久々の鉄道旅を楽しむこと2時間足らず、長野駅に到着。各停タイプのあさま号とはいえ、この時間で着いてしまう。信越本線時代とは比べ物にならないほど、長野は本当に近くなりました。
この街をこうして歩くのは、もう何度目だろうか。記事にはしませんでしたが、実はちょうど一年前にも訪れていたこの地。何度来ても、また来たくなる。長野を訪れる度に、なんとなくほっとした気持ちになるのです。
歩き慣れたこの道も、今日は錦を纏い秋色に。歴史ある参道の脇を固める渋い街並みに、全力の赤みを添える鮮やかな紅葉。朝の空気と共に、秋という季節が体にすっと染み入ります。
季節を感じ取り、それぞれの色味に染まる紅葉の並木。その鮮やかなグラデーションは、これ以上ないというほどの説得力をもった秋。自然の放つ豊かな色彩が、乾いた心を季節で満たしてくれるよう。
やっぱり旅は良い。ようやく出会えた季節のリズムと、その瞬間を長野で迎えることのできたという悦び。もともと旅は好きだけれど、東京から出られないという不自由さを経て、その想いは一層深まるばかり。人工物で埋め尽くされた故郷の中だけでは、僕はきっと窒息してしまう。
好きな街で、久々に浴びる天然色。紅葉越しに秋の陽ざしが降り注ぎ、その温もりがガチガチに凝り固まった気持ちまでほぐしてくれるよう。やっぱりここに来て、正解だった。いつしか心も旅モードに切り替わり、やっと自分を取り戻せた気がする。
東京で冷凍されていた自分がようやく解凍されたところで、宿坊の並ぶ善光寺さんの参道へ。雲ひとつない秋晴れの空と、門前を彩る秋色の木々。その晴れやかさが、今の僕の心を表してくれているかのよう。
仁王像が睨みを利かす仁王門。その背後には、抜けるような青空にくっきりと映える秋色の稜線。高さを感じさせる秋空とのコントラストに、思わず背筋がのびる感覚を味わいます。
重厚な山門には立派な扁額が掲げられ、牛と鳩が行き交う参拝者を静かに見守ります。その渋さに華を添えるかのように色づく、一本の銀杏。もしかしたら、秋の一番いい時期に来ることができたのかもしれない。
その予感はすぐさま確信に。茅葺の鐘楼は鮮やかに染まる紅葉に囲まれ、日本の秋というものを体現したかのような姿。境内を包む凛とした空気感と共に、自分の奥に何かをすとんともたらしてくれるよう。
300年以上もの間、風雪や自然の猛威に耐え続けてきた本堂。内陣には木造とは思えぬ広大な空間が広がり、歴史の刻まれた荘厳さに包まれます。
そこに座り、しばし静かに過ごす時間。思い返せば11年前、初めてお参りした時はまだ20代。それから何度か訪れていますが、その時ごとに浮かぶ思いが違う。そして30代最後の歳である今、これまでで一番何も考えずにぼんやりしていられる。
呼ばれるかのように、ふと思い立ったようにお参りしたくなる時がある。新米主任から、様々な経験を辿り今に至るまで。その道中、幾度かお参りしたけれど、抱える荷物が段々と減ってきている気がする。その変化に気づかせるために、ここへと呼んでくれているのかもしれない。
1年振りにお参りする、善光寺さん。たった1年、されど1年。世の中の環境も変わったけれど、僕にとっては大きく成長できた1年だった。そう自分を褒める日が来るなんて、11年前には考えもしなかった。
宗派を問わず、誰でも迎えてくれる善光寺。その懐の深さを感じるからこそ、素直に自分と向き合うことができるのかもしれない。11年を経て感じた手ごたえを善光寺さんにもらい、秋色の境内へと向かうのでした。
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