久方ぶりとなる、札幌で迎える白い朝。窓から漏れる冷たさに誘われ外を見れば、静寂に包まれる北の都。今日は日曜日、雪に覆われた街はまだ眠りから覚めきらぬよう。
窓辺のひんやりとした空気にふと我に返り、地下の大浴場で朝風呂を。ベッドの上で湯上りの怠惰にしばし揺蕩い、ひと晩お世話になったホテルルートイン札幌北四条をチェックアウト。ホテルの前を通る北5条手稲通を、札幌駅とは反対の方向を目指して歩きます。
隠れた氷に転ばぬよう気をつけながら、大きな通りを13丁目から21丁目まで延々まっすぐ。北5西21の交差点を右折し、住宅街の中を北上します。ここまで来ると、雪化粧をした手稲山も近くに感じられるように。時間的にはそれほどではありませんが、体感的にはだいぶ歩いてきたような気がします。
ホテルから足元に細心の注意を払いつつ歩くこと30分、札幌中央卸売市場に隣接する場外市場に到着。市場自体はお休みですが、通りに面したお店にはずらりと海産物が並んでいます。
久々の冬の北海道、短期集中の2泊3日旅。宿泊したルートインでも無料の朝食を食べることができましたが、欲張りな僕は市場で朝ごはんを食べるべくここまで頑張って歩いてやってきたのです。
色々とお店があり目移りしてしまいますが、その中で一際存在感を放つ渋い一画を発見。あぁ、ここがいいわ。昔からの味が染みついた情緒に誘われるようにして、仄暗い魅惑の雰囲気に包まれた卸売センター内へと吸い込まれます。
2階建ての建物に挟まれた通路に沿っていくつかお店がありますが、その並びの階上へと誘う看板がどうしても気になる。つられて2階へと上れば、ここに食堂があるとは思えぬ妖しい雰囲気の事務所の廊下が。その突き当り、迷い込むようにして辿り着いた『食事処魚屋の台所』にお邪魔します。
店内へと足を踏み入れると、何とも言えぬ情緒の支配する空間が。喫茶店風、ベルベットの臙脂の四人掛け。壁にずらりと並んだ、年季の入ったコミックたち。きっとここは、観光客というより市場のおっちゃんたちが来るお店なんだろう。
先客たちも、どうやら地元の人っぽい。そして皆、揃いもそろって焼魚の定食を食べている。海鮮丼を食べる気満々で市場へとやってきましたが、そのおいしそうな見た目にすっかり呑まれいとも簡単に計画変更。
古くからの市場の食堂を体現したかのような風情に身を委ねることしばし、お待ちかねの開きにしん定食が運ばれてきます。寒い朝に嬉しいもうもうとあがる湯気、それに交じり確実に鼻腔を悦ばせてくれる香ばしい香り。食べる前から、これ正解。咄嗟の自分の判断を、素直にほめてやりたい。
まずはだしの効いたお味噌汁で箸を湿らせ、大ぶりのにしんの腹をパリッと。口へと運んだ瞬間、ジュワっと広がるさらりとした脂と旨味。続いて鼻へと抜ける、にしんならではの香りが堪らない。すかさず熱々のご飯を頬張れば、日本に生まれて良かったと無条件で思えてしまう。
続いて大根おろしにしょう油を垂らしてもうひと口。あぁ、もうこうして記すことがおこがましいとすら思えてくる。こんなにシンプルに旨い焼魚を食べたのは、一体どれくらいぶりだろうか。
こうなれば、にしんとご飯の往復が止まるはずもない。途中カニカマサラダやピリ辛のおからといった手作りの小鉢を挟みつつ、旨い旨いとひとりしみじみ呟きながら勢いに任せて完食してしまいました。
新鮮な生の魚介の旨さもさることながら、焼いた魚のおいしさは何物にも代えがたい。市場ならではの雰囲気の中、朝から至福の味を満喫しお店を後にします。
たった1泊、半日だったけれどたっぷり札幌を満喫したな。ギュッと凝縮された北の都の冬を胸へとしまい込み、この街を離れることに。観光客が増えはじめ賑わいだした場外市場に別れを告げ、歩いて15分ほどの桑園駅へと向かいます。
桑園から学園都市線に揺られることたった1駅、あっという間に札幌に到着。ここからは、いよいよ待ちに待った北の大地を駆ける気動車特急の旅。帯広行きのとかち号が、乗車口を開けて僕を待ち構えてくれています。
このキハ261系は、1998年にデビューし増備が続けられたJR北海道では最新の特急形気動車。スーパー北斗のキハ281、スーパーおおぞらのキハ283。僕にとってはそれらの車両には馴染みがあるものの、スーパー宗谷として道北へと向かっていたこの形式に乗るのは初めてのこと。
