八ヶ岳の懐で迎える爽やかな朝。昨日の夕刻から断続的に強く降っていた雨も上がり、どうやら今日はいい天気になってくれそう。そんな爽やかな空色と空気に起こされ、誰もいない静かな湯屋でひとりのんびりぬる湯と戯れます。
それにしても、本当に不思議な鉱泉だ。自分と湯がゆるゆると溶け合うような不思議な浴感に揺蕩っていると、蓄積されたあれこれがするりとどこかへ抜けてゆく。ひとしきりそんな湯浴みを愉しめば、もうすっかりお腹も空っぽに。
朝食時間の開始を待ち、さっそく食堂へ。分厚い焼鮭にハムサラダやひじき煮、野菜たっぷり優しい味わいのお味噌汁をおかずに、おひつ丸ごとお茶碗4杯分をきれい残さず平らげます。
ずっと来たいと思っていた、標高1,870mに佇む唐沢鉱泉。良い湯、良い味、良い雰囲気。またひとつ再訪をと思える宿に出逢えた悦びを噛みしめ、名残惜しくもチェックアウト。
帰りは女将さん直々に送ってくださり、いろいろなお話しをしつつ茅野駅へ。夏にあの爽やかさを享受するのも最高だが、新緑や紅葉、休業前の雪のちらつく時期なんかも善いに違いない。そんな次へと繋がる野望を胸に、諏訪大社上社前宮へと向かうことに。
観光案内所の方曰く、地図で紹介されているルートは分かりづらく大きな車道を行ったほうがいいとのこと。せっかくのアドバイスでしたが、駅近くの大鳥居から始まる順路で行ってみたかったのでその通り辿ってみることに。
バスなどの公共交通機関はありませんが、茅野駅からなら歩いて行ける距離。汗を掻きつつ、地図を片手に歩く道。道中には、八ヶ岳に端を発する上川が。先ほどまでいた唐沢鉱泉のすぐ横を流れていた角名川の水もここへと合わさり、諏訪湖目指して流れてゆきます。
上川の先にはもう一本、取飜川の流れが。こう書いてとりこぼしかわと読むそうで、増水時の余水を宮川から上川へと流すために藩政時代に造られたものだそう。
2本の川を渡ったら左へ曲がり、取飜川の土手を進み中央道のガードをくぐります。この先が確かに、分かりづからった。
ルートを外れたことに気づかず中央道沿いを歩いてゆくと、緑豊かな田園の脇に鎮座するお社が。その周囲には、凛と建つ四本の御柱。この先もいくつかお社を目にしましたがいずれも四方に御柱が建てられており、諏訪地方において深く根付いた風習であることが伝わります。
諏訪大神を過ぎたところで間違いに気づき、すぐに引き返し正規ルートへ。小さなお社に誘われたかのようなちょっとした迷い道を挟みつつ駅から歩くこと40分足らず、諏訪大社上社の前宮に到着。
国道から鳥居をくぐると空気感は一変し、あたりを包む静かな雰囲気。勇壮な狛犬が護る銅鳥居をくぐると、その脇には古から重要な神事が行われてきたという十間廊が。
涼やかさをもたらす森を抜けると、再び舗装された車道へ。あれ、前宮は?と思いつつ坂を登ると、勢いよく流れる川が。この湧水は水眼の清流と呼ばれ、古くから御神水として、そして前宮の御手洗川として大切にされてきたそう。
その清流のすぐ奥、小さな森のなか静かに佇む前宮の本殿。ここにはかつて諏訪大社の現人神である神職の館があったそうで、諏訪信仰発祥の地でありこの地方の政治の中心でもあったそう。
3年半前、初めて訪れることのできた諏訪大社。そのときは下社の春宮と秋宮にお参りしましたが、その二社とはまったく異なる雰囲気。山里を見守るようにして静かに鎮座するお社に、念願叶い上社へも来ることのできたお礼を伝えます。
ひっそりとした空気感に抱かれる本殿にお参りを終え、すぐ右隣に建つ一之御柱へ。人の営みに溶け込むように建つ姿に、古くからこのお社が大切にされてきたことが伝わるよう。
その奥には、お社の背後を守るようにして建つ四之御柱。その裏手には畑が迫り、里と神様の距離の近さを感じさせる印象的な光景。
一旦車道へと戻り、社殿に向かって左手へ。涼やかな水音を奏でる水眼の清流、そのすぐそばには二之御柱が。
それにしても、陽射しも気温も絶好調。さっきまでエアコン不要の地でぬるい湯に揺蕩っていたので、すっかり暑さ耐性が消えてしまったようだ。
山手へと登る前に、汗をぬぐおう。そう立ち止まり振り返れば、眼前に広がるこの眺め。山裾に広がる街並みは変われど、人々の暮らしに山が寄り添う光景は古くから連綿と続いてきたことだろう。
滔々と流れる清らかな水を愛でつつ登ってゆくと、お社の左奥を護る三之御柱。こうして四本の御柱を見ることができるのは、諏訪大社四社のなかでもここ前宮だけなのだそう。
