1年ぶりに迎える弘前での朝。昨日は本当に善き夜だった。祭りの余韻を未だ眼に耳にこころに宿しつつ身支度を整え、朝食会場へと向かいます。
こちらのホテルでは朝食が無料で提供されており、混雑時には持ち帰り自室で食べることも。イガメンチやほたての貝焼き味噌、生姜味噌おでんにオクラのつがる漬け和えと、思った以上に郷土色ある献立。菜の花の胡麻和えやいんげんの鯖和えもおいしく、これで無料とはありがたい。
おいしい朝食で今日の活力を補給し、9時前に街歩きへと繰り出すことに。去年は1泊の滞在だったため、こうして弘前でゆっくりできるのは久しぶり。そんな清々しい僕の気持ちを映すかのように、鮮やかな夏空にくっきりと姿を現す優美な岩木山。
ぼんやりとお城に行くことくらいしか決めないまま、ホテルを出発。するとすぐ近くの道しるべに八幡宮の文字を見つけたため、その指し示す方向へとふらり歩いてゆくことに。
何度も訪れ親しんだ地だからこその、無計画なゆるゆる散歩。朝からそんな気まぐれに足に任せていると、なにやら歴史の深そうな神社を発見。
赤鳥居をくぐると、国内最大級だというかえるの像が。無事帰るということで交通安全を祈願し奉納されたものだそうですが、僕はこの愛する津軽の地に何度でも何度でも帰って来られるようにとの願いを託します。
創建は不明ながら、奈良時代には弘前へと遷座されたという熊野奥照神社。この社殿は、二代目藩主の信枚公により造営されたものだそう。400年以上もの長きに渡り集めてきた人々の信仰の歴史が、その渋い佇まいに込められています。
思いがけず出逢えた熊野奥照神社に今夏のお礼と再訪の願いを伝え、再び北上を続けます。するとすぐ近くに、車道を跨ぐようにして建つ八幡さまの一之鳥居が。
そのまま車道をまっすぐ歩いてゆくと、その突き当りに二之鳥居。この弘前八幡宮は、もともとは藩祖為信公が居城としていた大浦城近くに鎮座していたそう。
その後二代目藩主の時代に弘前城が築かれ、その鬼門の護りとしてこの地に遷座。それ以来、弘前総鎮守として城下町を見守り続けています。
もう何度も訪れてきた弘前。ようやくこうして鎮守様にお参りできたことのお礼を伝え、拝殿の左側へ。すると奥には、極彩色に彩られた建物が。400年以上前に建てられたという本殿と唐門は、国の重要文化財にも指定されているそう。
このときは門が閉められていましたが、見学できるタイミングもあるそう。これはまた、愛する街へと通い続ける善き口実ができてしまった。次へと繋がる宿題を手に入れ、お城方面を目指し足の向くまま歩きます。
弘前城の方向を頭に浮かべつつ気になった角を曲がりながら進んでゆくと、見覚えのある街並みが。そうか、武家屋敷通りに出たか。地図を見ず、自分の方向感覚頼りで歩く道。こんな意外性もまた、適当さんぽの醍醐味のひとつ。
藩政時代には武家屋敷が並び、今なおその地割や情緒を色濃く残す仲町伝統的建造物群保存地区。青々としたサワラの生垣に、締まりを与える黒塀。その奥に聳える津軽富士と、建物こそ変われど髷を結ったお侍も同じような景色を見ていたのだろう。
それにしても、今日は自分的過去イチと言っていいほど岩木山がよく見えている。街のいたるところから覗くその優美な姿を眼にこころに刻み、遠回りしつつも弘前城に到着。
そのお堀端に建つのは、昭和8年築という旧紺屋町消防屯所。渋いモルタルの風合いに、色味を添える赤い屋根。軒や避雷針の瀟洒な意匠が、北の城下町に根付いたモダンな美意識というものを薫らせる。
それにしても、今日も絶好調な暑さだ。持参した飲み物も空となり、新たなペットボトルの冷たさを喉へと流しつつ歩く道。お堀端を緑で覆い尽くさんとばかりに、旺盛に枝葉を伸ばす桜並木。その葉の落とすレースのような木陰が、水辺の風とともに一服の涼を届けてくれる。
深い緑に抱かれた城内を進んでゆくと、広々とした四の丸へ。あれだけ並べられていた石材も、きれいさっぱり跡形もなく。単なるいち旅行者ながら、この光景には感慨を覚えずにはいられない。
初めて訪れた13年前は、まだ正規の位置にいた天守。その3年後のねぷたで見た、「お城が動く」の文字と工事現場姿のたか丸くんが懐かしい。あれからもう、十年か。我ながら、ここまで毎年通うことになろうとは。
そんな回想に耽りつつ、丑寅櫓を見送り二の丸へ。解体され、ひとつひとつ印をつけられ保管されていた幾多もの石材。それらが長い時を経て元の位置に再び集い、ついに昨年冬に本丸の石垣が復活。隙間なく緻密に積まれた端整な姿に、次の百年へと繋がる力強さを感じます。
初めて訪れたときに見た天守と下乗橋の共演が強く印象に残っていますが、この十年間で幾度も目にしてきたこの姿がある意味僕にとっての弘前城。本丸の内側に護られるようにして佇む姿も、これが見納めになるのだろうか。
曳屋された姿を記憶に灼きつけ、お堀端の天守台で再会できる日に想いを馳せる。そう最北の現存天守にしばしの別れを告げ、南内門から三の丸へ。
かつて弘前城にはいくつもの隅櫓が設けられていましたが、現存するのは3基。先ほどの丑寅櫓は天守の北東に、この未申櫓は南東に位置しており、それぞれの方角から名付けられています。
そして東南に建つのが辰巳櫓。これらは築城当初に建てられたものですが、修理された時代により多少の造りの違いが。この辰巳櫓には畳が敷かれていたという記録があり、弘前八幡宮の大祭の際には練り歩く山車の姿を藩主がここから高覧したのだそう。
夏の陽射しを存分に浴び、豊かな緑に覆われる弘前城。今年もこうして、来ることができた。その静かなる悦びを津軽の暑さとともに胸へと刻み、そろそろ次なる目的地へと向かうことに。
その前に、追手門の勇姿をもう一度。戦国時代に築城された弘前城。その時代の空気を今へと伝える、櫓や城門。13年前、生まれて初めて弘前と出逢った31歳。今はなきあけぼの号で降りたち、真っ先に目指したのがこのお城だった。
現存する城郭に圧倒され、その後ねぷたの展示や津軽三味線の生演奏、そして津軽の味覚と初めてづくしに心酔し。間違いなく、あの旅はその後の人生を大きく変えてくれた。そんな原点ともいえる想い出の地に、またひとつ新たな夏の記憶を刻むのでした。
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