八幡平の懐に抱かれ迎える、静かな朝。それにしても窓を閉め、冷房なしで快適に寝られるとは。曇天ということもあろうが、8月上旬の一番暑いであろう時期でこの涼しさ。久しぶりに寝汗に邪魔されず熟睡でき、すっきりとした心もちで大浴場へと向かいます。
まだ誰もいない大きな湯屋で、オナメモトメの泥と戯れる。朝から贅沢な時間を存分に噛みしめ、自室のベッドでのんべんだらり。そんな甘美な怠惰に溺れていると、お待ちかねの朝食の時間に。
昨日と同じ席に着くと、おいしそうな品々がずらり。ご飯やお味噌汁、納豆にいぶりがっこなどは好みに合わせ自分で持ってくるスタイル。
真ん中のセロハンに包まれているのは、鮭と豚のちゃんちゃん焼き風。ちょっと甘めの優しい味噌が、ほっかほかのあきたこまちにぴったり。ぜんまいの炒め煮やピリ辛な肉味噌といったおかずもおいしく、そしてやっぱりいぶりがっこがあきたこまちの最強の友。
やばい、これはがっつりおかわり確定だな。おいしいおかずとともに秋田の米の旨さを味わっていると、奥のせいろから湯気が。板長手作りだという、季節替わりの自家製焼売。蒸したてあつあつ、ふわっふわの食感のなかに嬉しい根曲がり竹のしゃきこり感。
そしてこれまた沁みるのが、山菜たっぷりのお味噌汁。地元鹿角は花輪の福寿という味噌を使っているそうで、その穏やかな味わい深さに味噌好きとしては堪らぬ多幸感に包まれる。
羽釜炊きのご飯を結局がっつり3杯平らげ、デザートにはもっちもちの岩泉ヨーグルトを。それに合わせるのは、これまた花輪のとしま農園の高原りんごジュース。鹿角産りんごを100%使用しているそうで、とろりとした口当たりと蜜のような甘さに思わず目を丸くする。
朝から鹿角の恵みにたっぷり満たされ、ベッドで落ちゆく甘い微睡み。うとうとだらだらと揺蕩っていると、お腹も落ち着きふたたびお風呂へ。
この宿には7つの湯めぐりのできる大浴場のほか、旅館宿泊者専用のぶなの湯が。小浴場とされてはいますが、4~5人は余裕で入れる大きさ。木造りの浴槽には、たっぷりと掛け流される後生掛の湯。大浴場と同じくオナメ・モトメの湯ながら、温度調整の関係からかまた違った浴感に。
これがすこぶる心地よく、ずっと浸かっていたいと思えてしまう。しかしそこは我慢。肌を通して長湯厳禁であることを訴えてくる湯力に、ほどよくほぐされたところであがることに。
心身の芯からほっくほく、そんな湯上がりに嬉しい山の風。網戸から吹き込む涼やかさは、扇風機すらいらないほど。ひとの生きられる温度に身を置ける悦びを、ソファーに横たわりしみじみと噛みしめます。
浸かっては涼み、浸かっては微睡み。そんなゆるやかな至福に身を委ねていると、あっという間にお昼どき。フロントの奥に併設されたごしょカフェへと向かい昼食をとることに。
13年前に立ち寄ったときは、ここは山の宿らしい雰囲気の食堂だったな。あのときは、あの窓辺に座っておばちゃんおすすめの舞茸丼を食べたんだよな。すっかりおしゃれな空間に生まれ変わったカフェで懐かしい記憶を辿っていると、注文したGosho-Cafe薬膳カレーが運ばれてきます。
肉感のあるキーマカレーはほどよいスパイシーさのなかに甘味を感じ、ときおりふわっと訪れる東洋の香りが食欲を刺激する。それを受けとめる十六穀米ももっちりと味わい深く、添えられた温玉を崩せばまろやかさの広がる一体感ある味わいに。
芋の味わいを活かしたシンプルなポテサラにはいぶりがっこが混ぜ込まれ、自家製のチーズケーキが濃厚でこれまた美味。甘さ控えめのざくろソーダですっきりと余韻を流し、大満足で自室へと戻ります。
午後もひたすら愉しむ、自室と湯屋の往復。湯浴みを繰り返すごとに、凝り固まった日々のあれこれが抜けてゆく。
そんな軽やかな湯上がりに味わうのは、弘前のホテルでもらったシャイニーアップルジュース。しっかりとした濃厚な味わいのなかに、紅玉の酸味が光る赤のねぶた缶。秋田に青森と旅の足跡をたどる飲み比べに、あらためてりんごの魅力をを思い知る。
