一面の銀世界を、部屋の大窓から飽くることなく眺める、贅沢なひととき。時が経つのも忘れその景色に見入っていると、気がつけばだいぶ暗くなってきました。
夕食の時間まではもう少し。その前にもうひとっ風呂浴びるべく、再び露天を目指します。茅葺小屋の向かって右手、天渓の湯がこの日の男湯。2つの湯船は深さが違い、脱衣所寄りが浅い温めの浴槽、旅館寄りが深い熱めの浴槽になっています。
さっそく浅い浴槽に浸かり深呼吸。鼻をくすぐる心地良い硫黄の香りが、これぞ山のいで湯という風情を掻き立てます。細かい湯の花がたっぷりと溶け込むその色もまた、温泉らしくてものすごく好み。
浴感といえば、肌にぴりりと感じる酸性の硫黄泉らしいもの。上がり湯もなく、あぁこれは好きだけど肌がやられちゃうパターンのやつだ、と直感しました。
ところが後ほど驚きの結果に。ハンドクリームが必要だった手荒れもおさまり、肌がやられるどころか一皮むけてリセットされたような状態に。
なんだこれ、こんな酸性泉は初めて。酸性泉に2泊もすればピーリングされすぎてしまう肌の弱い僕ですが、このお湯は絶妙にいらない部分だけを剥いてくれるような感覚。
目の前に広がる雪景色と心地良いお湯に浸りながら愉しむ湯浴み。振り返れば、こんもりと雪をかぶった茅葺屋根。僕の雪見風呂に逢いたいという欲求を、この時点で十二分に満たしてしまうこの風情に脱帽。
雪見露天というこの旅の主題を早くも満喫し、続いては明治から続く内湯の玉子湯へ。暮れゆく群青色の空の下、雪と灯りに彩られる姿がたまらない。
扉を開けるとすぐに脱衣所に湯船といった、昔ながらのスタイル。先ほど覗いた時はいっぱいでしたが、今は貸し切り状態、ひとり占め。早速浴衣を脱ぎ、木の温もりに包まれた湯船へと身を沈めます。
歴史を刻んだ木の湯船は肌への当たりが優しく、お湯と共にお風呂を気持ちよくしてくれる大切な主役。この水分と温泉成分で変化した木の質感は、歴史ある温泉ならではの贅沢。
誰もいない静かな湯小屋。自分のためだけに掛け流される源泉の、その流れる音しか聞こえない空間。白熱灯が小屋を温かく照らし、窓の外にはうず高く積もる穢れなき雪。
これを贅沢と言わずして、何を贅沢と言うのか。本当に良い内湯には、ダイナミックな露天にも負けない魅力がある。このような湯屋で湯浴みをするたびに、そのことを強く思い知らされます。
到着後2時間ですっかり染まってしまった玉子湯の空気感。体ではなく心が逆上せたところで、お待ちかねの夕食の時間に。テーブルには美味しそうな品々が並んでいます。
お通しは茸の油炒め柚子おろし。油炒めといっても油っぽくなく、ほどよいコクを与えてくれる程度の丁度良さ。柚子おろしの爽やかさが地酒を誘います。
前菜は秋茄子と鮭のチーズ田楽、鯖とサーモンの合わせ鮨に、烏賊とんびのマリネ。それぞれ美味しいものを少しずつ楽しめます。あかざえびやほたて、いかのお造りも山の宿ですが美味しく、どれもお酒に合って困ってしまう。
コンロで煮えているのは、福島三元豚と津軽鶏のつくね入り芋煮鍋。福島青森合作のつくねがジューシーで味わい深く、その旨味が芋や野菜、玉こんにゃくに浸みわたります。この素直な美味しさに、東北へとやってきた実感がより一層強まります。
美味しいお鍋でホクホクになっていると、できたて熱々のお料理がさらに運ばれてきます。右下は芋饅頭茸餡。ホクホクのじゃがいもの中にそぼろが包まれ、きのこの風味のあんがよく絡みます。
左は銀宝の照焼。普通の照焼かと思いきや、粗く砕かれたくるみが載せられています。銀宝のほくほくとした身に香りと食感を添えるくるみ。思わずうまっ!と呟いてしまいました。海と山の競演に、おちょこ片手にあっという間に食べてしまいます。
そして添えられているお団子がまた美味。そばでできたお団子の中に味噌あんが詰められ、お土産で売っていたら買いたいと思うほど。
