諏訪大社上社の雰囲気を異にするふたつのお社へのお参りを終え、時刻はちょうどお昼どき。本宮から歩いて5分ちょっとの場所に位置する『やまさや』へとお邪魔します。
このお店はうなぎも有名なようで一瞬気持ちが揺らぎそうになりましたが、初志貫徹で今日はおそばを食べることに。天ざるもいいし、さっぱりとおろしそばも捨てがたい。そう悩みつつ選んだのは、季節限定というくるみだれそば。
たっぷりの汗を掻きつつ歩いたご褒美を喉へと流していると、お待ちかねのおそばが運ばれてきます。その艶々を数本つまみ、まずは何も付けずにひと口。つるりとコシがあり、そばの甘味も感じられる間違いない旨さ。
つづいて、くるみだれに付けて。うぅん、これは好みだ!くるみにありがちなくどさはないが、それでいてまろやかこく旨クリーミー。そばの風味を掻き消さず、しかししっかりと絡む旨だれに手繰る手が止まらない。
そして仕上げにそば湯で割れば、それはもはやポタージュ。くるみの良さを引き出した絶妙な塩梅に心酔し、あっという間におつゆまで残さず平らげます。
おいしいおそばに舌鼓を打ち、次なる目的地へと向かうことに。『かりんちゃんバス』のすわ外周線で諏訪湖畔を目指します。今回乗車した路線はやまさやの近くのバス停も停まりますが、まだ時間があったため休める場所のある上社北参道バス停で待機し乗車。
ちなみにこのエリアのバスは系統が多く、バス停の位置も微妙に異なる場合もあるため事前の下調べは必須。鉄道駅は上諏訪へ出るしかないため、上社本宮への移動の際は諏訪市のHPを確認することをおすすめします。
コミュニティーバスに揺られること20分足らず、SUWAガラスの里バス停で下車。諏訪湖の南端に位置するこの場所から、歩いて湖畔を1/4周することに。
それにしても暑い!でも東京とは違い、空気が淀んでいない。梅雨明け前のためまだ「カラッと」とまではいかないまでも、明らかに違う空気の軽さ。
気持ちいいな。そんなことを感じつつ歩いていると、僕のそんな気持ちを表すかのように気持ちよさそうに羽ばたく大きな鷺が。
進むごとに、少しずつ表情を変えてゆく湖水と山並み。眩い青空には旺盛な白い雲が浮かび、そんな夏色が対岸の山々までをも蒼く染めあげる。
空の青、湖水や山並みを彩る蒼。八重山で浴びるあおさとはまた違う、湖ならではのあおい世界。遠くに浮かぶは岡谷の街、その左手からは暴れ川として名高い天竜川が流れ出ているのだろう。
大汗を掻きつつ歩いてゆくと、ところどころに漁港の姿が。縄文時代から漁業の形跡があるという諏訪湖。今なおここでは公魚や鯉、鮒などの漁がおこなわれています。
容赦なく、網膜と肌を灼く夏模様。暑い。けれど、なぜだかそれが清々しい。それは旅先という高揚感がそうさせるのか、それとも穢れなき空気と空がもたらすものか。そんな絵に描いたような夏空を、優雅に飛翔する一羽のとんび。
先ほど渡った上川の河口に架かる橋まで来れば、上諏訪駅までは残り1/3ほど。橋上でしばし佇み、夏の蒼さに目を細めつつ吹く風に火照った身体を預けます。
道端には、艶やかな紫色に染まる大輪のあじさい。剪定されている株もありますが、標高759mのこの地ではまだまだ見頃の花がちらほらと。
今朝まで滞在していた唐沢鉱泉は、標高1,870m。1,100m以上の標高差は気温に如実に表れ、彼の地の爽やかさが早くも恋しくなる。でもこの暑さもまた、夏の風物詩。東京のものとは違い嫌味のない空気と気温が、素直にそう思わせてくれるのだろう。
夏の湖水リゾートの空気感を漂わせるヨットハーバーを過ぎれば、湖と人の距離が近くなる園地エリアへ。緑と青の世界を渡り、柳を揺らす諏訪の風。この情景に、こころの中まで涼風が吹きわたる。
空の色を映す湖面を眺めていると、水面をゆっくりと進む小さな船。先ほど僕を追い越していった、諏訪湖ダックツアー。水陸両用のバスはヨットハーバーから入水し、気持ちよさそうにぷかぷかと進んでゆきます。