愉しい時間というものは、本当に儚いもの。音もなくあっという間に刻は過ぎゆき、もう夕方に。夕食前にと大浴場へ向かい、後生掛の湯や泥にこころゆくまで包まれます。
そして迎えた、夕餉の時間。今夜も食卓にはおいしそうな品が並んでいます。さっそく地酒を頼み、まずは前菜から。白身の滋味をさっぱりと彩る南蛮漬け、磯の香る煮さざえ。ベビーほたてのグラタンはまろやかな味わいで、優しい味付けのいんげん油炒めがまた旨い。
続いて運ばれてきたのは、炙り金目鯛と帆立のお造り。金目の皮目の香ばしさ、しっとりと甘いほたて。そんな海の幸にも、鹿角の酒は合ってくれる。
そしてやっぱり山の湯宿に来たら食べたい、川魚。あゆの塩焼きとお品書きにあり期待はしていたが、頬張ってみればなんとも嬉しい子持ち。清々しい香りの漂うほっくりとした身、ほろりとほぐれる滋味あふれる卵。熱々とともに広がるおいしさに、もう口が悦んで仕方がない。
今夜の鍋ものは、豚みそ鍋。ごまの香る穏やかな味付けの味噌つゆが、豚の甘さをぐいっと引き立ててくれる。そんなおいしいおつゆは、〆のご飯のときにとっておこう。
豚好きには堪らぬ旨さをはふはふ味わっていると、さらに2品が。ほっくりねっとりの里芋揚げ出しは、つるりとした食感が嬉しいじゅんさい入り。合わせられた大ぶりのほたても凝縮感あるおいしさで、おろしとおだしの共演にひと口、もうひと口とお箸が進む。
熱した陶板で焼くのは、和牛と八幡平ポークの食べ比べ。サシの入った和牛の豊かな味わいもさることながら、それにも負けぬ八幡平ポークの底力。しっとりとした赤身、ぶりんと甘い白身。やっぱ僕は、豚っ喰いだ。
おいしい品々とともに地酒も平らげ、曲げわっぱを開けることに。中から現れたのは、鮭きのこ御飯。しみじみとした滋味あふれる旨さに、秋の訪れが待ち遠しくなる。
〆のデザートにと運ばれてきたのは、揚げたて熱々のごま団子。香ばしいごまをまとったもっちりとした団子、その中にはとろりとした黒ごま餡。久しぶりに味わったその旨さに、子どもの頃好物だったことを思い出す。
お湯良し、味良し、居心地良し。もっと早く泊まりに来ればよかった。
すっかり後生掛けの魅力に染まり、満たされた気持ちで過ごす食後のひととき。そんな時間のお供にと開けるのは、湯沢の木村酒造が醸す純米芳香辛口福小町。その名のとおりするりとキレのある中に感じる、心地よい甘味や酸味が旨い酒。
あぁ、豊かな滞在だった。そんな夜を〆るのは、地元鹿角のチトセザカリ。この純米吟醸桃色は、大潟村の美郷錦を能代の桜の木から培養した秋田美桜酵母で醸したもの。
とろりとした甘さに漂う、ほどよい酸味。飲み口しっかりながら、甘ったるさや重さはない。昨日から3本飲み比べたが、チトセザカリの表情の豊かさには驚かされた。
はじめて出逢えた鹿角の酒の旨さ、そして大地の力に染まる夜。後生掛の湯は、本当に不思議だ。pH3.02と酸性ながら、肌がぼろぼろになるどころかもっちりすべすべに。そしてなにより、きめ細やかな泥をまとう得も言われぬ心地よさ。すっかりその感触に惚れてしまい、滞在中何度も猗窩座模様になってしまった。
土色の変わったにごり湯だな。その程度の感想しか持たなかった、13年前の自分を叱ってやりたい。いや、でもその後数々のお湯と出逢ってきたからこそ、この湯の持つ力を感じられるようになったのか。
オナメ・モトメの湯にすっかり心酔してしまい、今回の滞在では名物のオンドルは体験できなかった。なかば確信犯的に残した宿題に、次はどの季節に再訪しようかとよからぬ妄想が捗ってしまう。
温泉という、大地から噴き出す地球の体液。耳障りの良い表現ではないかもしれないが、あのとき目の当たりにした泥火山の姿からはそんな言葉がしっくりくる。肌も疲れもこころも再生させる湯力を身をもって実感し、お湯とお酒に揺蕩う夜は静かに更けてゆくのでした。
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