれと、3種の味を食べ比べできるのも嬉しいところ。
お食事には、秋田名物のきりたんぽ鍋。濃すぎず、それでいてしっかりとしょう油の香るつゆに、じんわりと染み出た具材の旨さ。その溢れんばかりの滋味をもっちり粒つぶのきりたんぽが吸い、口いっぱいに秋田の豊かさが溢れ出す。
もうすっかり満腹ですが、やはり食べたい白いご飯。米どころ秋田らしく、艶々もっちりしっかり甘い。いぶりがっこやきりたんぽのおつゆとともに頬張れば、日本人で良かったとそう素直に思えてくる。
さすがは料理屋さんが手掛けるだけあり、どれも本当においしいものばかり。食後の余韻に浸っていると、デザートのコーヒーのブランマンジェが。甘さ控えめのブランマンジェに、コーヒー豆の甘苦さがいいアクセント。
いやぁ、本当に旨かった。大満足の夕餉を終え、そのまま部屋に戻らずちょっとばかりの館内さんぽへ。
時を重ねた天井が温もりある輝きを放つ玄関。昔懐かしい公衆電話のサインが、この宿の経てきた歴史を滲ませる。
高い天井が開放的なラウンジには、自由に楽しめるコーヒーや紅茶、アイスキャンデー。館内には無料のマッサージチェアやワーケーションルーム、図書室に卓球などパブリックスペースも充実。ここで連泊したら・・・。またそんな妄想が頭をよぎる。
電化前の陣場駅は、矢立峠越えのための蒸気機関車が控える基地として賑わっていたそう。今ではその面影はありませんが、かつては駅からここまでの路線バスも走っていたそう。
ずらりと飾られた、この宿の歩んできた歴史を刻む白黒写真。造られたものではない、本物の昭和レトロに眼もこころも奪われる。
さらにはこんなモダンな雰囲気のバーまで。モノクロームから滲む、かつての賑わい。今では秘湯の一軒宿といった雰囲気ですが、昔はある種リゾートのような位置づけだったのかもしれない。
中房温泉や喜至楼でも感じましたが、娯楽が少なく旅も気軽に行けない時代、温泉場はそれは特別な場所だったことでしょう。豪華な施設と良い湯で迎え、郷土の味で客をもてなす。形は変われど、昔から大切に遺されてきた旅館文化はいつまでも在り続けてほしい。
一度消えかけた火をなんとか繋ぎ、復活を遂げた日景温泉。白黒写真に残された宿の歴史に思いを馳せ、こうして宿泊できることの悦びを噛みしめる。そんな夜には秋田市の有名どころ、高清水の辛口が合う。秋田らしいきりりとした生貯蔵酒が、喉から胸へと沁みてゆく。
すっきり辛口の本醸造に合わせるのは、お茶菓子として置かれていた大館のお菓子屋さん、煉屋菓子舗のミニバナナ。創業以来90年以上も愛され続ける、地元の銘菓なのだそう。
なぜ雪国の大館でバナナ?そんな無粋なことは考えず、小ぶりな最中をひと口ぱくり。皮はいい意味でしっとりと柔らかく、最中にありがちなもっさり感のない口溶けの良さ。
中にはバナナ風味の白あんがぎっしりと込められ、甘酸っぱい爽やかな風味が鼻へと抜けてゆく。そして東北らしい、ガツンとした甘さ。うん、これこれ。甘いもんで酒が呑めるようになってからが一人前だ。
高清水をちびりと味わい、気が向いたら再び湯屋へ。今日は宿泊客が少なめなので、空いていれば2回目以降も貸切風呂を使っていいですよ。チェックイン時にそう言われたため、遠慮なく内風呂のめんけ湯っこへ。
以前からこの宿にあり続けるという、歴史ある小さな湯船。浴槽の縁や床には温泉成分が白く沈着し、その濃さを物語るよう。掛け流されるのは、昔からあるぬるめの源泉。まろやかでありながら包み込まれるような力のある浴感に、ひとり静かに対峙する。
毛穴という毛穴から硫黄の香る、至福の湯上り。そんな甘い時間のお供にと、今度は湯沢市は秋田銘醸の美酒爛漫、萌稲缶一穂積を開けることに。自社田で栽培されたお米を使い醸された、すっきりとした中に甘味や酸味を感じるおいしいお酒。
周囲に何もない、文字通りの一軒宿で過ごす夜。大浴場の寝湯でぬるめのお湯に身を委ね、露天を満たす強烈湯で湯力を浴び。そんな静かなる贅沢に揺蕩い、秋田杉に埋もれた漆黒の夜は更けてゆくのでした。
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