台温泉で迎える静かな朝。薄暗い部屋でふと目覚め、時計を見れば6時半過ぎ。見計らったかのように、ちょうど本館のお風呂が開く時間。ささっと浴衣を直し、露天風呂へと向かいます。
脱衣所から洗い場を抜けると、そこに待つのは大きな岩風呂。ゆうに10人は入れそうな大きな浴槽には、無色透明の清らかな源泉が滔々とかけ流されています。

冷えた体にざっとかけ湯をし、そろりそろりと湯のなかへ。こちらに引かれているのは、台の2号泉。源泉温度は86℃以上と高温ながら、このときは加水もなくちょうど良い湯加減に。
別館の1号泉と比べ、こちらの湯はさらりと穏やかといった印象。ふんわりほんのり漂う湯の香、肌にしっとりと吸い付く優しい浴感。入った瞬間こそちょっとばかり熱めに感じますが、すぐに体は慣れ内側からじんわりゆるりとほぐれてゆくような感覚に。

木の囲いの隙間から吹き込む朝の凛とした空気に包まれ、ひとりのんびり湯の温もりに揺蕩う至福の時間。そんな旅先でしか味わえぬ朝の贅沢にこころを染めていると、あっという間に朝食の時間に。

別館の個室へと向かうと、食卓にはおいしそうなおかずたち。素材の風味を活かすうす味のひじき、手づくりの温もりを感じる甘辛いきんぴらごぼう。肉厚なハムステーキにだしのきいた上品な煮物と、どれもほかほかの白いご飯に合うものばかり。
温泉卵には野菜とシーザードレッシングが合わされ、サラダ風で味わうあたらしいおいしさ。香ばしいごまだれがうれしい小松菜にめかぶ、焼き海苔と、旨い旨いとおひつ丸ごとお茶碗3杯分を完食します。

案の定朝から大満腹となり、敷きっぱなしの布団に直行。うつらうつらと連泊だからこその甘美な怠惰に揺蕩い、午前の部最後の一浴をとふたたび露天風呂へ。柵の隙間から覗く真っ白な雪と抜けるような青空の爽快な対比をこころに刻み、だらだらと湯あがりを過ごしているともうお昼前。
昼食代わりにと、昨日新花巻駅前のお土産屋さんでお菓子を調達。岩手といえばの南部せんべいにも魅かれましたが、今回はかりんとうの詰め合わせを買ってみることに。
これがもう大当たり。釜石のかとう創菓という会社が作っている、さまざまな種類のかりんとうの詰め合わせ。ごまのきいた薄いものや、ほどよい甘味のうずまきのかけら。なかにはしょっぱいものも混ざっており、その旨さと軽さから気をつけないと延々と口に運んでしまう。
東北に来るとたまに目にする、平たいかりんとう。これまで何度か口にする機会がありましたが、そのたびごとに惚れてしまう。いわゆる棒状のものももちろん好きですが、しつこさのないなんとも言えぬあとを引く感じがたまらない。

昨晩ちょっとばかり残しておいた南部関とかりんとうという、魅惑の組み合わせ。そんな大人なおやつを味わいつつ、ふたたび身を委ねるのんべんだらりとした至福の時間。あぁ、ゆるゆるだ。そんな人をだめにするような甘いひとときを過ごしていると、午後の部のお風呂がはじまる時間に。
本館に2か所ある浴場は男女入れ替え制。午前中は露天風呂、午後は内風呂が男湯に。浴室内へと入れば、立ち込める湯けむり越しに顔を覗かせる渋い空間。シンプルなタイル張りが、お湯と静かに向き合う時間を与えてくれる。
こちらに使われているのも、露天風呂と同じ2号泉。浴感おだやかで肌なじみがよく、それでいて心身の芯からじんわりとしっかり温めてくれる。大沢、山の神、鉛もそうだが、花巻の湯はなぜこうも無色透明で清らかながら力を感じるのだろう。

雰囲気もさることながら、浴感も異なる本館と別館それぞれの湯。甲乙つけがたい至福の湯浴みにすっかりと茹だったところで、喉へと流す冷たい幸福。本当に、この瞬間があるから頑張れる。掛け値なしに、最高だ。

