地中に眠る宝を追い求めてきた鉱山の生々しい空気感に心酔し、ジンギスカン鍋で焼き煮するという珍しい鹿角ホルモンを味わい。アスピーテ入口のバス停が人家のない山のなかでなければ、この濃密な体験をする予定はなかった。鹿角、また来よう。そう心に決め、『岩手県北バス』のみちのく号に乗り込みます。
秋北バスと共同運行のみちのく号。大館から花輪までは下道を通り、鹿角八幡平から東北道へ。すると車窓には、可憐に咲くそばの花。鹿角一帯はそばの産地なのだろうか。志張温泉へと向かう路線バスからも、白い花が散りばめられたそば畑が見えていた。
雨に濡れる車窓を愛でつつ走ること約1時間半、バスは日本の背骨を越え久々の太平洋側となる盛岡に到着。まだしばらく雨は止みそうにないため、駅ビルでお土産の下調べをしてやり過ごすことに。
最近の雨雲レーダーは優れもので、あとで買うものの目星をつけていると本当に雨が止んでしまった。よし、これで盛岡の街歩きへと繰り出せる。一気に夏を取りもどした気温のなか、お城方面目指して歩きはじめます。
2泊3日のあいだ涼しい八幡平にいたからか、それとも雨上がりの湿度がそうさせるのか。ぶわっと噴きだす汗をぬぐいつつ、岩手公園へ。夏の旺盛な緑の奥には、端整かつ重厚な盛岡城の石垣が。
前回は雪の積もる季節、大沢や松川の帰りに訪れた盛岡。そのときに誓ったとおり、半年後にこうしてまた愛する街へと戻ってくることができた。
はじめてこの街を訪れてから、もう何年経つのだろう。烏帽子岩の見守る櫻山神社で、こうして繰り返し再訪できることのお礼を伝えます。
すぐそばを流れる中津川から引いた水を湛える、盛岡城の内堀跡。先ほどの写真、駅側から向かって最初に出会うのが亀ヶ池。その西側、櫻山神社の参道を挟んだ位置にのびるのが鶴ヶ池。静かな水辺の空間には、雨に濡れその濃さを増した夏の緑。
本当はそのまま中津川に出て八幡宮まで歩くつもりでしたが、ここでふたたびぽつぽつ雨が。それなら屋内で盛岡を感じられる場所に行こう。城跡のすぐそばに建つ、『もりおか歴史文化館』にお邪魔します。
1階には盛岡のお祭りに関する展示が。盛岡八幡宮の例大祭として、300年以上の歴史をもつ盛岡秋まつり。9mの高さを誇る雅やかな山車は、まだ街に電線が張り巡らされる前、明治初期の姿を再現したものだそう。
そしてこちらが現代の山車。明治、大正、戦前、戦後と、時代の変遷によりその姿も変化。枠にとらわれない奔放なものから、歴史上の人物や歌舞伎の名場面へ。時代が下るにつれ、繊細さや華やかさの薫る洗練された意匠へと変わってきたそう。
秋の盛岡を彩る歴史の雅に触れ、続いて祭り常設展示室へ。ここではチャグチャグ馬コやさんさ踊りの解説映像を、大きなスクリーンで見ることが。
たくさんの鈴を付けた豪華絢爛な衣装をまとい、ちゃぐ、ちゃぐと鳴らしながら歩くつぶらな瞳のお馬。そして夏の夜に響く、さんさ踊りの太鼓の音とサッコラチョイワヤッセの声。このふたつのお祭りも、いつかこの眼で確かめなければ。
目を耳をこころを釘付けにする、独特な踊りにお囃子、そしてかけ声。盛岡駅前での演舞を目にしてからというもの、こころに灼きついて離れない。幾多もの団体が舞い歩く祭りの本番では、もっと壮観に違いない。
来年こそは、頑張って休みをとってさんさ踊りとねぷたのはしごだな。願い続けてはいるものの、いまだ実現できていない宿題。その希望を糧に、また来年夏の東北へと帰ってこよう。
