瀬見温泉で迎える静かな朝。障子を透かす明るさに起こされ外を見れば、今朝も温泉街を飲み込む白い霧。その幻想的な光景を胸へとしまい、朝風呂へと向かいます。
誰もいないローマ式千人風呂で、ひとり静かに湯に揺蕩う。熱すぎず温すぎず、体に負担のかからぬ瀬見の湯に身を任せる至福の時間。そんな贅沢も、もうすぐ終わりか。そう思うと名残り惜しく、気づけば長い間湯浴みを愉しんでいました。
じっくりと瀬見の湯に浸かっていると、あっという間に朝食の時間に。昭和の風情溢れるロビーを通り、食堂へと向かいます。食卓に並ぶ、これぞ和の朝食といった品々。どれもシンプルながら白いご飯を誘うおいしさで、朝からしっかりお替りしてしまいます。
おいしい朝ごはんに満たされ、満腹抱えて自室へ帰る道。飴色に鈍く輝く別館の廊下にたくさん並ぶ、この宿の歩んできた歴史。
そのどれもが僕の知らない時代のものばかりで、毎度のことながらもう少し早く生まれていればと叶わぬ妄想を掻き立てる。
僕の子供のころのバブルとはまた違う活気にあふれていた、昔の時代。そんな賑わいを現代へと伝える写真たちを眺めていると、良かったらどうですかと連れて来てくれた新館の部屋。そこには本館の重厚な大屋根が間近に迫り、赤い屋根と山の緑の鮮烈な対比が美しい。
大正時代の美意識の詰まった本館も良いけれど、赤い屋根に白い雪の積もる冬に別館に泊まるのもいいかもしれない。そんないけない妄想を抱きつつ荷物をまとめ、最後の一浴を噛みしめチェックアウト。もう一度だけ喜至楼に宿る世界観を胸いっぱい吸い込み、意を決してこの異空間に別れを告げます。
明治から大正、昭和まで、時代時代の空気が缶詰のように凝縮された喜至楼。それが仰々しく保存されているのではなく、自然と積み重なってきたものだからまた味わい深い。よし、また来よう。そんな決意にも似た想いを抱き見上げる、2泊を過ごした101号室。
乗る予定の列車まではまだたっぷりと時間があるため、ちょっとばかり回り道して駅を目指すことに。宿泊客の去った静かな温泉街を抜け、赤い欄干の亀若大橋へ。橋上からは、さらさらと流れる清流小国川と、それが刻んだ狭い谷。
眩い陽射しを浴びつつ歩く、国道47号線。対岸に瀬見の小さな温泉街を望みつつ進んでゆけば、ひときわ目を引く巨大な旅館。最後にもう一度喜至楼の威容を胸に刻み込み、強く強く再訪を誓います。
9年前も思ったけれど、のんびりしていいところだな。盛夏と早秋を味わえたから、次はモノクロームに染まる雪の時季かな。そんなことを考えつつ歩いていると、道沿いに揺れるコスモスと陸羽東線の小さな鉄橋が。
線路と付かず離れず、仲良く小国川の谷を進む国道47号線。ジオラマのような鉄道風景に触れさらに歩いてゆくと、15分程で瀬見温泉駅に到着。来た時には気づきませんでしたが、駅前には見上げるほどの立派な杉が。
もしかしたら、駅の開業を記念して植樹されたものなのかな。そんなことを考えつつ佇むことしばし、遠くから警笛の音と共に近づくエンジン音。鉄道由来と思われる木造の小屋と単行の気動車が並ぶ姿は、ローカル線の情緒そのもの。
瀬見温泉駅からひとりの乗客を乗せ、小気味良いディーゼルの響きを残し走り去るキハ110。カタン、コトン。1両編成ならではの軽快なリズムが山間へと消えゆくのを、ただ静かに見送るのみ。
喜至楼に宿る濃密な時代の香りに抱かれた、2泊3日。やっぱりここでの滞在は、ひと味違う。きっとまた、あの独特な世界観に逢いたくなる。決して近くはないけれど、そのときはまた陸羽東線に乗ってここまで来よう。小さな気動車が去ったホームに佇み、ひとり静かにそう決意するのでした。
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