道産の海鮮づくしの勝手丼に幕を開け、様々な街の表情に触れ唯一無二の激細極旨ラーメンまで。まだお昼過ぎだというのに、朝からたっぷり満喫した初めての釧路の街。ここから旅は第二幕、その始まりの地となる釧路駅へと向かいます。
駅の待合室で時間を調整していると、乗車予定の列車の改札開始を告げる放送が。ホームへと向かい待つことしばし、僕をあの大自然へと連れてゆくくしろ湿原ノロッコ号がゆっくりと入線。
あぁ、懐かしい。この列車は、僕にとって忘れられない想い出。高校2年生のあの夏、フリーきっぷを駆使して北海道をぐるり回ったひとり旅。塘路から乗ったこの車両は、デビューほやほやの新型だった。
あれから26年の時を経て、同じ車両に乗り再び釧路湿原に行けるなんて。これから向かう地への期待以上に、甘くも切ない感傷が胸を満たしてゆく。
かつて道内をはじめ、全国を駆け巡っていた50系客車。役目を終えた客車を改造し生まれた、ノロッコ号専用の展望車両。側面は必要な骨組みを残してほぼ一面窓にされ、座席には自然を感じられる木が用いられています。
汽笛一声響かせて、ノロッコ号は塘路を目指して定刻に発車。樹脂製の窓は開け放たれ、車内とはいえぬほどの開放的な空間を吹き渡る晩夏の風。程なくしてゆっくりと渡る釧路川を、これから列車は遡ってゆく。
東釧路で根室本線に別れを告げ、釧路と網走を結ぶ釧網本線へ。乗り心地という概念を手放したアトラクションのような揺動、会話すら掻き消そうとする車輪の刻むリズム。風とともに釧路の大自然を全身に受け止めれば、その豪快さすら愛おしくなる。
背後に広大な湿原を抱き、高低差があまりない地形のためたびたび洪水に見舞われたという釧路の街。その被害を防ぐため、新たに開削された新釧路川。その分岐に建つ岩保木水門を過ぎれば、いよいよ釧網本線は湿原に寄り添い走るように。
ガイドさんの分かりやすい解説を聴きつつ存分に自然を浴びること24分、釧路湿原駅に到着。列車はこの先塘路まで2駅を18分かけて走りますが、まだまだ乗っていたい気持ちを堪えつつここで途中下車。
大勢の乗客を降ろしたノロッコ号を見送り、いざ目的地へ。駅前からのびる階段に圧倒されますが、一気に登りきり爽快な木立をゆく散策路を進みます。
最初こそは階段がきついけれど、頑張って登ってしまえばあとは気持ちのよい道。豊かな緑を浴びつつ歩くこと10分ほどで、釧路湿原を一望のもとに収める細岡展望台に到着。
眼下には延々と広がる湿原と、そのなかを悠々と蛇行する釧路川。教科書や地図帳で見たままの光景に感動したあの日が、鮮明な色味を伴い甦る。
かつて海だったという釧路湿原。陸となり悠な時間が経過した今でも、いたるところに点在するという無数の底なし沼。そのため人の立ち入りが制限され、豊かな自然が遺されています。
人間なんて、本当にちっぽけなもんだな。ベタだけれど、この光景を目の当たりにすればそう思わざるを得ない。26年前、気球に乗って塘路の地から眺めた釧路湿原。時が経ち自分の中身もあれこれ変わったけれど、その果てしない雄大さはあのときのままだった。
釧網本線でオオワシや丹頂に出逢い、上空から壮大な湿原を見下ろし。今の僕の礎を築いたと間違いなく断言できる、あの夏旅で得た感動。釧路湿原への再訪を選んだのは、もしかしたら今の自分にはどう映るのかを確かめてみたかったからなのかもしれない。
四半世紀経ちおじさんになった今でも、同じ景色を見て感動できる。そのことが、ただただ嬉しくて。そしてこの感覚を、この先もずっと大切にしていきたい。
26年ぶりに再会を果たした、ノロッコ号と釧路湿原の雄大さ。17歳と43歳。ふたりの自分がここで得た感動を重ね合わせ、旅することで築いてきた自分の軸というものに改めて気付かされるのでした。
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