畳に転がり、肌に感じる冷たさに湯上りの火照りを癒す夕刻のひととき。灯りも点けずぼんやりと過ごしていると、いつしか部屋に忍び寄る宵の気配。もう間もなく日は暮れ、夕餉の時間を迎えます。
古き良き木造の温もりを感じる本館の一室で、今宵の宴を始めることに。まずは食前酒のパイナップルワインで乾杯し、先付を。
焼茄子胡麻掛けは、とろりと甘みのあるなすにごまの香ばしさが好相性。苦瓜きんぴらは心地よい苦みが活かされ、真似したいけど絶対にまねできないと一瞬で悟ってしまうような繊細なおいしさ。
夏の日八寸には、地酒を進めてくれるいろいろな味覚たち。鬼灯に見立てられたトマトベーコン巻きは甘酸っぱくジューシーで、梅貝旨煮も間違いのない旨さ。玉蜀黍豆腐は夏の名残りを感じさせてくれ、いぶりがっこクリームチーズ和えも鉄板の組み合わせながらこれまた繊細さを感じさせる上品な味わい。
そのお隣は酢の物、小肌の豆苗巻き。ちょうど良く〆られた小肌の旨味と豆苗の食感を、さっぱりとしたジュレでいただきます。添えられた胡瓜や茗荷も相まって、爽やかさ溢れる絶好のおつまみに。
続いて運ばれてきたのは、お造りと台物。ひらめや帆立といった海の幸の新鮮さもさることながら、驚いたのは蔵王鱒の旨さ。噛めばコリっ心地よい歯ごたえがあり、それから追いかけてますのもつじんわりとした旨味が口へと広がります。淡水魚、好きだなぁ。
隣の国産黒毛和牛味噌胡麻鍋はピリ辛の味付けで、見ての通りのおいしい牛肉がコクとまろやかを纏い絶品の旨さに。後々満腹になると知りつつも、思わずつゆまで残さず平らげます。
どれもおいしいお料理ばかりで、いつも以上に地酒が進んでしまう。おかわりを頼んだところで、ほっとひと息つかせてくれる伊達椀が。香り豊かなおだしには魚素麵やじゅんさい、枝豆豆腐が浮かべられ、上品なその味わいはお腹にたどり着く前に体へと沁みこんでゆくよう。
おだしの余韻に浸っていると、続いて冷たいお蕎麦が運ばれてきました。こちらは地元川崎町の有名な川音亭というお店の手打ち蕎麦だそうで、細い見た目からはイメージできないしっかりとしたコシが印象的。啜った瞬間思わずうぉっ!と声が漏れ、個室で良かったとひとり苦笑します。
一品一品時間を掛け、地酒とともにゆったりと味わう豊かな時間。熱いものは熱いまま、冷たいものは冷たいうちに。久々に味わう味覚とゆとりの贅沢に心酔していると、続いて蛸柔煮が。
まずは見るからに柔らかそうなたこを。これまでも柔らかいたこの煮物は食べたことはありますが、この柔らかさはちょっと衝撃的。それでいて旨味や風味は損なわれず、噛めば丁度良い甘辛さの中からじんわりとたこのおいしさが溢れてきます。
本当に出てくるもの全てがみんな旨い。いい宿に出逢えたな。そんな満足感に包まれていると、今度は坊ちゃんグラタンのお出まし。坊ちゃんかぼちゃが丸ごと使われており、その器ごと味わうことができます。
しっかりと火の通された坊ちゃんかぼちゃは、瑞々しさを感じさせる食感と程よい甘さが美味。込められたグラタンはホワイトソースがとてもおいしく、かぼちゃと合わせれば自然と笑みがこぼれるような優しい味わいに。
器のかぼちゃまで平らげだいぶお腹もきつくなってきた頃、更に茶碗蒸しが運ばれてきます。ふるりとした優しい茶碗蒸しを覆う、上品なおだしの餡。そこにはうなぎが載せられ、穏やかな茶碗蒸しの中に程よい存在感を放ちます。
