明治の初めから昭和の終わりまでの長きに渡り、働く人と住む人の記憶が染みついた富岡製糸場。首長館でその片鱗に触れ、心は一層昭和色に。
女工さんの暮らしていた寮を彩る梅の花。一つ間違えばただの廃墟になっていたものが、今でもこうして人々の記憶と共に大切に守られている。やはり文化財や国宝、世界遺産といった制度の力は大きいものなのでしょう。
その奥、立ち入り禁止のエリアに建ち並ぶ、さらに渋い佇まいの木造2階建ての寮。仕事も生活も全て同じ敷地内で過ごす。その経験のない僕にとって、どのような気持であったかなど想像すらできない。
製糸場の下を流れる鏑川越しに臨む、上州の山並み。幾重にも重なる低い山々を、人々はどのような思いで見ていたのでしょうか。
昭和×女工、そんな勝手な想像によりこれまた身勝手に切なくなったところで出口へと向かいます。その道には当時の気配が色濃く残り、いま子供が飛び出してきてもおかしくないほど。
生活感の残る小径の脇には、これまた郷愁を誘う木の電信柱。木の電柱自体見かけなくなりましたが、そう言えば電信柱という言葉自体も触れることがなくなった気が。
あぁだめだ、好きすぎる。前回訪れた際にも思ったのですが、現存する見事な明治建築もさることながら、敷地内全体を包む昭和感が堪らない。これこそが僕にとっての富岡製糸場最大の魅力。自分の心の中の何かが、強く激しく共鳴するかのよう。
ここで大切にされているのは、建物や機械といった形のある遺産だけではなく、人々の残した記憶の遺産。古い変電所の室内には、1956年のカレンダーが取り残されている。ここだけは、60年以上も時が止まったまま。
名残惜しいけれども、そろそろ行かなければならない時間。最後に何かあるかと突き当りまで行ってみれば、そこには取り残されたかのように建つ、古い木造の社宅。
夕陽に染まる巨大な製糸場と、小さな社宅。この眺めは、現役当時ときっと変わらないはず。ここには人々の営みが確かにあったということを強く実感させる、胸を締め付けるような強烈な郷愁。
世界遺産、富岡製糸場。ここでやっぱり思うこと。それは世界遺産だから凄いのではなく、唯一無二の存在だから世界遺産になったのだと。
もし富岡製糸場を訪れるなら、目を引く建物だけでなく、そこに隠された文明開化から昭和末期までの匂いも感じてほしい。2度目の訪問を終え、その気持ちは一層強くなるのでした。
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