気付けばふらり、信濃路へ。~春の花味湯寺社旅 2日目 ③~

幻想的な融雪霧に包まれる戸隠の里

戸隠神社中社をあとにし、更に山深い場所に位置する奥社を目指します。雨は本降りになり、旧参詣道に残る雪も手伝って足元の状態は最悪。今考えれば車道を行くという選択肢があったにもかかわらず、なぜか古道に執着してしまったのです。

そんな残雪深い旧道を一旦抜け、別荘やペンションがちらほらと並ぶ車道へと出ました。時折雪を踏み抜きつつ歩いてきたので、このアスファルトの堅牢さが逆に心地いい。人の暮らしの気配に、ほっと一息つきます。

残雪から立ちのぼる融雪霧
足元は舗装路に変わったとはいえ、残雪に埋もれた戸隠の里の幻想的な雰囲気は変わらず。歩みをゆるめて視線をずらせば、一面の残雪から立ちのぼる霧に白樺の姿がけむっています。

残雪越しに眺める戸隠の山並み
更に進むと、遠くには戸隠の山並みが。残雪の白さが造る陰影が、その山の険しさを浮き彫りにするかのよう。この美しくも険しい信州の山に、昔の人々は神を見たのでしょうか。

戸隠神社奥社鳥居
中社から雪と雨に阻まれつつ歩くこと30分と少し、奥社の入口である鳥居に到着。といってもここは本当の意味での入口。奥社までは片道40分程度の道のりがあります。

戸隠神社奥社随神門
鳥居からまっすぐのびる参道を歩くこと20分程、赤い色と茅葺が印象的な随神門が現れます。こんな雨にもかかわらず、意外にも参拝者の姿がちらほらと。

初めての戸隠、それも雨と融雪霧にけむるという幻想的すぎる雰囲気に気圧されていた僕は、人の姿にまたも胸をほっと撫で下ろします。この感覚は単に天候のせいなのだろうか、それともこの地の持つものなのか。はたまたこの日の僕が、変だったのか。未だに分かりません。

戸隠神社奥社参道に連なる荘厳な杉並木
門を過ぎると突如現れる荘厳な杉並木。樹齢の古さを思わせる杉が整然と参道を守る姿は、まさに圧巻のひと言。見上げれば首が痛くなるほどの高さと、その根元に漂う白い霧。も全身びちゃびちゃですが、この空気感を味わえただけでもやって来た甲斐があるというもの。

4月下旬雪に埋もれる戸隠神社
先ほどの随神門が鳥居から奥社までの中間地点。あくまでも距離や時間上、ということですが。あの荘厳な杉並木の後、参道の姿は徐々に変化。勾配はきつくなり、道は坂から段へ。足元に残る雪の深さも一層増し、それはもう冬山登山の様相へ。

幸いたまたま防水のトレッキングシューズを履いて行ったので、滑らず濡れずに済みました。ですがこれが普通のスニーカーだったとしたら、間違いなく奥社まで行くのは危険。実際転んでいる人も見かけました。

これは本当にリサーチ不足。4月下旬、麓では桜も散る頃なので雪のことなど全く考えていませんでした。もしこの時期に戸隠神社を訪れるなら、ぜひ滑りや濡れに強い装備でお出かけください。麓とは季節が全く違います。

歩いても、登っても、姿を見せない戸隠神社奥社。余りにも心細くなり、途中で何度引き返そうかと思ったことか。それでも上を目指し、息を切らせて積雪の山道を登り、ついに社殿が姿を現しました。その瞬間の嬉しかったこと。そして、神社という存在に強い安心感を覚えたこと。

しばらく立ち尽くし、上がった息を落ち着けてようやくお参り。下調べ不足で軽装で来てしまったというばつの悪さを感じつつ、初めて戸隠を訪れることができたことのお礼をします。

本来なら隣の九頭龍社にもお参りしたいと思いましたが、もうそこは雪だらけ。道も見つけられなかったので、次への宿題として置いてきました。山を舐めたらいけないよ、山岳信仰の地で神様にそう言われたような気がします。

バス停に降りたときから雨が降り、進むごとに増えてゆく残雪の量。途中でやめようかと何度も頭をよぎりましたが、なぜかこの日の僕は、危ないほどに頑固だった。

行かなければ。どうしても行きたいんだ。そんなどこから来るでもない必要性や使命感を感じてしまい、自分の中に引き返すという選択肢はありませんでした。

ですが、こうして奥社まで到達して感じた、予期せぬ達成感。それは霧のように、僕の中にすっと浸みこんでいきました。帰りは何となく足取り軽くバス停まで下山。きっと行く意味があったのでしょう。それも雪残る季節の雨というタイミングで。そう思えるほどの幻想的な空気が、戸隠の山には満ちていました。

長野駅近くそば居酒屋もみじ茶屋
帰りは鳥居の目の前に位置する「戸隠奥社入口」バス停より『アルピコ交通』の長野バスターミナル行きバスに乗車。心地よい疲労感にうとうとしつつ、約70分で長野駅に到着。

ここで最後の信州グルメを。新幹線で一本だと、こうして晩酌まで旅先で味わえるのが嬉しいところ。信州の〆にと選んだのは、前回も訪れた『もみじ茶屋』。手打ちそばも食べられる居酒屋さんです。

長野駅近くそば居酒屋もみじ茶屋選べる晩酌セット
まず注文したのが、色々な味を楽しめる「選べる晩酌セット」。A・B・Cの料理からそれぞれ一品ずつ、計3品のおつまみにアルコールが付いて1800円というお得なセットです。

