めくるめく感動海遊 ~西行き航路が呼んでいる 7・8日目 ③~ | 旅は未知連れ酔わな酒

めくるめく感動海遊 ~西行き航路が呼んでいる 7・8日目 ③~

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアムから望む小さなオリーブ林と香川の長閑な情景 旅行記

四国をはじめとするさまざまな場所から集められた、古き良き建物。そのあまりの濃密さに圧倒されつつ進み、ここでようやく折り返し地点。四国村の一番高い場所にある灯台退息所の建ち並ぶエリアから坂を下ってゆくと、オリーブの木々越しには長閑な香川の情景が。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム高知県梼原町からやってきた楮蒸し小屋
西日に染まる道にちょっとばかりの感傷を抱いていると、木々の下ぽつんと佇む茅葺が。大正末期から昭和初期にかけて建てられたというこの楮蒸し小屋は、高知は梼原町から移築されたもの。山間の寒い地域のため、外壁も断熱効果の高い茅が用いられています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム楮蒸し小屋の内部
その名のとおり、この小屋は和紙の原料となるこうぞを蒸すための場所。四国の山間ではこうぞやみつまたの栽培が盛んで、古くから地域を支える重要な産業として和紙作りが行われてきました。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム徳島は剣山中腹から移築された下木家住宅
その先には、江戸時代後期建築の下木家住宅が。この古民家が建っていたのは徳島の剣山中腹、標高1,000mに位置する一宇という集落。積雪が多い土地のため、雪が落ちるよう屋根の勾配が急になっていることが特徴だそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム徳島は剣山中腹から移築された下木家住宅室内には目を見張るほどの立派な梁が
経てきた年月が色味として宿る室内を見てみれば、目を見張るほどの立派な梁。現代では手に入らないようなその太さも圧巻ですが、自然の曲がりを活かしつつこうして今なおしっかりと建ち続ける当時の大工仕事に圧倒されてしまう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム一宇にあったものを再現した添水唐臼の小屋
より深さを増した森をすすむ小径を歩いてゆくと、これまたぽつりと現れる小さな茅葺。しばらく時間がたつと、その方向からうっすらとドスンという音が聞こえてきます。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム一宇にあったものを再現した添水唐臼
この添水唐臼は、同じく一宇に70年ほど前まで残されていたものを再現したもの。巨大なししおどしが設けられ、その先端の石臼で穀物を搗ける構造となっています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム青石と呼ばれる板状の石で造られた一宇村の猪垣
これまで土塀、石積みと見てきた猪垣ですが、一宇の地では地元で採れる石で造られていたそう。この青石は板状に割れやすいという性質をもっており、こうして見てもその特性がよく伝わってくる。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム久米通賢旧宅
ここまでさまざまな建物を見てきましたが、ここでひときわ大きなお屋敷が。東かがわ市から移築されたこの古民家は、江戸時代の科学者の旧宅だそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム久米通賢旧宅立派なお屋敷の内部
ここに住んでいた久米通賢は、坂出を日本屈指の塩の生産地として成長させた塩田の父。そのほかにも大砲やピストル、扇風機といった発明も手掛け、移築時に屋根裏からは大砲の鋳型の原型も見つかったそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム祖谷から移築された中石家住宅
すぐ近くには、徳島の祖谷から移築された中石家の建物群。江戸中期から後期に建てられたそうで、土壁を風雨から守るため割った竹で覆った蓑壁が印象的。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム祖谷から移築された中石家住宅寒い地域のため各部屋に囲炉裏が設けられている
去年初めて訪れることのできた祖谷。自分がこれまで思っていた四国というものは、一体何だったのか。そう圧倒されるほど山深く寒さも厳しいため、各部屋には囲炉裏が切られています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム祖谷から移築された中石家住宅隠居屋
母屋の隣に建つのは、長男が結婚した後に両親が移り住む隠居屋。お年寄りに配慮し、母屋に比べ敷居が低く建てられています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム祖谷から移築された中石家住宅隠居屋室内
母屋と同じような造りになっていますが、規模はやや小さめ。室内も格式が低く造られており、これはこの地に古くから伝わってきた隠居制度の影響によるものだそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム祖谷から移築された中石家住宅納屋
母屋を挟んで反対側には、農機具や農産物をしまっておいたという納屋が。平地のまったくないといってもいいような祖谷、その斜面に設けられたわずかな平場にこれらの建物が一列に並んで建っていたそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム祖谷から移築された中石家住宅納屋土地の段差を活かし半地下となった部分を活かした牛舎
遠目には平屋に見えるこの納屋ですが、奥には建っていた土地の段差を活かした半地下の空間が。ここでは、農地を耕すための貴重な財産である牛が飼われていたそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム古民家の基礎土台石が使われた染が滝
平家落人の里での暮らしに思いを馳せていると、その先からは涼やかな水音が。幾多もの白い筋を描く染が滝は、かつて古民家の基礎として使われていた土台石によって組まれています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵
人々の暮らしを支えつづけた石までをも、この地で活かす。そんな四国村の世界観に感銘を受けつつ、さらに坂を下り村奥と名付けられたエリアへ。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵の前にずらりと並べられた醤油壺
しょうゆの産地として名高い香川県。ここに移築されている醤油蔵は、小豆島とならび有名な引田にあったもの。その前には、かつて使われていたであろう醤油壺がずらりと並べられています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵仕込蔵に展示された木の仕込桶
