東京からつばさ号に揺られること2時間42分、山形に到着。山形県は何度も訪れていますが、県都に降り立つのは初めてのこと。これから始まる未知なる旅路への高揚感は、何度味わっても堪らない。
駅ビルで夜のお供を買い込みロータリーで待つことしばし、到着した『山交バス』の蔵王温泉行きに乗車します。
明けの眠気に勝てず、市街地を行く間に居眠り。ふと目が覚め窓の外を見てみれば、眼に飛び込んでくるこの眺望。蔵王の朱い鳥居の先に広がる山形盆地、その奥には白さを頂く月山。あまりにもうつくしい光景に、この瞬間を見逃さずに済んでよかったと胸をなでおろす。
延々と坂道を登り続けるバス。行く手には蔵王の山並みが姿を現し、早くもくっきりと浮かび上がるゲレンデの姿に往時の想い出が甦る。久しぶりに、スキーしたいな・・・。
晩秋から初冬へと季節を進める車窓を愉しむこと40分足らず、バスは終点の蔵王温泉バスターミナルに到着。そうだ、たしかこんな感じだった気がする。雪がないため景色はまったく違いますが、二十年近く前の記憶がうっすらと色味を帯びてゆくのを感じます。
脇の駐車場からは、雲間の夕日に染まる白銀の山並みが。秋は終わり、もうすぐ冬へ。そんな枯色越しに望む次の季節の輝きに、思わず深いため息が漏れてしまう。
ターミナルから温泉街方面へと進んでゆくと、もうもうと湯気をあげ勢いよく落ちる滝が。豊富な温泉水を含む酢川が流れ落ちるこの滝は、その音からどんどんびきと呼ばれているそう。鼻をくすぐる硫黄の香に、早くも頬が緩んでしまう。
今宵の宿へと向け歩いてゆくと、再び見覚えのある通りへ。そうそう、ここは歩いた記憶がある。あと1カ月もすれば、僕の知っているあの白銀の世界が現れるのだろう。
ターミナルから工事中の道路を迂回し歩くこと約10分、これから2泊お世話になる『名湯舎創』に到着。写真からも分かるように、樹氷通りからは結構な角度の上り坂。電話をすればターミナルから送迎してくれるので、そちらを利用するのもいいかもしれません。
こちらのお宿は、閉館した旅館を蔵王を中心に展開する高見屋グループがリニューアルオープンしたもの。館内はきれいにリフォームされ、快適に過ごすことができます。
さっそく浴衣に着替え、大浴場へ。扉を開けた途端、鼻をくすぐる濃厚な硫黄の香り。大きな石造りの浴槽に満たされるのは、この宿独自の源泉。pH1.6前後の強酸性泉が多い蔵王の中で、この源泉はpH2.0と若干ながら肌に優しめ。
外に出れば、蔵王の御釜をイメージした大きな岩をくり抜いた浴槽と、ほどよい大きさの陶器を使用した壺湯が。それぞれにびっしりと付着した硫黄の白さに、この湯の成分の濃さを感じます。
二十年近くぶりとなる蔵王の湯との再会を果たし、ほくほくとした心もちで味わう湯上りのビール。一浴目から全身の毛穴という毛穴に硫黄臭をまとわせ、浴衣の隙間から立ちのぼるその香りに思わずにんまり。
畳に身体を預け、その感触とビールの余韻に揺蕩うひととき。うつらうつらと心地よさに溺れ、目が覚めたところで夕食前にもうひとっ風呂。あぁ、解れてしまう。色も浴感もシルキーな湯に抱かれ、はやくも日々のあれこれが流れ落ちてゆく。
大好物の硫黄泉にすっかり染められ、身もこころも軽くなったところで迎える夕食の時間。こちらの宿の通常プランは2種のメインから選べ、今夜は蔵王名物だというジンギスカンを選択。
さっそく地酒を注文し、まずは前菜をはじめとするお料理から。山形といえばのもってのほかのお浸しやきのこおろし、カルパッチョとお酒に合う品々が並びます。おそばは山形名物の冷たい肉そばで、噛むとじんわり旨味が滲む鶏肉が印象的。
そしていよいよ、メインのジンギスカンを。札幌や高円寺と、発祥の地について諸説あるジンギスカン。ここ蔵王もそのひとつで、牧羊が盛んであったため古くから食べられていたそう。
熱せられた鉄板に脂を塗りひろげ、お肉を広げてじゅ~っと。ほどよく焼けたところでたれに付けて頬張れば、ふわりと広がるラムの甘い香り。うん、このラム旨い。クセがなく、それでいて赤身の味わいと脂の甘味をしっかり感じる。それをまとった焼き野菜もまた、地酒に合う。
お肉も野菜もきちんと一人前あるため、食べ終わる頃には結構な満腹。ですがやっぱり、〆にはご飯を食べたい。ということで山形の郷土料理である芋煮や多彩なお漬物とともに、白いご飯を味わいます。
久しぶりのジンギスカンに舌鼓を打ち、お腹もこころも満たされ部屋へと戻ります。あとはもう、お湯とお酒に揺蕩う時間。まずは河北町は和田酒造の醸す、つや姫純米吟醸あら玉を開けることに。
食用米であるつや姫を使ったお酒は、さらりするりと飲めてしまう口当たりの良さ。ですがしっかりと旨さを感じ、心地よい甘酸っぱさがひと口、もうひと口と進めてくれる。
山形の旨い酒を噛みしめ、気が向いたら白濁の湯が満たされる静かな湯屋へ。全身に硫黄の香りと火照りをまとわせ、部屋に戻り開けた窓から眺める夜の温泉街。懐かしいな。若い僕らは、あの坂をスキー担いでえっちらおっちら登って行ったんだっけ。そんな古い記憶が、温かみを伴いつつ胸の深い部分から引き出されてゆく。
夜とともに深まりゆく記憶の旅。そんな穏やかな時間を彩るべく、次なるお酒を。西川町の月山トラヤワイナリー、月山山麓赤を開けることに。
山形のワインを飲むのは久しぶり。どんな味だろうと期待しつつひと口含むと、まず感じるのはしっかりとした酸味。ですが嫌なとげとげしさはなく、赤葡萄の風味も感じられ。これは山梨や長野とはまた違った方向性の味。東北らしい凛とした面持ちに、日本のワインのもつ表情の豊かさを改めて実感します。
ゆっくりと、しかし確実に更けゆく蔵王の夜。静けさに包まれた湯屋、そこに響くのは湯の落ちる音のみ。強酸性をまったく感じさせぬきめ細やかな優しい浴感に抱かれれば、その柔らかな白さが胸の奥を染めてゆく。
あぁ、来てよかった。まだ温泉巡りに目覚める前に出逢った、蔵王の湯。それから二十年近くの時を経て、四十代となった自分が感じる当時とは異なる心地よさ。
それだけ、温泉の経験を積んでこられたということか。それとも、湯の力が切実に沁みる年齢になったのか。まあそんなこと、どうでもいいや。シルキーなお湯に身を委ね、身もこころも蔵王の湯に溶かされてゆくのでした。
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