そして〆は、宮城のおいしいご飯とお味噌汁。ほかほかつやつやのご飯は、宮城産のひとめぼれ。ふっくらと甘味があり、お米好きには嬉しいおいしさ。豚汁には仙台名物の油麩が浮かべられ、これがまたコク深いおつゆをじゅんわりと吸って絶品に。もう豚汁には、油麩を義務化したほうがいいと思う。
最後は桃のコンポートで締めくくり。食感を残すように火を通された桃は、コンポートながら瑞々しさを感じさせるフレッシュ感。甘すぎずの丁度よい塩梅に、お酒で火照った口が心地よくクールダウンされゆくのを感じます。
結局おひつのご飯まで全部平らげ、もうお腹はどうしようもないほどパンパンに。出てくるもの全てが好みというなかなか味わえない満足感に包まれ、灯りにより一層情緒を増した廊下を歩きます。
長い長い階段を登り、敷かれていた布団に転がりのんべんだらり。ようやくお腹も落ち着いたところで、お風呂へと向かいます。不忘閣にある2つの貸切風呂は予約不要。そのひとつである蔵湯浴司は、フロント横に大きな木札が置かれていれば今入れるという証。その木札を持って、重厚な蔵の横にのびる石畳の通路を進みます。
この宿に7棟ある国の登録有形文化財のうち、3つ並ぶこの蔵もその一部。美しいなまこ壁と石畳の情緒を味わいつつ進んでゆくと、浴客を迎えるかのように鎮座する重厚な蔵の扉へと誘われます。
重たい引き戸を開けた瞬間、眼に飛び込むのはこの光景。美しい。ただその言葉しか、出てこない。かつて穀蔵として使われていた大きな蔵に、ひのきの湯舟がぽつんとひとつ。
120年以上もの長きに渡り、積雪にも耐えこの大きな蔵を支えてきた太い梁。自然の曲がりを活かしつつ張り巡らされるその姿を愛でつつ湯に身を沈めれば、ここでしか経験できない唯一無二の至福に抱かれる。
木と土、自然素材だけで造り上げられた巨大空間の中、青根の湯を独り占め。自分のためだけに掛け流される源泉はどこまでも澄み、心の芯まで洗い流してくれるよう。
本物の蔵の中での湯浴みという貴重な経験に圧倒され、火照りを心に宿し部屋へと戻ります。その余韻に浸りつつ傾けるのは、美里町は川敬商店の黄金澤山杯純米酒。酸味や味わいはしっかりしつつも、すっきりと飲めるおいしいお酒。
今宵の〆は、青根温泉の生き証人ともいえる大湯金泉堂へ。ここは2006年まで青根の共同浴場として使われていたものを、湯船そのままに建て替えた湯屋だそう。現在は湯元不忘閣専用の浴場となっています。
きらきらと、銀箔のように美しく輝く清らかな青根の湯。その源泉を湛える石組みの湯舟は、480年近くも前の戦国時代に造られたものだそう。伊達政宗公も入浴したとされる湯舟が現存し、さらには現役で自分も浸かれるなんて。もう本当に、この宿での湯浴み体験には圧倒されるばかり。
戦国の世から湯を湛え続けてきた石の肌触りを感じつつ、さらりとした湯に揺蕩う静かな時間。湯の落ちる音に目を閉じ無心になれば、いつしか自分の過ごしてきた時間など一瞬でしかないのだと思えてくる。
21代続く、伊達家ゆかりの宿で過ごす夜。青根御殿見たさで宿泊を決めたけれど、そこがこんなに良い宿だったなんて。お湯良し、味良し、情緒良し。戦国時代から紡がれてきた歴史の瞬間に身を委ねることの幸せを噛みしめ、青根での夜は静かに、しかし深く心を染めゆくのでした。
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