こうブログに記してみると、浸かって食べて飲んでだらけるだけ。一見ただそれだけしかしていないように見えるのに、実はその怠惰な時間のもつ密度というものは計り知れない。あっという間に愉しい時は過ぎゆき、もう2晩目の宴の時間が。

食事処へと向かえば、今宵もおいしそうなものが食卓いっぱい。さっぱりと上品な小肌の酢の物に、ぴりりとした辛味と香ばしさがおいしいベビーほたての食べるラー油がけ。ねぎの豚巻き揚げは噛めばさくっとした衣の奥からとろとろ甘旨があふれ出し、すぐさまあさ開で追いかけたくなる。
そして驚いたのが、大根のそぼろ煮。ほんのり甘い薄味で煮られたジューシーな大根、それに合わせる鶏そぼろは絶妙な甘辛さ。それぞれに合う味付けを施し、それらを淡口の餡でまとめ合わせる。シンプルながら手の込みようが伝わるおいしさに、ため息交じりに箸を進めます。
そして今宵のメインにと選んだのは、ほろほろ鳥の水炊き。これがまた忘れられない旨さ。見るからに赤みの強い肉は、決して硬くはないがしっかりとした肉感あふれる弾力。噛めば驚くほど濃い鳥の味わいがぶわっと広がり、こんなおいしい水炊きの鳥肉は食べたことがない。

今夜も、どれを食べてもおいしいものばかり。一皿ひと皿が愉しく、食べ呑み進めているとあっという間に地酒もからっぽに。ご飯の前に茶碗蒸しを食べようか。そう思いさじを入れてみると、なんともうれしい小田巻蒸し。ひさしぶりに食べたけれど、うどんとふるふるの玉子って禁断の組み合わせだな。
そして満を持して迎える、至福の〆。これはご飯に合うだろうと残しておいた、脂ののった香ばしいぶりカマの塩焼き。もっちもちとした甘さに一口ごとに感動するひとめぼれが、あっという間にお腹のなかへと消えてゆく。
そんな米っ喰いの食欲中枢を破壊するのが、ごろごろと大きな里芋がたっぷりと入った豚汁。口へと含めば、ぶわっと広がる味噌の洪水。とにかく、味噌が濃い。しょっぱいという意味ではなく、味噌の風味が分厚く深い。発酵食品ならではのボディのある豊かな味わいに、白いご飯との往復が止まらなくなる。

昨日はお茶碗2杯分くらいとお願いしたが、今夜は伝えるのを忘れてしまった。朝食に続き3杯もご飯を平らげ、ぱんぱんを通り越してぱっつんぱっつんになってしまったお腹を布団の上で落ち着かせます。
ようやく苦しくなくなったところで、ふたたびお湯へ。三者三様、いずれも甲乙つけがたい魅惑の浴場。どれにしようかとちょっとばかり逡巡しつつ、別館の万寿の湯へと向かうことに。
しっかりと熱い、清らかな源泉が満たされる湯船。静かに肩まで沈めば、ざざぁと小気味よい音をたてて溢れてゆく。その艶やかな湯がレトロな豆タイルを撫でゆく様があまりにうつくしく、この宿に来てもう何度目かわからなくなった深いため息が自ずと漏れる。

本当に、しみじみと満たされる豊かな時間だ。そんな一日を締めくくるのは、地元花巻はエーデルワインの醸すコンツェルトロゼ。
ひと口含めば、口から鼻へとふわっと広がる華やかさ。ここちよい酸味とほどよい甘味のなかに締まりと深みを与える、ぶどうの皮のほんのりとした渋み。赤と白の良いとこどり、そんな表現がしっくりくる飲み飽きない辛口に思わず唸る。

岩手の恵みにほんのり火照りを感じ、善き時間になったところで今宵最後の一浴へ。濃密だった今日という日を静かに終えるべく、夜の静けさに包まれた釜の湯へ。
浸かった刹那、肌を通して心身の芯へとぐいっと圧してくる力強さ。目を瞑りその感触を噛みしめていると次第に圧のベクトルは逆転し、今度は自身の内部からゆるりほぐされ溶けだしてゆくような感覚に。
この澄んだ湯に、一体どんな力が宿っているというのだろう。本当に、温泉とは不思議なものだ。漂う湯の香と湯力を胸いっぱいに吸い込み、あらためて花巻という湯の魔境にどっぷりと心酔するのでした。



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