明治生まれの仕込蔵には、しょうゆ造りに使われた道具の展示が。酒と同じくしょうゆもかつては木桶で仕込んでおり、収蔵している木桶のなかには江戸時代に作られたものもあるそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵さらに古い江戸時代築の仕込蔵
その隣には、さらに古い江戸時代に建てられたという仕込蔵が。鈍い色をした瓦の大屋根がすらりと深く落ち込む姿は、何ともいえぬうつくしさ。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵さらに古い江戸時代築の仕込蔵に展示された押槽
こちらの内部にも、さまざまな道具が。もろみを入れた袋を詰め、てこの原理を利用ししょうゆを絞る押槽。その圧搾作業は10日ほどにもおよんだそうで、流れ出たしょうゆは手前の土間に埋められた甕に貯められました。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵さらに古い江戸時代築の仕込蔵に展示された陶器の醬油瓶
手間暇かけて醸造されたしょうゆはガラスや陶器の瓶、木の樽に詰められて出荷。こうして見ると、相当な銘柄があったことが分かります。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム醬油蔵さらに古い江戸時代築の仕込蔵に展示された麹室
その奥に位置するのが、しょうゆ造りの命ともいえる麹室。麹づくりには温度管理が重要となるため、四方を分厚い土壁で囲い火を焚いたり天窓を開けたりして室温を保ったそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム茨城県稲田産の花崗岩を使用した小豆島の石蔵
しょうゆや味噌、そして納豆に酒。僕の大好物を生む発酵醸造の歴史に触れ、いよいよ最後のエリアへ。小豆島から移築されたこの蔵は、大正4年に公債を保管する目的で建てられたもの。遠く茨城県は稲田より花崗岩を取り寄せ、金庫のような頑丈な造りとしています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム地元屋島神社の参道沿いにあった大正8年築の消防屯所
その隣には、なんとも渋い佇まいの消防屯所。大正8年にこの近くの屋島神社参道沿いに建てられたものだそうで、消防団の縮小により維持が困難となりこの地へと移築されました。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム旧護衛空母しまね丸のマストを利用した警鐘台
その隣に建つ独特な形をした警鐘台は、香川の旧志度町で使われていたもの。終戦の年に神戸で建造され、疎開していた志度湾で沈没した護衛空母しまね丸。終戦後の引き上げ解体に伴い地元の有志がもらい受け、消防団で使用されたそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム三崎の義倉
江戸時代の後期に建てられたという、土佐清水からやってきた三崎の義倉。義倉とは、飢饉や災害に備え平時から穀物を備蓄しておく制度。この建物は、昭和15年頃までその役目を担っていたそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム明治時代中期築の福井家石蔵
その向かいに建つのは、明治中期建築という高松の福井家石蔵。古墳の石棺としても使われたという深い歴史を持つ、地元鷲ノ山産の石で造られています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム明治時代中期築の福井家石蔵石壁に木の梁や瓦屋根と和洋折衷の趣
ぱっと見洋風の石壁ながら、曲がった梁や土壁、瓦屋根と和洋折衷の独特な雰囲気。これを建てた石工の技もすごいもので、建物にはほとんど狂いが生じていないそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアムアーチ型橋
かつての金毘羅街道であった県道の拡幅により、さきほどの福井家石蔵とともに寄贈されたというアーチ型橋。明治34年に架橋された石橋には、同じく鷲ノ山の石が使われています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム高知から移築された前田家土蔵
残る建物もあと数棟。名残を惜しみつつ歩いてゆくと、坂の途中に立派な土蔵が。明治後期に建てられたという前田家土蔵は、高知県の中央に位置する布師田という場所にあったもの。特産の土佐漆喰により塗り固められ、壁を傷めないようにと水切りのために廻らされた瓦庇が特徴的。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム丸亀藩斥候番所
二重の瓦屋根が重厚感を醸し出すこの建物は、かつて丸亀藩斥候番所として伊予との国境に近い箕浦に置かれていたもの。中央には開口部のない部屋が設けられており、役所として建てられたことを示す独特な間取りだそう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム阿波の昔の漁師の暮らしを伝える吉野家住宅
その向かいに建つ素朴な古民家は、徳島の伊座利に建っていたという吉野家住宅。明治時代の初期に建てられ、往時の漁師の暮らしぶりをいまへと伝えています。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム阿波の昔の漁師の暮らしを伝える吉野家住宅海からの強風を防ぐために造られた石垣
太平洋に面する断崖の下に集落があるため、海からの強風を防ぐために家の周りに石垣が組まれています。そのそばには舟や漁具が置かれ、険しい環境での暮らしの大変さが滲むよう。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム阿波の昔の漁師の暮らしを伝える吉野家住宅海から上がりしずくを落とすために竹のすのこ張りにされた床
玄関の上がり口は竹のすのこ張りの床となっており、海から上がり濡れた着物や道具のしずくを落としやすくするという漁師らしい工夫も。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム神戸北野異人館街から移築された洋館
時代や用途の異なるさまざまな建物に圧倒され、気づけばもう西日に染まる時間に。四国や対岸の瀬戸内にまつわる建築美を存分に浴び、その最後を彩るのは北野異人館街から移築されたうつくしい洋館。

10月下旬初めての屋島四国村ミウゼアム想像以上に濃密な世界観を存分に満喫し、その原点となったざいごうどん本家わら家の古民家をあらためて眺める。
うどん屋を開くため、一棟の古民家を移築したことからはじまった四国村の歴史。こうしてひと回りし、あらためてその茅葺屋根を俯瞰する。

本当に、善き時間だった。お昼のついでにと軽い気持ちで立ち寄った数時間前の僕を、叱ってやりたい。屋島に来るなら、ここは訪れるべき場所。あまりに濃密な世界観に胸を打たれ、秋の夕色にこころを焦がすのでした。

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