少し早めに目覚める、志賀高原での朝。空には若干の夜の名残りが漂い、それを染め変えるかのように谷間の奥から覗く今日という日の薄桃色。それにしても寒い。窓からは、11月中旬とは思えない鮮度の冷気が溢れます。
朝の凛とした空気の中での湯浴みを愉しみ、お腹もすいたところで朝食の時間に。食堂へと向かうと、食卓にはおいしそうな品々が並んでいます。
ぶり照りやぜんまいの炒め煮、熱々の湯豆腐と、これぞ和の朝食といったおかずたち。好物の野沢菜は嬉しいことに漬物と油炒めの二種が用意され、白いご飯が進まない訳がありません。
ホッとするような美味しい朝ごはんを味わい、しばし布団に転がる午前の怠惰。連泊だからこそ許される余裕という甘美に揺蕩い、気づけばあっという間にもうお昼過ぎ。大浴場は10時~12時半まで清掃時間、その後男女が入れ替えられ入浴が再開。
今朝までは広い露天風呂が印象的な碧落が男湯でしたが、午後からはもう一つの大浴場、翠玉が男湯に。内湯はどちらも同じ造りで、ヒノキ造りの大きな浴槽には翡翠色に染まる源泉が滔々と掛け流されています。
内湯でさっと温まり、続いて露天風呂へ。こちらの浴槽は小ぢんまりとしている分、お湯の濃さがより感じられるといった印象。底にはきめ細かい湯の花がたっぷりと沈殿し、体を沈めれば美しい翡翠色に深みを与えるかの如く舞いあがる様が堪らない。
独特な色、そしてそのインパクトに負けないしっとり穏やかな浴感の湯。眼で愛でて、肌で感じる志賀の恵みにすっかり満たされ、体中に硫黄の香りを纏ったところで部屋へと戻ります。
熊の湯は、とてもよく温まるお湯。少々火照り気味のところに、窓を開け放ち全身に受け取る高原の空気。清々しい。本当に清々しい。久々に溢れくるこの感情に目を細めて見上げれば、どこまでも高さを感じる秋晴れの空。
抜けるような青空に、山を染める白樺の清楚な色味。これでもかという高原感を浴びつつ飲む湯上りのビールは、これ以上旨いものはないと思えるほどの説得力を持っている。やっぱり旅は良い。どこで何をするか。同じビールを飲むという行為でも、「どこで」を変えるだけでこんなにも歓びを与えてくれる。
浸かって、布団に転がり、ぼんやりして。そんな贅沢な怠惰に身も心も委ねていると、あっという間にもう夕食の時間に。愉しい時間というものは、本当に速く過ぎてしまうものです。
食堂へ向かうと、今夜も地酒に合いそうな品々が並びます。まずは前菜から。大好物の根曲がり竹には味噌マヨが添えられ、付けてポリっと噛めばほっくりとした山の滋味が溢れてきます。熊の湯の根曲がり竹、旨いなぁ♪わかさぎの甘露煮も、ほろりとした食感とじんわりとした旨味が地酒を誘います。
いい色をしたコールドビーフは柔らかく、牛の甘味、旨味をしっかりと感じる味わい。たこの酢の物には薄切りのかぼちゃが添えられ、程よく残るしゃきっとした食感とほんのりとした甘さに、かぼちゃのおいしい食べ方をまたひとつ発見。
そして今夜の一番のお気に入りが豚のお鍋。具材にはたっぷりきのこと、そしてまたまた根曲がり竹。根元を輪切りにしたものが使われ、ほくほく、しゃきしゃき、そして濃い旨味が堪らない。後で売店を見てみると、この根元だけを集めた水煮の瓶詰が売られていました。それだけ、穂先に負けず劣らず旨い部分だということ。
続いて熱々が運ばれてきたのは、雑穀おこわのあんかけ。もっちりとしたおこわは香ばしく、丁度よい塩梅のあんが雑穀のほんのりとした甘味を引き立てます。
旨い山の幸でお腹も心も満たされ、後はお酒とお湯に浸る時間。そんな夜にと選んだのは、須坂市の遠藤酒造場が造る粼ノ音純米酒。程よくフルーティーな香りと、辛すぎず甘すぎず、すっと染み入るような飲みやすくおいしいお酒。
続いて開けたのは、佐久市は戸塚酒造の寒竹純米酒。すっきりと飲みやすく、それでいてしっかりとお酒の味わいを感じるお酒。それにしても、何度長野を訪れても酒の旨さに惚れ惚れしてしまう。信州は、吞兵衛の楽園に違いない。
旨い地酒に絆され、気が向いたら湯屋へと向かうだけ。静かな夜の露天に身を沈めれば、聞こえるのはお湯の落ちる音と木々の葉擦れのみ。うぐいす色のお湯に溶かされふと天を仰げば、遠くに煌めく星の空。
露天で夜風を愉しみ、今度は内湯へ。大型ホテルとは思えぬ木造の湯屋は、硫黄の刻む黒々とした色味が渋さを醸す湯治場然とした深い佇まい。
あぁ、幸せだ。久々に噛みしめる湯旅の贅沢に、思わず繰り返す深呼吸。その度ごとに鼻をくすぐる、硫黄の香。やっぱりここへ来て、正解だった。いつかはと思い続けていた翡翠の夢に、静かに溺れる高原の夜なのでした。
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