青い空、豊かな緑のなびく田園。そんな東北の夏も浴びつつ、ちょっとばかりのハプニングもあり。今年の夏は、いろいろと濃かったな。またひとつ、愛するみちのくで出逢えた新たな夏。そんな時間も終わりが迫り、そろそろ駅方面へと戻ることに。
二度泣き橋の異名をもつ開運橋を渡り、後ろ髪を引かれつつ駅ビルフェザンへ。ここで事前に選んでおいたお土産を買い、大きな荷物を携えつつ駅近くの『ももどり駅前食堂』へ。
買い物を済ませてからここで飲んで帰るのが、盛岡での最近のお決まり。というのも、いつも新幹線の時間ぎりぎりまでついつい呑んでしまうから。さっそく冷たいビールで喉を潤し、お気に入りのこの2品から宴をはじめることに。
このお店の名物である、沢内わらび。しゃきしゃきとした瑞々しさやここちよいぬめり、香るほんのりとした山菜らしさが堪らない。ほどよい濃さに煮られた身欠きニシンに宿るのは、乾物ならではのほろりとした凝縮感。そこに添えられた薄味のふきとの相性のよさに、岩手の酒がはやくも進む。
そして今宵ももちろん、ももどりを。しっかりと漬け込まれた鶏もも肉を、一本まんま香ばしく焼き上げた逸品。バリっとした皮目の食感、それとともに溢れる肉汁。舌を駆けめぐる旨味とスパイシーさは、一度食べるとやみつきに。
今日はちょっとばかり、お昼を食べすぎた。17時以降はおつまみの種類も増えるため、まだまだ食べたいものはたくさん。そんな欲張りをどうにか抑え、大好物のじゃじゃ麺で〆ることに。
茹でたて熱々に、にんにくやラー油を加えてひたすら混ぜ混ぜ。全体に肉味噌が行きわたったところで、待望のひと口。その刹那、思わずため息とともに笑みも零れる。
茹であげたまま、水洗いしないからこそのでんぷん質。そのもったり感に、まとわりつくように絡む肉味噌。このもっちりぺとぺととした濃密な旨さの魅力は、一回とは言わず二度三度食べないと分からない。
口のなかをさっぱりとさせてくれるきゅうりや紅しょうがをときおりはさみつつ、旨い旨いと手繰る箸が止まらない。みるみるうちに麺は減ってゆき、名残惜しくも最後のひと口。旨かったなぁ。じゃじゃ麵のもつ魔力に今回もまんまとやられ、大満足でお店を後にします。
ここまで満喫すれば、もう思い残すことなどない。今年もこうして、夏のみちのくと遊べた。これまで重ねてきた13年という逢瀬が、来年以降も必ずあると信じさせてくれる。
今年も善き夏を、本当にありがとう。そして次は、どの季節にまた逢おうか。僕にとって東北とは、信州や八重山とともにある意味こころの拠りどころ。そう思える地が、故郷以外にある。この心強さをもらえただけでも、旅という趣味を続けてきた意味がある。
十年前は、こんな旅の終わりなど想像できなかった。あの頃は、愛する地との別れが辛くて寂しくて。三十半ばの僕にはまだ、その先の未来がまったく見えていなかった。そんな日々を抜けられたのも、自分の軸となる変わらぬ生き甲斐があったから。
みちのくの人々の想いが熱さを紡ぐ、祭りの滾り。いで湯や鉱石を生む、地の力。この旅は、そんなふたつを存分に浴びる日々だった。
ことばも気候も違うけれど、同じように日が昇り暮れてゆく。愛する東北は、僕の住む街と間違いなく地続きだ。13年という夏を重ね、今はこころ穏やかにこう断言できる。
今年も熱い夏だった。よし、また来よう。今夏の記憶を種火として胸へとしまい、来夏の熱さに向け新たな日々を歩みはじめるのでした。
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