2月中旬、僕は丸の内駅前広場に立っていた。今年もこうして、ここから旅立てる。空の青さと重厚な赤レンガの鮮烈な対比に目を細め、その悦びをひとり静かに噛みしめずにはいられない。
これから向かうは、久しぶりの宿泊となる秋田県。きっと彼の地は、白銀に染まってくれているだろう。そんな僕の期待を映す白いボディーに、さっと茜さすE6系。この優美な流線形は、何度見ても惚れ惚れする。
こまち号は秋田へと向け、定刻通りに東京を出発。多国語が飛び交う雑多な活気に満ちる車内とはうらはらに、音もなく粛々と流れゆくビジネス街。そんな灰色の東京に別れを告げ、金星で至福の祝杯を。
休みの関係で、3連休初日が出発日となった今回の旅。近年の状況で己の感覚が鈍ってしまったのか、それとも以前にも増して混雑しているのか。特に今日の東京駅の混沌具合はものすごく、お弁当を買って待合室にいただけでちょっとばかりぼろぼろに。
あぁ、またあの東京が戻ってきたか。仕事柄ありがたくもあり、でもそこで生きる身としては切なくもあり。そんな複雑な心境は土手の手前に置き去りにし、荒川を越えて無事東京脱出。
今日はいつもより少し遅めの新幹線だったので、もう空腹は絶好調。埼玉県入りを合図に、お待ちかねの駅弁を開けることに。今回は、三沢の三咲羽やが調製する青森のぜいたく弁当を購入。
こちらのお店はお弁当や仕出しのほか回転寿司店も営んでいるようで、このお弁当もにぎりずしがメイン。蓋を開ければ艶やかなにぎりがずらりと並び、食べる前から期待が膨らみます。
青森の誇るふたつのブランド魚を、それぞれ趣向を凝らした2種の味付けで。まずは鮮やかな色をしたサーモンから。津軽海峡の冷たい荒波にもまれて育った海峡サーモンは、鱒の好ましい部分を凝縮したかのようなしっかりとした身質と旨さが印象的。
上の2貫にはクリームチーズとオニオンが挟まれ、玉ねぎの食感と絶妙な風味が相性ピッタリ。下の2貫はマヨネーズと茎わさびが乗せられ、程よい油分のコクをさっぱりさせる辛みがよいアクセントに。
右側には、本州最北端のさばの漁場である八戸沖で獲れた八戸前沖鯖が。〆すぎず、ゆるすぎず。さばの質感をうまく残した塩梅の〆具合が、その見た目からも伝わるよう。
まずは下の特製ピリ辛ダレの方を。〆すぎないからこその身の食感と、しっかりと残された豊かな脂の旨味。主張しすぎずのたれがまたちょうど良く、さばの旨さをしっかりと愉しめます。
そして一番のお気に入りとなったのが、田子産にんにくみそ乗せ。さばの良さを充分に残した絶妙な〆鯖に、華やかな香りと辛味を添える田子のにんにく。それらを味噌のコクがなかよく結び、ちょっとこれは駅弁とは思えぬ嬉しい旨さ。
4種のにぎりだけでも満足なのに、さらに充実感を誘うのがこだわりの副菜たち。青森県産鶏の唐揚げはふっくらジューシーで、八戸前沖鯖の竜田揚げはある意味これが一番正解なのではと思えてしまうほっくりとしたふくよかな旨さ。
これまた八戸前沖鯖と三沢産のごぼうを巻いた昆布巻きは、それらの旨味を吸った肉厚で柔らかな昆布がまた絶品。同じく三沢産のごぼう漬けはじゃきっとした歯触りと歯切れの良さが心地よく、噛むほどに広がる大地の芳香が堪らない。
実はこれ、大混雑の駅弁屋祭で揉みくちゃにされ半ば勢いで選んだお弁当。見たことないし、これからしばらく山にこもるし。そんなふうにエイヤっ!と手に取ってみたら大当たり。この一折で、現地のお店でランチを食べたような満足感。ワンカップではなく、小瓶にすればよかった。
お弁当に込められた青森の恵みに舌鼓を打ち、その余韻を高清水で流しているといつしか車窓には山並みが。白い雪をかぶった那須岳が見えれば、関東脱出まであと少し。
塩原、那須湯本、甲子、二岐。想い出のいで湯を抱える那須岳を見送り、こまち号は東北入り。北に向け320㎞/hで流れる車窓には、今度は岳の湯の湧く安達太良山が。
関東を抜け、速度を緩めることなく疾走を続けるE6系。すぐさま吾妻連峰が車窓美を引き継ぎ、あの山懐で浸かった土湯、高湯、白布のぬくもりが懐かしい。
吾妻連峰の見守る福島の盆地を抜け、長いトンネルを抜ければ宮城県へ。すぐさま雄大な蔵王山が姿を現し、青根や鎌先での旅の記憶が甦るよう。
東北一の大都市仙台で多くの乗客を降ろし、少しばかりの落ち着きを取り戻し北上を続けるこまち号。古川を過ぎると栗駒山が見え、我が身に強烈な変化を与える須川の湯が恋しくなる。
奥羽の山々に刻んできた記憶に旅を重ねることの悦びを噛みしめていると、雄大に裾野を広げる岩手山が。南部片富士と呼ばれる特徴的な稜線を辿ってゆけば、これから向かう秋田駒の銀嶺が。
こまち号は盛岡で伴走してきたはやぶさ号と別れ、短い7両編成となり単独で田沢湖線へ。これまで日本最速の時速320キロで疾走してきた車両が、一転して田んぼの中の単線へ。このあっと思わせる場面転換こそが、新在直通ミニ新幹線の醍醐味のひとつ。
ちょっと今年は、びっくりだな。福島、宮城はまだしも、岩手に入っても雪がない。厳冬期の東北とは思えぬ枯色に驚いていると、奥羽山脈へと近づくにつれ段々と積雪が。
先ほどまでの韋駄天ぶりとは打って変わって、曲線を器用にこなしつつ地道に勾配へと挑み続けるE6系。いつしか車窓は山深さを増し、いよいよ日本の背骨が近いことが感じられるように。
狭い谷を川と絡み合いながらじりじり登ってゆく田沢湖線も、ついに行く手を阻む山に突き当り仙岩トンネルへ。長い闇を抜け谷底を見下ろせば、川の流れが逆となりいよいよ日本海側へとやって来たという実感が。
登った分を取り返すように、再び器用に谷を縫って人里目指し下り続けるこまち号。もう間もなく、幾多もの秘湯への玄関口である田沢湖へ。
これから始まる、乳頭で過ごす静かな日々。5年ぶりとなるあの温泉郷との対面を目前に、到着のときを今か今かと待ちわびるのでした。
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