霧にかすむ地獄のぞきで現世離れした空気感に圧倒され、いよいよ長い道のりを下ることに。日本寺は山頂エリアから鋸山の裾野へと広がっているため、境内を歩く場合はロープウェーを利用し下山してゆくルートがおすすめ。
山頂エリアから石段を下りはじめると、程なくして岩盤のくぼみに並ぶたくさんの石仏が。ここから先は羅漢エリアと名付けられており、千五百体もの羅漢像が安置されているそう。
霧の立ち込める人気もない山中、雨粒の音を聞きながら突然現れた石仏群と対峙する。そんな印象的な始まり方をした千五百羅漢道を進んでゆくと、そこには明らかな手掘りの跡が残された洞門が。
緑に苔むす隙間をすり抜け振り返れば、黒々とした岩盤にぽっかりを口を開ける空への道。二天門、通天閣と呼ばれるこの隧道は、修行の一環として造られたものなのでしょうか。
仏教に詳しくないため分かりませんが、房総に点在するという手掘り隧道の文化はこんなところから広がっていったのかもしれない。交通好きとしてそんな妄想をしつつ進んでゆくと、霧は一段とその濃密さを増し得も言われぬ独特な空気感が漂うように。
木の葉に滴る雨の音、霧を吸い込み吐く己の呼吸。すれ違う参拝者もほとんどなく、そこにあるのは鋸山を形作る圧倒的な岩の存在と無数に連なる石仏のみ。
当初はあいにくの天候に少々残念な気持ちをぬぐい切れなかったものの、この幻想的な世界観に身を置けば何とも言えぬ不思議な感覚が芽生えてくる。
人気のないひっそりとした参道、自然と修行の跡の綯い交ぜになった世界。普段ほとんど宗教というものを意識せずに暮らしている僕でも、鋸山に刻まれた永きに渡る念のようなものを感じずにはいられない。
それはこの天候からくる心細さによるものなのか、それとも自然と融合した石仏群が醸す独特な空気感からくるものなのか。その理由は分からないけれど、うまく説明のできない、強いて言うならば畏れのような感情が湧いてくる。
きっとそれは、古の人々もそう感じたに違いない。巨大な岩盤の放つ威厳ある存在感、それを隠すように繁る濃い緑。自然の織り成す造形に、きっと何かしらの力を感じたことだろう。
今日このタイミングだからこその荘厳さに抱かれつつ進んでゆくと、小さな隧道を発見。下山の道のりからは外れますが、ちょっと寄り道してみることに。
腰をかがめて背の低い隧道を通り抜け、石段を登り切って振り返る。そこには覆いかぶさるような岩盤が迫り、その重圧感はかなりのもの。これが自然の造形なのか人の手によるものなのかは分かりませんが、実際の迫力は写真では伝えられないほど。
奥の院無漏窟とよばれる、奥に仏像の安置された半洞窟状の空間。房州石の独特な風合いと石仏の共演は、日本寺境内に常に横たわる統一された世界観。
無漏とは、仏教用語で煩悩がない状態のことだそう。そんな概念を可視化したかのような無機質の世界観に別れを告げ、振り返れば視界を染める生ける木々の瑞々しい色合い。雨に濡れる緑のなか一本だけ紛れる色づきはじめの木が、何となく心の中に安堵というものをもたらしてくれるよう。
木々の放つ生気と下界の近さの予感に励まされ、もうひと踏ん張りと一歩一歩歩みを進めます。山頂駅から延々石段が続いているため、すでにふくらはぎはプルプル。でもこんな見事な岩盤の造形を目の当たりにすれば、そんな疲れなど吹き飛んでしまう。
地獄のぞきから千五百羅漢道を延々歩き、まもなく羅漢エリアを抜けようとするところに小さな不動滝が。ここまでくれば、大仏さんまではあと少し。
山肌にへばりつくように進む参道を辿ってゆくと、視界がぱっと開け木々の合間からは遠くにかすむ保田の町と海岸線が。ロープウェーの中腹以来久しぶりに眺める地上の人の営みに、思わずほっと胸をなでおろす。
西国観音から続いた岩盤と石仏の共演も、この護摩窟が最後。風雨によるものか人の力か、見上げるほどの切り立つ岩壁に刻まれた無数の造形には圧倒されるばかり。
鋸山に抱かれる日本寺ならではの空気感に包まれた羅漢エリアを抜け、大仏口からは参道に合流し慣れ親しんだお寺の雰囲気に。
道はゆるやかな坂に転じたものの、その反動か一気に実感する脚への疲労。ふくらはぎピクピク、ひざカクカク。そんな僕を励ましてくれる、雨に打たれ可憐に揺れるあざみの花。
ロープウェーの山頂駅から境内の見どころを結んで歩くこと約1時間半、ついに大仏様とご対面。この薬師瑠璃光如来像は、坐像の石仏としては日本一の高さだそう。
鎌倉の大仏様の2倍以上もの高さを誇る日本寺大仏。もとは240年前に岩から彫り出された磨崖仏ですが、その後の崩壊を経て44年前に復元されたものだそう。鋸山の一部である岩盤を背負い凛と座る姿は、自然と信仰が一体化したこの地ならではの印象的な光景。
穏やかな表情をした大仏様にこの地を訪れることのできたお礼を伝え、駅を目指して下山の途に就くことに。御本尊の祀られた薬師本堂を過ぎると、源頼朝公が植えたとされる大蘇鉄が。樹齢800年を超えるといわれる立派な蘇鉄は、霧に煙る鋸山を背負いその威風を一層強めるかのよう。
頭を隠す鋸山にこれまで辿った道中を重ね、達成感と心地よい疲労に包まれつつ先へと進みます。するとすれ違った方から、雨の中ご苦労さまですとの声掛けが。山中にある日本寺は、15時が最終入場。管理所を閉めた係の方だと気づき、駅を目指して少しばかり歩みを速めます。
草書体の心を模した心字池を過ぎ、木々の緑と朱塗りの対比が美しい仁王門をくぐります。掲げられた扁額には、日本寺の山号である乾坤山の文字が。この字を見て、あの宮城の旨さを思い出す。やっぱり僕は、煩悩だらけだ。
仁王門から続くこの石段が表参道であり、保田駅方面から山頂を目指すのが本来の順路と言えそう。ですが登りでロープウェーの力を借りなければ、きっと本当に修行の様相を呈するに違いない。
霧に包まれる幽玄の世界で此岸と彼岸の間を感じ、自然と人々の信仰の跡の織り成す唯一無二の世界観に圧倒されつつ下界まで。そんな今回の行程の逆を辿れば、また違った想いを抱かせてくれるだろう。
当初あいにくだと思われた雨の中、初めて訪れた日本寺。そこで出逢えたのは、この季節この天候だからこその幻想的な実体験。雨に打たれ元気に歩く沢がにの姿に、やっぱり来て正解だったとひとり静かにしみじみと噛みしめるのでした。
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