奥の天ぷらはえびと銀杏の串、秋茗荷にはたはた。さくっとかりっと香ばしく、はたはたのほっくりとした食感と広がる旨味がたまりません。
最後に美味しいご飯とお漬物、お椀で〆てお腹一杯。これまでここのお湯と景色に憧れ続けてきたため、席に着くまでお料理のことは正直考えていませんでした。どうでもよかったというのではなく、そこまで考えが至らないほど、無条件に来たいと思い続けていたのです。
そして味わった美味しい品々。お湯も風情も申し分なく、そしてお料理まで美味しいとは。もう文句の付けようがありません。
大満足の夕餉を終え、お腹を落ち着けたところで再び露天風呂へ。凛と張りつめる、夜の冷たい空気の中佇む玉子湯。その寒さが雪の輪郭を際立たせ、漏れる灯りを一層温かく感じさせます。
冬の温泉は寒ければ寒いほどいい。気温とお湯の温度差による感覚もあるのでしょうが、冬の、それも雪見露天でしか感じられない何かがある。僕にはそう思えてならないのです。
その何かとはなんだろう。適温の湯に浸かりながら考えるひととき。そのときふと、少しだけわかったような気が。そうだ、露天風呂って、一番自然な状態で自然を感じられるからだ。
冬の空気が持つ独特の冷たさや堅さ。普段はそれから逃れるように厚着をし、早く春が来ないものかと冬を蔑ろにしながら暮らしている。無機質な街の無機質な寒さほど嫌なものはありません。
でもそのままずっと過ごしてはいけない。自分の中の本能が、無意識のうちに冬という季節を欲しているのでしょう。
こうして素っ裸で凍えながら湯に入る瞬間の幸せ。一番無防備で自然な状態だからこそ味わえる、冬の本当の姿。その影を追って、僕はこうして雪国に来るのかもしれない。そうでもしなければ、そのうち本当に冬が嫌いになってしまいそうだから。
そんなどうでもよい屁理屈を考えながら空を見上げると、先ほどまでの戯言すら吹き飛ばすような満天の星空が。写真ではなかなか伝わりませんが、周囲に明かりがあるのにデジカメに写るほどの瞬く星たち。
湯けむり越しに見る、雪化粧した白い枝と大空に輝く砂時計。こんなきれいなオリオン座を見るなんてどれくらいぶりだろうか。本日幾度目かのため息が、自然と漏れてしまいます。
肌を刺す冷たい夜風と、心地良い酸性泉の刺激。とてもよく温まるお湯なので長湯は厳禁。そう思ってはいても、この景色を目の当たりにしたら出るに出られない。火照ったら縁に腰掛け、冷えたらまた入り。そんな贅沢な時間を心ゆくまで過ごします。
あぁ明日の今頃もこうしていられるなんて。連泊の余裕、魅力を知ってしまうと、もう後戻りはできません。そんな充実した高湯での最初の夜のお供に選んだのは、榮川の地産地醸純米原酒。お気に入りの榮川ですが、これは初めて。
榮川といえば、どれだけ飲んでも飲み飽きないすっきりとした美味しさ。水の良さを感じ、お酒のおいしさだけを残してクセをそぎ落とす。そんな潔い印象が好きで、ずっと飲んでいるお酒。
どんな感じなのかとワクワクしながらひと口。んっ?僕の知ってる榮川じゃない!いつもの榮川とは別物だ!とびっくりする味わい。
印象としては、濃い、凄く濃い。原酒だから濃いというのではなく、あの飲みやすくすっきりとしたシルエットの榮川からは想像つかないような味の詰まり具合。
酸味、甘味、お米の旨味。それがギュッと凝縮されています。そしてアルコールもやや強め。それでいて後味の良さ、嫌な残りの無さはやはり榮川だからこそ。この酒蔵、本当に好きだぁ。
雪とお湯、星空と戯れる極上の夜。新しい魅力を感じさせてくれる榮川も手伝い、心の底から包まれる幸せ。
幸せだなんて、本心から言えるなんてどれくらいぶりだろう。お湯と雪に日頃のあれこれを全て清められたかのように、近年稀に見る穏やかな気持ちで夢の世界へと落ちてゆくのでした。
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