乳頭の地で迎える静かな朝。青白さに滲む障子を開ければ、ガラスにうっすらと広がる霜の華。どうやら外の寒さに、窓もすっかり凍てついてしまったよう。
暖房を切っていた部屋は一桁台まで室温が下がり、ぬくぬくの布団を出るとさすがにひんやり。早速朝風呂へと向かい、お湯の温もりとただただじっくり向き合います。
大きな内湯でしっかりと温まり、凛とした朝の空気の支配する露天風呂でしゃきっと目を覚まし。朝からそんな贅沢な時間に揺蕩っていると、あっという間にもう7時。お待ちかねの朝食の待つ広間へと向かいます。
昨夜と同じ席に着くと、食卓に並ぶおいしそうなおかずたち。山女の甘露煮は頭まで柔らかく、ほっくりと凝縮された味わいが美味。梅酢風味のなめたけや切り干し大根とともに、白いご飯がどんどん進みます。
そして驚いたのが、納豆のおいしさ。秋田名物にも謳われる桧山納豆だそうで、ふっくらもっちりほっくりとした豆の旨さに思わずおひつのご飯を平らげてしまいます。
山の宿らしい滋味深い朝食に満たされ、大満足で自室へと戻ります。この満腹では、さすがにすぐには風呂に入れない。お腹が落ち着くまでと口実をつけ、再び布団に潜り込む。あぁ、贅沢。こんな甘い時間を知ってしまうと、連泊の呪縛から逃れられなくなる。
寝ているのか、それとも醒めているのか。その境界すらあやふやに溶けゆく怠惰に流されていると、あっという間に過ぎ去る時間。布団とお湯の温もりを往復し、もう時刻はお昼どき。
大釜温泉はランチ営業は行っていないらしいということを事前に調べていたため、あらかじめ駅前の田沢湖市で買っておいたお菓子を食べることに。
素材の味わいを活かした、半十郎の焼き餅。餅粉の香り、程よい甘さのこしあんの素朴さ。そのいい意味で朴訥とした旨さが、湯上りの冷たい苦みとともにこころに沁みる。
お餅の腹持ちの良さとビールに誘われ、性懲りもなく再び身を投じる甘美な自堕落。うつらうつらと夢と現を行ったり来たり、はっと目覚めたらまた湯屋へと向かうだけ。なんだかこんなに、なんにもせずのんべんだらりするのも珍しい。
あぁ、こりゃいい意味でだめだわ。いつもは若干ながら「撮れ高」のようなものも頭の隅にあるのですが、今回は本当に融けてしまった。お湯と布団を往復していたら、あっという間に夕食の時間に。
でもまぁ、いいか。僕はブログのために旅に出ているのではない。日々のあれこれから解き放たれるために、非日常を求めて旅するのだから。近年稀にみるだらりとした至福にそんな言い訳を浮かべつつ、響く鐘の音に誘われ広間へと向かいます。
食卓には、昨晩とはがらりと雰囲気を変えた品々が。たけのこの土佐煮は程よい塩梅のだしがしみ、れんこんと大根のなますは心地よい歯触りと甘酸っぱさが食を進めてくれます。
鮭のつけ焼きは、バリっと焼かれた皮目としっとりとした身に宿る鮭の味わいが美味。上品な味付けのおでんは卓上で熱々に温められ、これまた秀よしがぐいぐい進んでしまう。
そして今宵も運ばれてきた、絶品のきりたんぽ。立ちのぼる湯気をかいくぐりはふはふと頬張れば、その温もりとともに手作りの滋味深さがこころの奥底まで沁みてくる。
きりたんぽやしっかりとすし飯の詰まったおいなりさんを平らげ、すでに結構な満腹に。お酒も終わり〆にと思いおひつを開ければ、そこにもお茶碗3杯分のご飯が。
普段は晩酌しつつの夕食なのでお米はあまり炊かないのですが、もともと僕は大のご飯好き。本当に米っ喰いなので、スイッチが入ってしまうとまずいのです。
もうこうなったら、糖質オフなんて知ったこっちゃない。攻めの積極姿勢の糖質オンじゃ!と言わんばかりに、大好きな米に溺れることに。鮭やお漬物、きりたんぽのおつゆと一緒に、結局全部平らげてしまいました。
いやぁ、やっちまった。昨日以上にぱんぱんになったお腹を抱え、しばし布団でだらだらゴロゴロ。ようやく隙間ができてきたところで、もうひとつの大好物であるお米由来の甘露を味わうことに。
まず開けたのは、潟上は小玉醸造の太平山艸月純米酒。甘酸っぱさを感じさせるふくよかな味わいながら、ベタつかずさらりとした後味が印象的な旨い酒。
続いては大仙市の秀よし、ささにごりしぼりたて純米酒を。限りなくうっすらとにごったお酒は辛口ながら甘酸っぱく、フレッシュさやもろみの味わいが楽しいおいしいお酒。
旨い秋田の酒をちびりとやり、気が向いたら大きな湯船の待つ湯屋へ。そこに満たされる黄金の湯に身を委ね、芯から温まったら冷たい夜風を感じに雪舞う露天へ。
気がつけば、食べて飲んで浸かって転がって。今日一日、それしかやってない。でもそれがいい。それこそが、連泊だからこそ味わえる怠惰の魔力だから。
こんな日が、明日も続いてくれるなんて。大釜の湯と白い雪にすっかり骨抜きにされ、身もこころも原形を留めぬほどゆるゆると解されゆくのを感じるのでした。
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