八甲田丸の優美な姿に旅することの原点を重ね、続いて駅近くに位置する『ねぶたの家ワ・ラッセ』へと向かうことに。ここを訪れるのも約5年ぶり。その夏に実際運行された大型ねぶたが展示されているため、毎年内容が変わるのも嬉しいところ。
今回は、一体どんなうつくしさが待ち構えているだろうか。そう期待しつつ中へと入ると、まず出迎えてくれたのはサンタクロースのねぶた。目力溢れるサンタの担ぐカラフルな袋には、どんなプレゼントが詰まっているのだろう。
2階へと上りチケットを買い、いざ中へ。入口には、奥へと誘うように連なる金魚ねぶた。ゆらゆらと揺れるその幽玄な姿は、いつ見てもこころを奪われる。
暗い館内を満たす、巨大なねぶたの放つ色彩の洪水。荘厳な世界観にはやくも圧倒されつつスロープを下ると、正面には坂田公時の勇壮な姿が。
今にも水の音が聞こえてきそうな、見事な滝が表現された優美なねぶた。達谷窟伝説に由来する姫待滝が題材となっており、躍動感ある水の流れに思わず目は釘付けに。
背面には、燃えるような紅葉と岩肌に食い込むようにして建つ達谷窟が。闇を赤く染めるその艶やかな姿に、この地を訪れたあのときの記憶が甦る。
その奥には、雪降る吉野山での源義経の家臣と僧兵との戦いを描いたねぶたが。舞い散る雪の繊細なうつくしさに、これを津軽の夏の夜に見たらと想像せずにはいられない。
圧倒的な迫力に心酔し呆然と眺めていると、ねぶた祭りのお囃子を実演するとの放送が。ベンチに座り待つことしばし、館内を満たす笛や太鼓の音色。勇壮でありながらどこか儚げなその旋律に、胸の深い部分が締め付けられる。
いつか青森ねぶたも見に来なければ。毎年そう思いつつ、いまだ実現できていない。弘前とは似て非なるお囃子に、やはりいつかは青森の夏も体感せねばと思わされる。
三国志に登場する、木鹿大王を題材にしたねぶた。象に乗って猛獣を操り、そして妖術を使ったという木鹿大王。溢れんばかりの豊かな色彩美が、網膜を越えてこころの底まで染めてゆく。
もし、初めて津軽の火祭りに触れたのが青森だったら。いやきっと、それでもやっぱり僕は津軽を好きになっていたに違いない。干支をひと回りする間、毎回通い続けてきた弘前ねぷた。今度は休みを取って3泊し、青森ねぶたにも来てみよう。館内を満たす妖艶な世界観に心酔し、改めてそう心に決めます。
先取りの冬を大満喫させてくれた青森とも、そろそろお別れの時間。これから旅の想い出が蓄積されてゆくであろう新駅舎に再訪を誓い、名残惜しくも改札口へと向かいます。
真新しい駅ビルを抜け、ホームへと歩くコンコース。時を経て駅舎も建て替えられたけれど、跨線橋から望むこの光景はあの日初めてこの駅に降り立ったときと変わらぬまま。
青森から特急つがるに乗り、ひとつ隣の新青森へ。夕暮れ前の青白さ。その淡い色味が、旅の終わりという感傷を掻き立てる。
白銀の青森に満たされたという充足感と、胸をちくりと刺す幾許かの切なさ。充実した旅ならではの複雑な心境を抱き、最後にもう一度だけと純白の雪を踏みしめる。
暑い夏には熱い地へ、凍てつく冬には雪国へ。春夏秋冬に逢いに行く、それこそが旅の醍醐味だと思えて仕方がない。冬を迎えに来た今回の旅、決行してやっぱり正解だった。
新幹線コンコースに飾られた、一枚のねぶた絵。これは東北新幹線新青森延伸を祝し、2011年に作成されたねぶたのもの。こうして幾度も青森へとやって来られるのも、はやぶさ号という韋駄天のおかげ。
初めてきちんと津軽を旅してから、もう12年。あの旅で一瞬にしてこころを奪われ、これほどまで通うことになろうとは。訪れるごとに、情が深まってゆく。この県には、そんな不思議な力が宿っているとしか思えない。
若き日の僕が感じた遠い地であるという印象も、今はすっかり過去のもの。そう思えるのは、3時間ちょっとで新幹線が結んでくれているからこそ。重ねてきた逢瀬、その実績があるから前を向いて帰京できる。よし、また来よう。愛する地への再訪を固く誓い、はやぶさ号へと乗り込みます。
流れゆく夜の雪原を眺め金星を味わい、盛岡を過ぎたあたりでワンカップとともに駅弁を開けることに。
列車の時刻ぎりぎりまで吞んで帰るというパターンがここ最近多かったのですが、青森ともなると発つのは17時台。こんな帰宅の途は久しぶりだな。そう思いつつ、まずは津軽の郷土の味を頬張ります。
新青森のお土産屋さんが集まる一画にある、福屋というお店で買ったいがめんち。ぎゅっと詰まった凝縮感、揚げられた香ばしさとともに広がるいかの香りと旨味。こりゃ、ワンカップが進む旨さだ。
続いて、同じお店で購入したあおもり福々弁当を。紅鮭やほたて、とうきびにわかさぎと、ご飯の上に並ぶ青森らしい品々。それぞれの味わいを噛みしめつつ地酒を愉しみ、うにいくらごはんで贅沢に〆ます。
季節は待つものではなく、自ら迎えに行くもの。灰色に埋もれがちな東京での暮らしのなかで、僕はその感覚を大切にしたい。せっかく日本という国土に生まれたのだから、この溢れんばかりの無限のうつくしさ見逃すのはあまりにもったいない。
冬に逢いたい。そんな衝動から生まれた、今回の旅。季節を追い求めたいという想いが続く限り、旅という生き甲斐は手離せない。青森の清らかな白さの余韻に染まり、改めてそう強く思うのでした。
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