歴史の積み重ねから溢れる温もりに包まれた館内を味わい、ついに9年ぶりにあの湯との再会へ。脱衣所へと入れば、出迎える印象的なこの彫刻。花咲かじいさんの一場面が、躍動感をもって表現されています。
なぜ脱衣所の棚の上に、これを飾ろうと思ったのか。そんな無粋な疑問など、どうでもよくなるこの世界観。温泉マークの下からは、百萬両や一億両の小判がザクザク。その様子を嬉しそうに眺めるお爺さんの着物には、四つのキの中心にロが描かれた喜至楼のマーク。きっとこの宿の繁栄を願って造られたのでしょう。
シロ、かわいいな。独特の風情に心酔しつつ浴衣を脱ぎ浴場へと向かうと、中央に鎮座する大きな円形の浴槽。広い空間を支える何本もの柱や床、浴槽に貼られた細かいタイル。浴槽の中央には天井まで伸びる円柱が立ち、その佇まいはどことなく神殿のよう。
そしてこの浴場をより一層独特な空間にするのが、この壁画。パンとシュリンクスの神話が、緻密なタイルで描かれています。ローマ式千人風呂、その名に恥じぬ唯一無二の魅惑の湯屋。この世界観に抱かれ瀬見の湯に揺蕩えば、夢と現の境すら緩んでゆく。
この宿を彩る独特な美意識を存分に浴び、身も心も火照ったところで自室へと戻ります。日中は暖かいとはいえ、夜はやっぱりちょっと冷える。そう思い障子を閉めれば、部屋はまた違った雰囲気に。
9年ぶり、かぁ。あまりの宿の変わらぬ魅力に、過ぎた歳月すら信じがたい。やっぱり来て、良かったな。そうしみじみ思える夜に開けるのは、川西町は樽平酒造の純米吟醸雪むかえ。まろやかで、さらりと飲みやすいおいしいお酒。
旨い酒をちびりとやり、気が向いたら再びお湯へ。続いて向かったのは、男女別の小浴場であるあたたまり湯。棚の上には、おかっぱ頭の金太郎と毛並みまで表現されたかわいい熊。この宿の、空白を良しとしないこの感じが好き。
小さいタイルが埋め込まれた小判型の浴槽に、たっぷりと掛け流される源泉。浴槽が小さい分少し熱めで、オランダ風呂や千人風呂よりもすっきりシャキッとした湯上りに。
いい湯だった。額から垂れる汗をぬぐいつつ歩く、渋い館内。共同の洗面所には壁までタイルが用いられ、白熱灯に艶めく姿がまた美しい。
この宿は、本当に大切にされているんだな。艶々としたタイルや磨き抜かれ飴色に輝く空間からは、そのことが溢れんばかりに滲み出る。
今よりも、旅というものが遥かに贅沢であった昔の時代。だからこそ、非日常で最大限に旅人を出迎えよう。この建物に散りばめられた幾多もの装飾からは、そんな心意気のようなものが感じられる。どこを眺めても、何かがある。この空間自体が、嬉しいおもてなし。
穏やかながら、しみじみとこころに沁み入る山形の夜。続いて開けたのは、鶴岡の加藤嘉八郎酒造の醸す大山愛心酒特別純米酒超辛口。確かにきりりとした辛さはあるものの、嫌な感じはなくするりと飲める旨い酒。
いい夜だな。9年前に来たときは、この独特すぎる世界観に正直終始はしゃいでいる自分がいた。その時と同じ部屋に滞在していても、やっぱり感じ方って変わるんだな。なんだか今夜は、胸が温かい。
湯上りと日本酒の火照りにごろり畳に転がり見上げれば、視界を染める時を経た木の放つ優しい温もり。
この宿を建てた主人の想いを、見事に具現化した古の職人の技。そんな他に類を見ない唯一無二のこの空間を、大切に手入れし続け残してきた宿の人々。この宿は、ずっと在り続けてほしい。馴染みの良い瀬見の湯のように、この宿に満ちる温もりがすっとこころに沁みてゆくのでした。
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