12年ぶりの別府で迎える静かな朝。今日の天気予報は下り坂、船に乗るまで持ってくれればありがたいのだが。窓に滲む空の気配にそんなことを思いつつ、誰もいない静かな湯屋で鉄輪のまろやかな湯と戯れます。

優しくもよく温まる湯で寝起きの心身を覚ましたところで、お待ちかねの朝食の時間に。食卓にはおいしそうな品々が並びます。
まずは昨晩に引き続き、瑞々しさが際立つサラダから。野菜不足になりがちな旅において、このおいしさはうれしい限り。熱々のせいろ蒸しは、ふるふるとした豆腐やジューシーななすをぽん酢でさっぱりと。
小鉢には、どれもご飯に合うものばかり。大分といえばのしいたけは品のいい甘辛煮に、分厚いほくほくの厚焼玉子はほんのりとした甘さが沁みてくる。糸こんにゃくの炒め煮は薄味ながらほどよいピリ辛で、こりっこりのいか刺しや焼鮭、九州といえばの明太も白いご飯に合わないわけがない。
良い湯良い味良い雰囲気で、12年ぶりの別府を満喫させてくれたかんなわゆの香。正直鉄輪温泉には宿がありすぎて、直感とお財布の加減であまり調べもせず直感で予約。でも、ここを選んで大正解だったな。
ひとつ宿題として挙げるならば、看板にゃんこに逢えなかったことくらい。戯れスペースを通りかかってもいつも人がいたため、猫初心者の僕は割って入る自信がなかった。今度は絶対、遊んでやろう。そんな再訪の企みを胸に、名残惜しくもチェックアウトのときを迎えます。

灰色の空からいまにも雨粒が落ちてきそうではありますが、大分へと移動する前にどうしても寄りたい場所が。その第一弾へと向かうため、宿から徒歩数十秒の鉄輪バスセンターから『亀の井バス』のAPU行きに乗車します。

バスに揺られ急坂を登ること10分足らず、地蔵湯バス停で下車。その寄りたいところというのが、『みょうばん湯の里』に併設された湯の花小屋。ちなみにひとつ手前の明礬バス停は離れているため、間違って下車しないよう要注意。

ぱっと見観光客向けのお土産やさんのようにも見える施設ですが、ここみょうばん湯の里はなんと今年で創業300周年。茅葺の小屋で湯の花を製造する製法は当時からのもので、国の重要無形民俗文化財にも指定されているそう。

ここでは、そんな湯の花小屋の内部を見学することが。噴気の多い場所に石畳を作り、この地で採れる特有の青粘土を敷いた上に茅葺小屋を建てる。すると噴気と粘土の成分が化学反応を起こし、湯の花が生まれるのだそう。

その湯の花は1日1㎜程度の速さで成長し、1ヶ月半~2ヶ月ほどかけて採取、精製、乾燥を経て製品化。現在は薬用湯の花として浴用やコスメに使用されていますが、かつてはこの湯の花からミョウバンを精製していたそう。

江戸時代から変わらぬ唯一無二の湯の花小屋で明礬温泉の歴史に触れたあとは、その湯の温もりも体感してみることに。自然湧出の硫黄泉がかけ流された手湯に指を浸せば、するりとした感触にじんわりと沁み入る温かさ。

湯の里には青白いにごり湯の絶景露天も併設されているので、このまま立ち去るのは忍びない。とはいえ、僕にはもう一度逢って確かめたいお湯がある。ということで次へとつながる宿題をまたまた残し、後ろ髪をひかれつつ明礬温泉を後にすることに。

ぽつぽつと雨の降るなかでも伝わる、この景色。眼下には湯けむりを上げる別府の街並み、その先に広がるのは別府湾。おさるの高崎山の奥には大分の街も見て取れ、これが晴れていればそれはもう絶景なのだろうと想像してみる。