水眼の清流で手を洗い、一服の清涼を得て本宮目指して歩みを進めます。当初は国道沿いを行く予定でしたが、地図に遊歩道が描かれていたためそちらを歩いてみることに。
鎌倉道遊歩道と名付けられたこの道は、その名の通りかつて茅野と幕府のあった鎌倉を結んでいた古道をもとに整備されたものだそう。里の畑を抜ければすぐに森へと入り、肌をなでる風も涼やかなものに一変。
木々から差し込む夏の陽射し、葉擦れの音とともに来ては去ってゆく森の風。気持ちのいい道だな。ひとりのんびり歩いてゆけば、そんな率直な感想が自ずと口から漏れてくる。
木漏れ日溢れる道を進んでゆくと、峯の湛というちょっとばかり開けた場所へ。そこに聳えるのは、樹齢200年以上というイヌザクラの巨木。ミシャグジ様という地の神様がこの木を伝い、その根元の小さな石の祠へと降りてくると云われているそう。
森を抜け、運動公園や住宅街と変化に富んだ道をゆく遊歩道。要所要所に点在する道しるべに沿って歩いてゆくと、視界がぱっと開け諏訪盆地の爽快な展望が。
眺望の開けた果樹畑を抜ければ、前宮から歩いてきた鎌倉道遊歩道は終わり。そのすぐ近くには、地元茅野の出身である建築家藤森照信氏設計のユニークな茶室が点在しているそう。今日は時間の都合上、ワイヤーで吊られた空飛ぶ泥舟を遠目から眺めて先を急ぎます。
この先さらに山手をゆく遊歩道もあるようですが、今回は国道に復帰し本宮を目指すことに。その道中見つけた湧水、石清水。ちょうど空になったペットボトルに注いで飲んでみれば、その冷たさもさることながら口当たりの良さに驚き。本当に、信州は水の国だ。
偶然出会ったおいしい水で喉を潤しつつ歩いてゆくと、国道から逸れる道沿いに大きな鳥居が。本宮がもうすぐそこであることを察知し、歩く足にも力が入ります。
前宮から鎌倉道と国道を辿ること30分ちょっと、諏訪大社上社本宮に到着。道の突き当りには鬱蒼とした森が広がり、市街地の中でこの一画が古くから護られてきたことが伝わるよう。
手水舎で手を清め、銅鳥居をくぐり境内へ。するとすぐそこに聳える、二之御柱。その隣、勇壮な龍の彫刻が目を引く入口御門へと誘われるように吸い込まれます。
250年近く前に建てられたという布橋。この長廊は、明治維新までは諏訪大社の最高神職である大祝のみが通ることを許された回廊。通行の際に布が敷かれたことから、その名が付いたそう。
荘厳な空気に包まれる布橋を歩いてゆくと、左手にひときわ歴史を感じさせる門が。この四脚門は今から400年以上も前に徳川家康公により寄進されたものとされ、本宮の中では一番古い建物だそう。
厳かな雰囲気に包まれる布橋を抜け、豊かな緑に覆われる拝所へ。ずっと来たいと願っていた諏訪大社。雪の舞うなか下社の春宮と秋宮を訪れてから3年半、ついにこうして四社すべてにお参りできたことのお礼を伝えます。
前宮を除き、本殿を持たない諏訪造りという独特の様式をもつ諏訪大社。拝所から眺める幣拝殿には見事な彫刻が施され、築後190年もの間人々の信仰を受けてきた歴史が滲むよう。
緑鮮やかな木々に護られた幣拝殿の荘厳さに圧倒され、そろそろ本宮を後にすることに。そう思い歩いてゆくと、やわらかな苔に覆われた石と、そこに落とされる山から流れ来る清らかな水。涼しげだな。そう近づいてみれば、奥には深い森のなか凛と建つ四之御柱が。
冬と夏、3年半の時を経て四社すべてを訪れることのできた諏訪大社。半年に一度遷座が行われる下社は、深い森を背負い佇む雰囲気の似た春宮と秋宮が印象的だった。
一方で今回辿った上社は、ある意味好対照ともいえるほど表情が違う。里山や人々の営みに寄り添い、溶け込むようにして佇む前宮。そして幾多もの社殿が残された、荘厳な空気感に包まれる本宮。この違いを体感できたのは、四社を巡ったからこそ。
でも共通するのは、そこに満ちる独特な世界観。生気の宿る木立のなかで建つ御柱。その色味、そして纏う空気感の対比を目の当たりにすれば、何とも言えぬ感覚が湧いてくる。
豊かな緑を背負い、古からこの地を見守り続けてきた諏訪大社。お社の四方に柱を建てるというこの土地ならではの信仰の形に触れ、いつになく背筋の伸びるような思いを抱くのでした。
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