4月中旬、僕は再び新宿駅に立っていた。年度末からの忙しい日々を抜け、ようやくほっと一息つけるこの時期。こうしてまた旅立つことのできる悦びを、今日までのその忙しさがより一層深めてくれるよう。
ちょうど一年前の今の時期、僕はある意味どん底にいた。自分なりに楽しさと手ごたえを感じていた仕事を取り上げられ、辞令ひとつでまた元の職場へ。すっかり忘れてしまった仕事に加え、立場も変わり求められるものも違ってしまった。
あのときは、本当に辛かったなぁ。そんな風に過去形で回想できるようになるなんて、一年前の自分には到底考えられなかった。久々に味わった現場での年度またぎのバタバタを終え、悔しいけれど何となく清々しい気持ちで一番搾りを喉へと流します。
なんだかんだ言って、やっぱり僕は電車が好きなんだな。バブルの雰囲気を今に残すスペーシアの絶妙な豪華さに、僕の眠っていた童心が甦りゆくのを感じます。
HiSEにRSE、SVOや重厚感あるグランドひかり・・・。あの頃に生まれた名車たちは、独特な煌びやかさを纏っていた。今乗っている東武100系スペーシアも、そんなバブルの申し子のひとり。
JRに対抗し、普通車ながらグリーン車並みのシートピッチとフットレスト。品の良さを感じさせる豪華な内装と共に、現代ではもう造ることのできない優美さに溢れた傑作車輌だと僕は思う。
だめだ。久々に再会したスペーシアとの逢瀬に、発車前から異様な高揚感に包まれてしまった。そんな僕を乗せたスペーシアきぬがわ号は、鬼怒川温泉を目指して定刻に新宿駅を発車。もう飽きるほど目にしてきた大ガードの街並みも、スペーシアから眺めればいつもと違った景色に映る。
今日は明けで3時半起き。襲い来る空腹に待ちきれず、早速旅のお供である駅弁を開けることに。今回選んだのは、日本ばし大増の政宗公御膳。伊達政宗公の生誕450年を記念して設立されたプロジェクトが企画や開発に協力したものだそう。
ふたを開ければ、お品書きの下から現れるおいしそうなおかずの数々。一番上は、仙台味噌を使用した鮭味噌漬焼。北国の魚である鮭と仙台味噌の相性は言わずもがな、魚の旨味と味噌のコクが豊かに広がります。
右隣は、帆立のかぴたん漬け。かぴたんとはキャプテン(船長)を意味するそうで、欧州から渡来したいわゆる南蛮漬けのことなのだそう。大ぶりのほたてに絡む甘酢が食欲をそそります。
その下は牛肉の野菜巻。日本で初めて料理書に牛肉が登場したという仙台藩にちなみ、ハイカラさを感じさせる甘辛い旨さ。さらにその下には、伊達家発祥の地である福島の郷土の味いかにんじん。2か月前の福島路の記憶が甦ります。
ひとつ飛ばして左側には、じゃこ天・岩出山凍み豆腐の煮物。じゃこ天の本場である伊予宇和島藩の初代藩主は、政宗公の長男だったそう。父子のゆかりの地それぞれの名品を炊き合わせ。薄味で炊かれたおいしさは、歴史好きなら更に味わい深く感じることでしょう。
その上は、かつて伊達家の一門が治めていたという岩手産の大豆を使った豆腐の田楽。しっかりと食感と豆の風味が詰まった豆腐に甘めの味噌がよく絡みます。その右上には、欧州に使節を送ったことに因んでスパニッシュオムレツが。優しい卵の中に宿る洋の雰囲気を楽しめます。
そして中央には、米どころ宮城のおいしいご飯。白ご飯には梅干しが載せられシンプルに、炊き込みは三陸名物のはらこ飯で鮭の身といくらの旨さをもちもちのご飯と共に味わえます。
最後に名物のずんだ団子とチョコレートケーキで〆て、お腹も心も大満足。ちなみにこのチョコレートも、日本人として初めてチョコレートを口にしたという遣欧使節団に因んだものだそう。
