11月、朝の東京駅。ここにこうして立つのは、一体いつぶりだろうか。それは最近夜行バスでの旅立ちが多かったという理由だけではなく、2020年という年でもあったから。
前回旅してから、はや5か月。そして最後のひとり旅からは、もう9か月も経ってしまった。そしてまた、こうして故郷の玄関口から旅立てるという幸せ。その静かな感情の昂りを胸に灯し、入線するE7系を見つめます。
前回の旅の幕開けは、人影すら疎らな羽田空港だった。その時と比べ、今朝の東京駅にはほんのりとした活気が。いつもの混雑にくらべればそれでも空いていますが、旅立ちを控えた人々の放つ静かな熱気に包まれる姿こそ、東京のターミナルとして相応しい。
疎らながら、それぞれの目的地を抱き行き交う旅人の姿。ようやくこの瞬間を迎えることができた。そんな感慨に浸りつつ、行き交う人影をつまみに朝のいけないビールを味わいます。
僕にとっての一番の趣味、いや、一番の生き甲斐は?と聞かれれば、間違いなく即答するであろう「旅」。この地に生まれ育ち暮らす僕にとって、今年の空気感は本当に堪えた。そして迎えた、久々の旅立ち。やっぱり僕は、旅が好き。その想いを繋ぐように、あさま号はどこまでも続く鉄路を走りだします。
住宅地を跨ぐ高架橋を、新幹線とは思えぬ速度でくねくねと進むあさま号。急に空が広くなったと思えば、それはもう都県境を越える合図。久々に、心の底から東京脱出!昔からこの言葉を好んで使ってきましたが、今日のこの瞬間ほど嬉しかったことはない。
秋空に輝く荒川を越えたところで、久々の駅弁で朝食を。今回は、小淵沢は丸政の調製するそば屋の天むすを。袋に書かれた、駅弁誕生135周年の文字。ただでさえ苦境が続く駅弁、この伝統文化が絶えてしまわぬようにと願わずにはいられない。
おにぎりから始まったといわれる、駅弁の歴史。包み紙を開ければ、その歴史を感じさせるかのように現れるころりとしたおにぎりとたくあん。
ご飯には子持ちきくらげが混ぜ込まれ、もちもちとしたお米の食感の中いいアクセントに。中には海老天が込められ、甘じょっぱい味付けと油のコクに、ひと口、またひと口と食が進みます。
美味しい駅弁をより一層味わい深いものとしてくれる最上の友、車窓。誤解を恐れず敢えて言えば、家で食べる駅弁はただの弁当にしか過ぎない。やはりこうして列車に揺られ、流れる車窓というおかずがあるからこそ、駅弁としての味わいが整うというもの。
そんな久々の車窓とおにぎりの競演を楽しんでいるうちに、だだっ広い関東平野の終わりを感じさせる景色へと変化。街並みの先にギザギザの独特な山並みが見えれば、上信越えはもう間もなく。
高崎を過ぎて上越新幹線と別れ、碓井峠に向けどんどんと高度を上げてゆく北陸新幹線。かつて機関車に支えられ辛うじて往来していた険しい道のりは、今なお感じる勾配のきつさに面影を残します。
上州の特徴的な山並みに別れを告げ、いくつものトンネルを越えて信州入り。軽井沢の到着寸前には、早くも白銀の帯を垂らしたスキー場がお出迎え。
天然色の季節が夏で止まってしまっていた今年、秋を過ぎもう冬がすぐそこにまでやってきているということに驚きを隠せない。やっぱり人間には、自然の四季彩が必要。だからこそ、季節を感じるために旅をしたい。
軽井沢から勾配を下り続け、トンネルの合間には秋色が見え隠れ。いつしか空も晴れ渡り、久々の旅路に染まる僕のこころを映すかのよう。
錦秋を過ぎ、ほのかに冬の気配を感じさせる晩秋の車窓。盆地を縁取る山には早めに季節が来るらしく、盛を越えた名残りの秋に染まります。
久々噛みしめる、列車旅。秋の旅情に心酔していると、はるか遠くに銀嶺の姿が。ここまで来れば、長野はもうすぐ。移ろう車窓に、これから出逢うであろう秋色への期待は高まるばかり。
久しぶりの旅の舞台にと選んだ信州。小さい頃から何度も訪れ、その度ごとに深い想い出をくれる大好きな地。ここでこれから4日間過ごせるという幸せを胸に、到着を今か今かと待ちわびるのでした。
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