斜面に連なる明礬温泉街を抜け海を臨む道を下ること約10分、ふたつめの目的地である『別府温泉保養ランド』に到着。ここは、僕が湯力というものを生まれてはじめて体感した想い出の地。12年前の記憶を確かめるため、どうしてもここには立ち寄りたかった。
別府の観光案内にも、必ずといっていいほど紹介されるこの温泉。大きなアーチ橋の下に混浴の露天が広がり、そこで泥を塗りつつ入浴している写真は目にしたことがあるのではないでしょうか。
前回訪れてから、干支ひと廻り。さらに渋さを増したフロントで料金を支払い、長い渡り廊下を経て浴場の大広間へ。ここでコインロッカーにリュックや貴重品を預け、いざ湯屋へ。
昔ながらの棚だけの脱衣所で服を脱ぎ、コロイド湯、地下鉱泥湯を抜け混浴の露天風呂へ。そこに広がるのは、真っ白、いや、さらに濃い泥色をした湯を湛える巨大な湯船。足元のまったく見えぬなか、警戒しつつ一歩一歩進み善きところで肩まで沈む。
自ずと口から漏れる、深いため息。その反動で息を吸い込めば、ぶわっと鼻腔へとなだれ込む濃密な硫黄臭。温度はそれほど高くはないが、あきらかに体の芯へと圧してくる。そんな重厚な浴感に、やっぱここはやばいわとすぐさま本能が察知する。
あのときの感覚は、決して誇張や美化されたものではなかったんだ。12年ぶりに味わう力強さに、思わずひとりにやけてしまう。そして視線を上げれば、空を貫くアーチ橋。広い湯船にこの開放感。心身がもみほぐされ解放されてゆくのが、手に取るように感じられる。
つづいて、さらに奥に位置する小さめの露天へ。湯船の底には泥が分厚く積もり、すくって肌に塗れば驚くほどつやすべに。先ほどの大露天のような開放感はないが、湯の力強さはこちらの方が一段上だと思う。
浸かったり岩に腰掛けたりをしばし繰り返し、のぼせる前に地下鉱泥浴へ。確かここは、前回は素通りした気がする。せっかくなのでと一歩足を踏み入れれば、さきほどよりさらに密度の高いもっちりとした泥が。
きめ細やかな泥を塗りたくり、しばし湯に揺蕩う無心の時間。隙あらばとぐいぐい圧してくる湯力に、何ごともほどほどだと短時間で切り上げることに。蛇口から流れるお湯できれいに泥を落とし、ふたたび露天風呂へと向かいます。
バスの時間までは、もう少し余裕がある。そう思いつつ、あまり欲張らない方がいいよと身体が教えてくれる。景色と湯の香、そして力強い湯の浴感をもう一度だけ胸いっぱいに吸い込み、コロイド湯でさっと仕上げてあがることに。
湯に浸かっていたのは、たぶん正味30分足らず。ですが体は素直なもので、のぼせているわけではないがすっかり茹だってほぐれている。大広間で足を投げ出し、ぐいっと水をあおる。するとちょっとした脱力感とともに広がる、心身の軽やかさ。やっぱりここは、すげぇや。別府に来たら、絶対に寄らねばもったいない。

あのときもすごいと圧倒されたけれど、その後さまざまなお湯に出逢ってもなおここの湯力は別格だった。あらためて別府温泉保養ランドの強さに感嘆し、紺屋地獄前バス停から『亀の井バス』で駅を目指します。

すっかりほぐされふにゃふにゃ状態でバスに揺られること約25分、終点の別府駅西口に到着。駅の反対側へと抜け歩くこと10分足らず、地元大分の百貨店である『トキハ別府店』へ。
地下1階には湯けむり横丁というフードホールがあり、そこにお目当てのお店が。そのお店というのが、いまや大分名物としてあまりにも有名になったとり天の発祥の店、『東洋軒』。本店はかなり混雑するようですが、フードコート形式のため席も多くすんなり着席。

12年前にこの地で食べて以来、すっかり虜になってしまったとり天。その元祖の味と、もうすぐ逢える。そんな高揚感と湯上りの火照りを鎮めるビールを味わっていると、アラームが鳴りお待ちかねのご対面。
中国料理レストランである本店にはいろいろメニューがあるようですが、こちらのトキハ別府店はとり天に絞ったラインナップ。あおさやゆずの食べ比べも気にはなったものの、やっぱりまずは基本をと本家とり天定食にしました。
艶めきを放つきつね色、その魅惑の色味に誘われいざひと口。厚めながら重たさのない軽快な衣、その香ばしさのなかからあふれるジューシーさ。漬け込まれた鶏肉はぷりっと柔らかく、ほんのりと香るにんにくがまた食欲中枢を直撃。
つづいて、からしと酢醤油をちょんとつけて。うわぁ、これやばい。米喰いには禁断の味。ふわっと香る大分といえばのかぼすの爽やかさ、そこにツンと締まりを与えるからし。とり天白飯、とり天白飯と、口福な応酬が止まらなくなる。
最初はちょっとボリュームがあるかな?と思いきや、ビールのつまみにご飯のお供にと旨いよ旨いよとあっという間に完食。本当にさぁ、本場のとり天はどうなってんだよ!そう思うほど、やっぱり今回も旨かった。

東京でとり天を頼むと、バカ正直にただの鶏の天ぷらが出てくんだよな。あれ、全面的に禁止にしてほしいぞ。別府で本場の味を知って以来、もう元には戻れぬ体になってしまった。そんなから揚げとは異なる鶏の旨さにお腹もこころもすっかり満たされ、腹ごなしにちょっとばかり散策へ。

塔博士の名をもつ内藤多仲氏の手がけたタワー六兄弟の三男、別府タワー。東京タワーのお兄ちゃん、1957年生まれの古豪との再会を果たし、海沿いの的ヶ浜公園へ。遠くに見えるのは、大阪南港への船出を待つさんふらわあ。そして今宵僕は、その仲間で大分そして九州に別れを告げる。

ここでぱらぱらと雨が降りはじめたため、早足で駅へと戻ることに。その道中には、築100年超という渋い佇まいの駅前高等温泉が。
公衆浴場ながら宿泊できる部屋も併設されており、大正浪漫を感じさせるこの建物に泊まれて素泊まり3,000円程度となんとも魅力的。鉄輪の貸間でしばらく湯治して、仕上げにここに何泊かして飲み歩く。
だめだよ、そんな妄想に手を出しちゃ。12年ぶりに訪れ、その魅力をあらためて知ることとなった別府。芽生えはじめた危ない企みを胸にしかとしまい込み、再訪を強く固く誓い日本一の湯の街に別れを告げるのでした。



コメント