最近仙台にも行けてないなぁ。そんなことを思いつつ伊達家ゆかりの味の数々に舌鼓を打っていると、急に空が開けたかと思えば列車は荒川を渡り東京脱出。何度味わってもこの瞬間、ゾクゾクする。そんな僕の心を知ってか、荒川も空を映し淡い青さを帯びています。
2か月ぶりに駆ける埼玉の大地。そのときは枯色に覆われていた土手や畑も、今日は春の優しい彩りに。そんな春旅を一層愉しくしてくれるのが、井筒ワイン。塩尻産のメルローで造られた赤ワインは、心地よい酸味と共に心へと爽やかさを連れて来てくれるよう。
今日乗車しているのは、JR新宿駅発の特急スペーシアきぬがわ号。何せこれから向かうは秘境の地。いつもは浅草や北千住から東武特急に乗車しますが、時間の都合とはいえ直通特急への初乗車が叶いました。
日光詣での足として、かつて熾烈な火花を散らしていた国鉄と東武鉄道。それがまさか直通の特急が走るなんて。この列車が誕生した時、それは驚いたことを今でも鮮明に覚えています。
新宿や池袋で黄色い西武と並び、湘南新宿ラインの鉄路を踏みしめ栗橋まで。そしていよいよ乗務員も交代し、起動後すぐに惰行でゆっくり、ゆっくりとJRから東武の線路へと渡ってゆきます。
会社が違えば、動力源である電気も別。デッドセクションと呼ばれるこの区間を渡るときには、モーターのみならず照明や空調すらOFFにし惰性のみで入線します。
ここからは、先々月も通った見慣れた車窓。とはいえ、田畑は緑に覆われ2か月という時間がもたらす季節の移り変わりを感じずにはいられない。
この上なく穏やかな車窓を眺めていると、大河坂東太郎の横っ腹を彩る一面の菜の花が。淡い。今日の色合いは、どこまでも淡い。関東の春というものの優しさを凝縮したかのような光景に、自分の心が浮足立つのを手に取るように感じます。
枯色や銀世界の冬旅も良いけれど、パステルに心躍る春旅もまた最高のひとこと。そういえば、この時期に旅したのなんてどれくらいぶりだろうか。そんなことを考えているうちに山並みも近くなり、広大な関東平野の終わりを感じさせるように。
ついに鉄路は平野に別れを告げ、車窓の大部分を山が占めるように。常緑の深緑、木々の淡い萌黄色。その合間にふんわりと漂う、桜の淡さ。萌えている。東京ではすでに桜は散ってしまった時期ですが、この瞬間、ここはまさに萌えている。
この前は銀嶺の輝きを見せていた日光連山も、頂上にほんの少しだけ雪を残すのみ。黒々とした山影と、大谷川の河川敷を包むパステルの色彩。その対比に、同じ関東と言えども自分の住む街東京との季節の差を感じます。
単線となった線路をゆっくりと進むスペーシア。ガタン、ゴトン。と近づく鉄橋の音に車窓を見れば、鬼怒川の刻む谷の山肌の随所随所に彩りを与える桜の木。華やかな並木も良いけれど、木々に交じって咲く姿は自然豊かな山まで来ないと見られない美しさ。
いつもの新宿駅から発ち、かつての犬猿の仲であった線路の繋がりを実感し。大好きなスペーシアに身を任せてのゆったりとした列車旅は、あっという間にもうまもなく終点に。
リバティのように新しさはないけれど、今の若い人から見れば少々古く見えるかもしれないけれど。でもやっぱり、この時代の新型は僕にとっての鉄道への憧れの原風景。
どこへ行くかも大切だけど、どうやって行くかもとても大事。物心ついたころから交通を愛する者として、この感覚はいつまでも胸に抱いていたい。本当に大好きな列車に揺られ、自分の原点を今一度再確認するのでした。
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