そしてもうひとつの初めてが。それはこの白をまとった新塗装。小学生のとき、じいちゃんばあちゃん家の最寄り駅で目にした試運転中のキハ281系。日本で初めて在来線130㎞/h運転を可能にした振子式気動車は、札幌~函館間を最速で3時間を切るという俊足さだった。
それ以来、JR北海道の気動車特急といえばバッタ顔に噴火湾ブルーだった。室蘭本線から始まった高速化の波も今は現実的な速度に落ち着き、JR北海道の一時代を築いたキハ281も引退し。さらには馴染みのある塗色まで。
たくさんの想い出が詰まりすぎている分、この変化はおじさんにはちょっと辛い。でもこうして初めて対面してみて、意外と悪くないとそう思いたい。
普段は4両編成で運転しているとかち号ですが、今日は5両編成での運転。北海道では以前から、冬季における特急列車増結がよく見られます。それは観光需要というより、道民の暮らしを守る足として。いつも自家用車で移動している人々も、厳しい冬は列車移動に切り替えることが多いようです。
指定された3号車に向かうと、その号車だけ出入口周りの色が違うことに気がつきます。これは同じキハ261系でも、臨時列車向けに造られた5000番台の車両。紫をまとったラベンダー編成から1両が、助っ人として組み込まれているようです。
流動的な運用のしにくい電車と違い、気動車は意外と自由が利く。苗穂や函館では細切れにされた気動車が置かれているのを目にすることも多く、こんなところも北海道らしくて僕は好き。
さらに札幌駅らしさを感じるのが、一段高くなった屋根の存在。これは明り取りのためではなく、エンジンから吐き出される煙の排気のため。電化された巨大な停車場に、ひっきりなしに気動車が往来する。心臓ともいえる札幌駅から非電化の血管を通り、遠く離れた各都市を結んでいるのです。
我ながらキモい、鉄臭すぎるぞ。そんなことすらどうでもよくなってしまうほど、僕の想い出の大きな部分を北海道の特急列車が占めている。
生まれて初めてはたしか国鉄型のキハ183系、貫通型だった。白地に颯爽と走るオレンジと赤のラインがまぶしく、別の日に見たスラントノーズの雄姿も忘れられない。
その後エポックメイキングとなったキハ281系が登場し、更なる改良を加えられたキハ283系へ。噴火湾ブルーに彩られたキハ183系も大好きな車両だし、久々の対面となったスラントノーズのオホーツクも懐かしい良い思い出に。
そんな僕の北の大地の鉄路の記憶に、また新しい1ページが刻まれようとしている。そのことを想うだけで、サッポロクラシックが異様に旨い。
とかち号はエンジン音を高鳴らせ、札幌を定刻に発車。足元から響くディーゼルの唸り、甲高く響く雪国らしいホイッスル。胸を昂らせる久々の空気感に、やっぱり自分の芯は鉄ちゃんなんだと思い知らされる。
列車は千歳線を南下し、南千歳から石勝線へ。すぐに車窓からは家並みが消え、替わりに農地や牧場といった雄大な雪原が広がるように。そしてしびれてしまうのが、その走りっぷり。かつて130㎞/hを誇っていた最高速度は10㎞/h引き下げられましたが、雪煙をあげての疾走にはやはり心を奪われる。
千歳線と根室本線、石狩と十勝を結ぶ石勝線。道央と道東を結ぶ動脈として敷設された路線は高規格化され、長いトンネルやシェルターに覆われた高速通過できるポイントと、その乗り心地はローカル線とは一線を画すもの。
かつての振子全開、スーパーおおぞらの爆走には敵わないものの、石勝線に入った途端に本性を現すこの感じが堪らない。そんなダイナミックな走りっぷりもしばらくすると、雪原から景色は一変し山深いなかを進むように。
占冠、トマム、新得と、夕張山地から日高山脈へと深い山の懐を貫いてゆく石勝線。僕と同い年の鉄路の背負った都市間短絡という使命に思いを馳せていると、ついに待ち焦がれていた瞬間が。ぱっと視界が開けた先に横たわる、巨大な平野。もうすぐ僕は、生まれて初めて十勝に立つ。
先ほどまでの山深さが嘘のように、車窓に広がる牧歌的な銀世界。雪に覆われていても大地の雄大さを感じさせる光景に、ひとりでに感嘆の声が漏れてしまう。
これまで一度しか通ったことのない十勝平野。高校生のときに駆け抜けた草原が、この雪の下に隠されている。四半世紀の時を経て、こうして訪れることができるなんて。
あのときとは車両も心境も変わったけれど、ずっと大切に持ち続けている変わらぬものがある。それは旅への強い憧れであり、未知との出逢いを愉しむこころ。さあもうすぐ、人生初の十勝の地へ。何物にも代えがたい胸の高鳴りを内に秘め、終着駅への到着を今か今かと待ちわびるのでした。
コメント