老神温泉で迎える静かな朝。その穏やかさに誘われ、赤城の湯で朝風呂を。ぬるめのお湯に身を投げ出し、ただただぼんやり揺蕩うだけ。そんな贅沢に、日々のあれこれが溶けてゆく。
朝からゆるゆると解れたところで、お待ちかねの朝ごはん。朝食も部屋食のため、自室に居ながらにしてのんびり味わうことができます。
香ばしく焼かれた鯖に、上品な味わいのおからやひじき、野菜の煮物。食卓で焼く目玉焼きやお味噌汁の熱々も嬉しく、ほかほかの白いご飯が進みます。
特に印象深いのが、ご飯とともに出されたおかゆ。固すぎずゆるすぎずの絶妙な塩梅で、とろりとした温もりとともにお米の甘さがすっと沁みてくる。添えられたザーサイをのせれば味わいが変化し、普段おかゆを食べない僕ですがこのじんわりとしたおいしさは癖になりそう。
おいしい朝食に舌鼓を打ち、お腹も落ち着いたところで再びお湯へ。まだ入っていなかったしぶつの湯へと向かいます。
広々とした浴槽に浸かり、のんびり眺める至仏山の大きな壁画。さらに脇の階段を下ってゆけば、水鏡と名付けられた小さな露天風呂も。湯の花舞うとろりとしたお湯に身を委ねれば、自ずとほっと息が漏れてしまう。
午前から温泉三昧。そんな連泊ならではの贅沢に浸っていると、あっという間にもう11時過ぎ。お昼ついでにちょっとばかり散歩へと向かいます。
宿のすぐ隣に位置する沼田市利根観光会館では、春から秋まで朝市が開催されるそう。その会場をぐるりと取り囲むように建っているのは、大蛇みこし展示館。中には世界最長の108.22mという蛇の御神輿が飾られています。
昔々、戦場ヶ原で繰り広げられたという赤城山の神様と日光の神様の戦い。大蛇に姿を変えた赤城山の神様は矢に撃たれて傷を負い、その矢をこの地に突き刺したところお湯が湧いたそう。そのお湯で傷を癒し、むかでに姿を変えた日光の神様を追い返したという伝説が、追い神転じて老神の始まりだと伝えられています。
そんな大蛇伝説の残る老神温泉を見守る赤城神社。この神社の例大祭では先ほどの大蛇の御神輿が担がれ、温泉街を練り歩くのだそう。
山肌を伝うようにのびる石段を登り、山腹に建つお社にお参りを。初めて老神の湯と出逢えたことのお礼を伝えます。
赤城神社前の坂を下り、突き当りを右へ。川の気配を感じつつ歩いてゆくと、昭和39年架橋の内楽橋へ。2年前に改修された古豪の吊り橋は、今なお現役で人のみならず車両の通行をも支えています。
橋上からは、片品川の刻んだ深い谷を一望のもとに。立ちはだかる山には雪の白さが見え、春はまだまだ先であることを感じさせるよう。
それにしても、結構な高さだな。そう川底を見下ろしてみると、なにやらコンクリートや石垣の遺構が。これは下流にできた薗原ダムによって水位が上昇し水没した、かつての老神温泉街の跡なのだそう。
上流側へも続く遺構も気になりますが、もっと目を引くのが見慣れたあの女の子。渓谷を望む立派な旅館の壁には、なじみのある3割うまい子ちゃんがドンと描かれています。
あの子って、ランちゃんっていう名前だったんだ。この記事を書くときに初めて名前を知ったよ。ということで旅館『東明館』に併設された『ぎょうざの満州』でお昼をとることに。
ランチが食べられるお店が見当たらないなか、食事のみでも利用できるありがたいお店。見慣れたメニューからせっかくなら頼んだことのないものをと、やみつき丼を注文。
渓谷を眺めつつビールを飲み待つことしばし、注文の品が運ばれてきます。スープで口を湿らし、いざひと口。あ、これ、やみつきになるわ。
たっぷりの野菜に豆腐、ごろごろとしたひき肉と具だくさん。それらをまとめるのが、優しい味わいのしょう油ベースの餡。具材の旨味の溶けだしたその穏やかさを唐辛子がピリリと引き締め、これは中華丼とは似て非なる旨さ。餡やご飯の熱さと闘いながら、汗を垂らしほくほく顔で平らげます。
今度近所の満州に行ったらやみつき丼頼んでみよ。旅先だからと選んでみた当たりの品に満足し、宿に戻ってのんべんだらり。浸かっては寝っ転がり、浸かってはビールを飲んで。連泊の甘美な怠惰を知ってしまうと、もう戻れない。
そんな贅沢な時間に揺蕩っていると、あっという間に夕方に。大浴場のひうちの湯で頭を流し、湯上りにぼんやり空を眺めて夕食の時間を待ちます。
あぁ、ずっとこんな時間が続いてくれたら。そんな叶わぬ望みを浮かべていると、チャイムが鳴り夕食が運ばれてきます。昨日とはまた違った献立に、食べる前から期待が膨らみます。
まずは先附の蓬豆腐から。ふんわりと広がる春の香りに、すかさず辛口の赤城山を合わせます。そら豆や桜の薫る百合根紫芋寄せと、前菜も春の彩り。柚子味噌をかけられたうるいは瑞々しく、菜の花とおかひじきの和え物も香りと食感が堪らない。
続いてはお造りを。桜鯛は炙られた皮目が香ばしく、刺身湯葉はとろりとしたクリーミーさと豆の濃さを感じさせるちょっとした歯ごたえが美味。大岩魚はもっちりとした身に滋味深い旨味が詰まり、山ならではの恵みに地酒が進みます。
これまた季節を感じさせるのが、甘鯛桜道明寺蒸し。白身のふんわりとした味わいを道明寺粉が優しく包み、上品なだしの餡に桜の葉の豊かな香りが華を咲かせるよう。
群馬といえばの春キャベツは赤城鶏と炊き合わせにされ、しゃきっとした瑞々しさと甘さの嬉しい味わい。じゃがいもは食感を残しつつ口溶けがよく、ふきやぜんまいも上品なおだしをしっかりと含み旨いのひと言。
さらに今夜も群馬の誇るお肉を熱々で。上州もち豚人参コンソメ鍋は優しいおだしが豚の甘味を引き立て、上州牛のステーキは柔らかさと赤身の旨味の濃さをシンプルに味わえます。
赤城山片手においしい品々に頬をゆるめていると、揚げたて熱々の天ぷらが。わさび菜はしゃきしゃきとした食感とともに心地よい風味がおいしく、程よく熱の入れられたりんごは甘酸っぱさが広がります。
苦みと香りが春を呼ぶふきのとうも地酒によく合い、そして驚いたのが老神舞茸の旨さ。さくっと噛めばぶわっと香りと旨味が広がり、このジューシーさは初めてかも。
いやぁ、今日も本当においしいものばかりだった。ご飯とお吸い物で〆て、食後のデザートを。若女将特製のキウイのブランマンジェは手作りソースの爽やかさが心地よく、種のプチプチとした食感がまた楽しい。
お腹もこころも、言うことなしの大満足。パンパンになったお腹を落ち着け、半分を残した赤城山とともに過ごす老神での静かな夜。
新宿から乗り換え1回で来られる地に、こんな良い湯良い味良い宿があったなんて。またひとつ、危ない場所に出逢ってしまった。湯上りの火照った頬に夜風を感じ、見上げる月にそんなことを想うのでした。
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