2年半ぶりとなる海峡の女王との再会を果たし、切なくも温かい気持ちを抱きつついざ船内へ。繋がれた搭乗橋は違えど、かつて北の大地を目指した人々が同じように吸い込まれていったこの乗船口。函館へは行かないとはいえ、僕も同じ道を辿れると思うだけで感慨深い。
船内へと入ると、往時の面影を感じさせるロビー。その一画には、就航当時の船内配置の描かれた客室案内図が。定員1,330名。それぞれの想いを載せ、長きに渡り青函航路を往来してきました。
ロビーの一画に展示された飾り毛布。松竹梅や日の出といった花や自然を模して折りあげられた毛布は、日本船独自の文化なのだそう。先輩から後輩へと受け継がれた、まさに船乗りの美意識そのもの。
遊歩甲板へと上り、昭和の世界にタイムスリップしたかのような青函ワールドへ。古き良き青森の情緒に触れたところで、次の展示へと進みます。その途中、区画を仕切る重厚な防火とびらが。動く巨大な建造物。鉄道にはない、船ならではの独特な空気感。
それでもやはり、船内に漂う国鉄の香り。重厚な赤い椅子の並ぶグリーン指定席には、どことなく国鉄車両にも似た面影が宿ります。
ゆったりとした掛け心地の椅子に座って船窓を眺めれば、今にも函館に向けて出港しそう。海上の資料館として改造されている八甲田丸ですが、往時の船旅の空気感を感じられる貴重な一画。
もしもこの船で北海道へと渡れたら。そんな妄想を掻き立てるような当時の空気を胸いっぱいに吸い込み、先へと進みます。途中には、今は亡きあのあおもり駅。あぁ、切ない。やっぱりちゃんと、お別れしたかった。
安全性や速達性、快適性を追求しつつ、どことなく無骨さを感じさせる国鉄の造り。使い込まれた木製の扉の取っ手やラッチに宿る無骨さに、何となく国鉄らしさを感じてしまう。
桟敷席や椅子席がメインだった青函連絡船ですが、5室だけ設けられた寝台室も。浴衣や壁に取り付けられたプレートのフォントに、やはり鉄道会社の香りを感じる。
往時の面影をしのばせる洗面台やソファー。余分な華美さはないが、上級船室として必要十分。国鉄型グリーン車にも似た、独特な重厚感に包まれます。
寝台室の先には、船長室や事務長室が残されています。レールの敷かれていない大海原、特に荒れることも多い津軽海峡を渡る連絡船において、船長の背負う重責は計り知れないものであったことでしょう。
船長室に隣接する、重厚感漂うサロン会議室。航行当時は、一体どのような話しをここでしていたのだろうか。
さらに一つ上の階へと上り、航海甲板へ。大きく視界の開けた操舵室には、レーダーや通信、制御など様々な役割を持った数多くの装置が並びます。
その後ろには、地上との唯一の連絡手段である無線通信室。一度離岸したら、3時間50分は海の上。現役当時はここで様々なやり取りが行われていたことでしょう。
ブリッジから望む青い海。今日のような穏やかな日もあれば、荒れ狂うような嵐の日も。定員1,330名の乗客、そして乗員や抱き込む車輌を安全に送り届けるという重たい使命を背負い、緊張感に包まれつつこの光景を眺めていたのだろう。
明治期から昭和末期まで、80年にも渡り本州と北海道を結ぶ大動脈として行き交い続けた青函連絡船。その重厚な歴史に触れる旅は、まだまだ続きます。
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