僕が選んだのはこの3品。信州サーモンのお刺身は臭みが全くなく、それでいて旨味が凝縮された美味しさ。長野へ来たら信州サーモン、外せません。

右上はふきみそ豆腐。この時期ならではのふきのとうの香りが心地よく、ビールから地酒にすぐにでも切り替えたくなる旨さ。信州の誇る味噌に、春の香りの強力タッグ。シンプルながら間違いのない逸品。

そして左は、例のごとくのいなごちゃん。もう散々このブログでも書いてきたので、躊躇なくそのお姿を晒してしまいます。

この見た目だけで食べられない人は、人生の6.4%くらいは損してる。虫だと思って、バカにしてはいけない。虫だと思って、敬遠してはいけない。これで飲む長野の地酒若緑は、この地だからこそ味わえる贅沢。

長野駅近くそば居酒屋もみじ茶屋うどのきんぴらとはちのこ
続いて注文したのは、これまた春に美味しいうどのきんぴら。自分で作ると結構うどのクセが出るのですが、これは必要十分の薄味にもかかわらずアクもなく上品な美味しさ。しゃきしゃきと噛めば、信州の酒が欲しくなります。

そしてやっぱり、BeeMyBaby!実はこのお店で初めて食べて以来、大好物になったのです。最初はもっとイモ~な見た目を想像していたのですが、こんなに小さいとハードルもぐんと下がるというもの。

そして何よりとても旨い。甘露煮なので甘味があるのは当たり前なのですが、後付けの甘味だけではなくはちのこの持つ自然な甘みを感じるのです。そしてプチプチと噛めば溢れる滋味。コクや旨味と言えばいいのか、何とも控えめながら分厚い味わいが広がります。

長野駅近くそば居酒屋もみじ茶屋どじょう鍋
おいしいつまみの数々に、すでにガッツリいい気分。そこで〆にとどじょう鍋を注文。信州でどじょうを食べるつもりもなかったのですが、前回福島で食べられなかったのでついつい頼んでしまいました。

これまで唐揚げ以外でどじょうを食べたのは柳川鍋だけ。なのでこのようなタイプのどじょう鍋は初めて。細いものから太いものまで、たっぷりのどじょうが入っています。

これ、テレビで見るやつ。太いどじょう、いけるかなぁ。自分で頼んでおきながら、太いどじょうが煮えているビジュアルにちょっとだけひるんでしまいました。が、もう僕は怖くない。蚕だっていけるんだから!

たっぷりのだしと、限りなくふんわりと優しく固まった卵。そこに隠れたどじょうをひと口噛めば、ふわっと溶けてなくなるような軽い食感。あれ?どじょうくん、骨はどうしたの?と思ってしまうほど、口どけがいい。

なにより驚いたのは、臭みのなさ。お世辞でクセが無いですねぇ、というのではなく本当に臭くない。これまで食べたどじょうもおいしかったのですが、こんなに繊細な旨味を持ちながらクセのないものは初めて。

僕は小さい頃から煮えた太いどじょうの見た目が苦手。どうしても子供の頃に売られているもので感じた臭さを思い出してしまうのです。なのでこれまでも唐揚げや濃いめの味付けの柳川といった、比較的食べやすいだろうと思う料理でその美味しさを楽しんでいました。

そして今回のどじょう鍋。見た目の通りだしは薄味で、ふるふるとした玉子の食感もあいまって言わば上品な茶わん蒸しといった印象の味付け。それなのにどじょうのクセが全く見当たらない。

それどころか、どじょうを頬張るとほんの少しの骨の感触だけを残して、旨味を残してふわっと消えてゆく。どじょうって、こんなにおいしい魚だったんだ。見た目とは裏腹に、余りにも上品で繊細な旨さに驚きました。

ほろ酔いで歩く夜の長野駅前
どじょうをあれほどおいしく調理してしまうご主人。だからこそ、他のお料理も全て旨い。今回は別のお店を試してみようと思っていたのですが、今夜もここで大成功。大満足の千鳥足で、夜の長野を歩きます。

雨に濡れる夜の長野駅
いやぁ、濃かった。ここ数年、旅の日程は長期化の一途を辿ってきました。簡単には休みが取れないため、取ると決意したときには気合を入れてまとめて休んでいたのです。

でも最近、それすらままならない。そこでついに手を出してしまった、一泊二日、禁断の旅。これを知ってしまうと、取り返しのつかないことになってしまう。年休を取らずとも行けてしまうなんて、余りにも旅のハードルが下がりすぎる。

ライトアップされた夜の長野駅大庇
そしてその心配は、現実のものに。だってさ、今回の旅も負けず劣らず濃厚だったんだもん。東京から1時間半で、この別天地。こんな時間に酔っぱらって長野にいても、21過ぎには東京に着いてしまう。

日程の長期化もそうですが、なるべく遠くへ行きたい病にも掛かっていた僕。でも今回の旅で目を覚ましました。遠くで何をするかではなく、どこで何をするか、なんだと。

日程の長さ=旅の充実度。移動時間の長さ=非日常感。そう思い込んでいた僕は、馬鹿だったなぁ。でもそれも、自制という面ではある意味正解なのです。だって、手軽にこんな良い旅があることを知ってしまうと、際限なく手を出してしまうから。

花に味覚、温泉に神仏の気配。昨日今日とその豊かな恵みを存分に味わわせてくれた、信州長野。やっぱり僕はここが好きだ。旅するごとに好きな場所は増えれど、僕の中で東北甲信は特別な場所。

長野は一泊でも、充分長野だった。ここへ来て、本当に正解だった。温かく輝く大庇を見上げ、今宵は潔く東京へ戻ってやる気持ちになれたのでした。