その先には、SLのなかでも有数の知名度を誇るD51が。この824号機は昭和18年に浜松で生まれ、戦後に上諏訪、松本、長野と信州の地で活躍を続けてきた機関車。昭和45年の引退後は、長く働いた所縁のあるこの地で静かな余生を送っています。
デゴイチに別れを告げ歩いてゆくと、本日のゴール地点である石彫公園に到着。浄瑠璃や歌舞伎の演目に登場する八重垣姫、その巨大なブロンズ像がお出迎え。
歩いてきた方向を眺めれば、遠くに霞む中央道の高架橋。諏訪湖一週16㎞。あの近くから歩きはじめ、そのちょうど1/4となる4㎞。距離的には大したことはないが、今日のこの気温と陽射しではよく歩いたほうだ。
60年ほど前の浚渫工事の際に埋め立てられできたという、諏訪市湖畔公園。そのなかでも石彫公園は水辺との距離が近く、さらに印象的なのが憩う水鳥の数と人との近さ。思い思いの場所でくつろぐ野鳥を眺め、暑さで上がった息を整えます。
ここで4㎞寄り添ってきた諏訪湖畔に別れを告げ、駅方向を目指すことに。湖畔公園のすぐ脇に位置する『片倉館』は、製糸業で財を成した片倉家が地元の人々の福利厚生のためにと昭和3年に建てたもの。こちらの会館棟には、見事な格天井の広間があるそう。これはまた、次への宿題だな。
そしてこちらが、個性的な浴室をもつ温泉浴場棟。瀟洒な佇まいの鉄筋コンクリート造は、築97年を迎えてなおも公衆浴場として現役を続けています。
当初は外観だけと思って立ち寄りましたが、もう全身汗だくで。帰りのあずさまでまだ時間もあったため、急遽立ち寄り湯を愉しんでゆくことに。
入浴料850円を支払い、脱衣所へ。そこへと至る廊下から室内までをも満たす、古き良き異国への憧憬を感じさせる情緒。千人風呂と名付けられた浴場へと足を踏み入れれば、どことなくローマを感じさせるような世界観。
彫刻やステンドグラスに見守られるように、中央に鎮座する大きな浴槽。その底には黒々とした大きめの玉砂利が敷かれ、足に感じる刺激も心地よい。水深は1.1mと深く、そこに満たされるのは弱アルカリ性の無色透明な単純温泉。
周囲に廻らされた縁に腰掛けじっくり浸かれば、次第に額から滴り落ちる汗の粒。往時の美意識が込められた空間を、百年近く経た現代でも体感できるという贅沢を噛みしめます。
さっぱりとした上諏訪のお湯で汗を流し、すっきりとしたところで2階の休憩所へ。ずらりと並ぶ柱や窓の装飾に宿る、レトロでモダンな昭和初期の空気感。今度はもう少し、のんびり来よう。
火照った身体を鎮めるべく、諏訪湖に面した屋上へ。雲が広がり勢いを弱めた陽射し、その分涼しさを増す湖水ごしの風。
振り返れば、間近に望む建築美。緻密な凹凸の刻まれたスクラッチタイル、妻を彩る優美なレリーフ。一世紀近くの歴史の滲む重厚感、その中にしかと込められた渋さと気品。
やっぱり立ち寄って、正解だったな。製糸会社の従業員だけでなく、土地の人々の憩いの場として生まれた片倉館。その想いは今なお受け継がれ、重ねた時間の厚みとお湯を旅人へも開放してくれる。
用事のために取った休み、その空白を活かそうと企みはじめた今回の旅。そこで運よく見つけたのは、いつかはと思っていた高地の宿。天狗岳の麓に湧く唐沢の鉱泉は、ゆるゆるとした心地よさで日々のあれこれをすべて溶かしてくれた。
今回も、善い旅だったな。そんな穏やかで温かな心もちで佇む、上諏訪駅。今夜は入社四半世紀を振り返る同期会。18歳の僕は、こんなおじさんになれているなんて、想像もしていなかったな。
入社後いろいろあったけれど、結果良ければすべて良し。まだ結果と言える段階でもないが、少なくともそう思える今を大事にしたい。十年前に集まったときとは明らかに変化した心境を抱き、久々に見る顔を楽しみにあずさに乗り込むのでした。
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