馬籠陣馬上展望広場からの壮大な眺望に元気をもらい、中山道歩きにいざ挑戦。道しるべに記される、妻籠宿までの距離7.6㎞。自分で歩くしか交通手段のなかった時代へと遡る、歴史の旅へと踏み出します。
これから向かうは、山深い木曽路。その前にもう一度振り返り、この爽快な眺望を眼に心に灼きつけます。それにしても、今日は本当に暖かい。序盤の登りで、もうすでに汗だくになってしまいます。
先ほどの展望を最後に、これから先は山の中を進んでゆく中山道。しばらく進めば観光地のハイキングコース然とした雰囲気から一変し、古からの風情を感じられる空気感に。
勾配や曲線に制限のある車道と比べ、馬籠と妻籠を最短ルートで結ぶ旧街道。車道を串刺し状に貫いているため、途中何度も車道を歩いたり横断したりする場面が。ですが分岐には分かりやすい道しるべが設けられているため、地図を見ずとも迷わずに歩くことができます。
馬籠から石畳の続いてきた道筋も、いよいよ山道の装いに。すれ違う観光客の姿もぐっと減り、何となく心細さを感じてしまう。昔はこれが、旅の当たり前だった。そう思うと、ビビりの僕は旅になど出られなかったことだろう。
江戸時代の旅の道中に思いを馳せつつ息を弾ませ歩いていると、水車小屋を越えたところで再び石畳が復活。ここから再び続く登り坂を、空を目指して一歩一歩ずつ踏みしめ登ってゆきます。
はぁ、はぁ・・・。これは思ったよりもきついかも。木陰が無くなった分、遮るものなく降り注ぐ春の陽射し。息が上がってしまうのは、歳のせいではなく勾配と暖かさのせいだと思いたい。
そう思いつつ、ひたすらじっくり、じっくり登ってゆく中山道。僕にとって、旅路で流れる車窓に内省する時間は必要不可欠なもの。もしかしたら、古の旅人も歩きながらそんなことを考えていたのだろうか。
旅する手段は変われど、自分の生きる場所を離れて旅することの意味や意義は昔からそう大きくは変わっていないのかもしれない。
そんなとりとめのない思考を巡らせていると、いつしか坂を登り切り振り返ればこの爽快な青。どこまでも冴えわたる空の青さに、日常のあれやこれ、すべてがどうでも良くなってくる。
山を抜け視界が開けると、突如現れる渋い町並み。ここ峠集落は、かつて牛を用いて荷物を運ぶ牛方が多く住んでいたのだそう。街道沿いに並ぶ古き良き建物に、往時の賑わいを重ねてみます。
今回も敢えてあまり下調べをしてこなかったので、この集落の出現には本当に驚き。馬籠から妻籠まで約8㎞のハイキングを楽しもうと組んだ、今回の旅程。でも今歩いているのは、単なるハイキングコースではなく古くから残る街道筋。
宿場から宿場へ、そして都と江戸とを結ぶための必然性と意義に満ちた道。それが単なるハイキングコースとは異なることを、この光景が物語っている。
結ぶ必要があるから、そこに道が生じる。点と点を繋ぐための線。道の背負ってきたその役割を色濃く残す光景との思わぬ出逢いに、大袈裟ではなく軽く鳥肌が立ってしまう。
社会人になりたてのころ歩いた箱根旧街道以来、20年以上ぶりとなる人生二度目の旧街道歩き。いつかはと思い続けた中山道の刻んできた歴史の片鱗に触れ、早くもいくばくかの感慨が胸へと宿る。
やっぱり僕は、交通全般が好きなんだ。その手段が鉄道であれ、バスであれ、飛行機であれ。そして幾多もの旅人の足跡が蓄積された街道もまたしかり。交通というもの自体こそが、人々の移動に対する欲求の結晶のように思えてくる。
念願叶い、ようやく今こうして歩いている木曽路。春晴れの爽快な青空にも手伝われ、早くも街道歩きの愉しさに魅了されてゆくのでした。
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