7月上旬、僕は再び旅に出る。用事のため休みを取ったところ、その前に2泊3日分の空白が。これはもう、旅せよと言われているとしか思えない。すぐさま行きたい場所のストックを頭から引き出し調べみると、ずっと行ってみたいと思っていた宿に運よく空きが。
すぐに予約を入れ、今日という日を待ちわびてきた。これから向かうは、暑い夏に嬉しい場所。そんな浮足立った僕を乗せたあずさ号は、信州目指し山へと挑み始めます。
今日は明け。3時半に起きてからまだ何も食べていないため、車内でちょっとばかり遅い朝食をとることに。八王子構内の売店でも駅弁は数種類売っていますが、今回は小淵沢は駅弁の丸政が調製する八ヶ岳高原たまごサンドを買ってみることに。
蓋を開ければ、これ以上ないほどのシンプルな見た目。ずっしりと重みを感じるひと切れを手に取り頬張れば、ぶりんとした食感とともに広がる優しい味わい。
見てのとおりの分厚い玉子焼きは、だし巻きではなく僕の好きな甘いタイプ。とは言っても甘さは控えめで、パンに塗られた粒マスタードマヨと相性ピッタリ。この厚みながら卵のパサつきやもっさり感はなく、ひと口ごとにぷりっとしっとりな食感を楽しめます。
玉子サンドといえば断然つぶしてマヨ派だけれど、これなら納得の旨さ。厚い玉子焼き好きにはたまらないサンドイッチを頬張っていると、あずさ号は東京、神奈川を抜け山梨へ。高度感ある長い鉄橋へと差し掛かれば、眼下に広がるこの眺め。ここから見下ろす田畑に川、箱庭みたいで本当に好き。
中央本線は相模川の上流である桂川に沿って山間を縫うように走り、いよいよその流れにも別れを告げて山越えへ。
明治の開通時には、日本で一番長い鉄道隧道であった笹子トンネル。4,656mの闇を抜け、甲斐大和、勝沼ぶどう郷と下ってゆけば、ぱっと車窓に広がる甲府盆地。
何度乗っても、この瞬間には心が動く。谷あいをひたすら登り詰め、長大トンネルを抜けた先に広がる別世界。甲州の人々の営みを見据えつつ、その底を目指し果樹の隙間を縫うように曲線と勾配を滑ってゆく。乗ったことはないけれど、パラグライダーはこんな感覚なのかもしれないな。
盆地の縁を左右に蛇行し、底へとたどり着いた鉄路。延々と車窓を染める、ぶどうや桃の畑。これから迎える実りの季節に向け、豊かに繁る葉の力強さがガラス越しにも伝わってくる。
甲府を過ぎ、再び盆地の縁へと挑み始めるE353系。勾配に弱い鉄道は用意周到に高度を稼ぎ、若い緑の敷き詰められた田園もだんだんと下の方へ。その分眼前の山並みは存在感を増し、覆う濃い緑に夏の到来を思い知る。
八王子から夏色の車窓を眺めること1時間33分、あずさ号は目的の宿の最寄りである茅野に到着。ここに降り立つのは2度目。前回は雪の季節だったため、今回はどんな旅路が待っているのかと弥が上にも期待は高まるばかり。
駅直結のお土産屋さんで二晩のお供を仕入れ、改札脇に位置する駅そばでお昼を食べることに。前回茅野へ来たときに、皆吸い込まれるようにして立ち寄る光景が印象的だった『榑木川茅野駅店』にお邪魔します。
きのこや野沢菜、鹿肉など信州色豊かなラインナップ。どれにしようか激しく迷いましたが、今回は安曇野産葉わさびそばを注文。立ち食いそばらしい迅速さで、お待ちかねの丼が湯気を立てて登場。
まずはおつゆから。しっかりとだしを感じる、甘すぎずの濃いめのつゆ。続いて二八そばを啜れば、その見た目通りの食べごたえ。太めの田舎そばをわしわしと手繰り、ときおり挟む葉わさび。しゃきっとした食感とともにつんとくる爽やかな辛味に、信州へと来たという実感が湧いてくる。
おいしいおそばに舌鼓を打ち待つことしばし、そろそろ送迎の時間に。バスターミナルの対面、西口へと向かうとすでに宿の車が停まっています。
茅野駅を出発し、山手を目指して走る送迎車。だんだんと高度を上げ、田んぼからキャベツ畑と高原を思わせる雰囲気に。さらに進むと道路の勾配は一気に増し、閑静な森に抱かれた別荘地の中をぐいぐいと登ってゆきます。
最後は砂利道に変わり、急勾配急カーブの連続。すごいところまで来たな。そう思わせる山深さに目を奪われていると、駅から40分足らずで想い焦がれていた『唐沢鉱泉』に到着。
女将さんに案内され、これから2泊を過ごす自室へ。窓は開けられ、網戸からはそばを流れる川の音とともに爽やかな風が部屋へと流れ込む。すでに真夏日連続の東京からは想像できぬ、人間の生きるべきと思える気温がこのうえなく嬉しい。
さっそく浴衣に着替え、いざ浴場へ。この宿を知ってからどれくらいだろうか。ずっと来てみたいと思っていた、緑に抱かれる独得な表情をもつ湯屋。手前の小さな浴槽には熱めに、奥の大きな浴槽には温めに加温された鉱泉が満たされています。
その脇には、涼やかな水音を響かせる打たせ湯。源泉は10.2℃と冷たく、それがそのまま落とされているため手で触っただけでもひんやりしゃっきり。
温めの浴槽にじっくりと浸かっていると、なんだか不思議な感覚に、汗が出るほどではない絶妙な温度、それでいてしばらく経つと芯から解れてゆく。
これはちょっとすごい湯に出逢えたかも。一浴目からそんな直感を抱き、開けた窓のそばにごろりと転がる至福の湯上り。時刻はまだ14時半。下界ならば一番暑い時間帯だろうに、ここにはこんな爽やかな空気が流れている。
天然の冷涼に日々蓄えた体内の熱を早くも放散し、うつらうつらと微睡み目覚めたところで再び湯屋へ。ほんのり温かい無色透明の湯に揺蕩えば、自分と湯の境界が溶けゆくような不思議な感覚に。
するするでも、ふわふわでもない。ここのお湯は、とにかくゆるゆるとした浴感だ。pH4.02、弱酸性の単純二酸化炭素冷鉱泉。肌に泡付きはあるが、刺激はまったく感じない。
熱湯とぬる湯の境には、冷たい源泉が流される槽が。その下の湯口から両浴槽へ冷たいままの源泉が流れ込み、その際に陣取れば上半身はゆるりとぬるく足元は冷たいという至極の対比に。
こんなのもう、いくらでも入っていられる。浴槽の縁に頭を乗せ、眼を閉じ無心で四肢を放り出す。ほんのり温かさが満ちてきたら、手足を湯口に近づけ一服の涼を得る。そんなことを繰り返していると、時間なんて気づかぬうちにあっという間に溶けてゆく。
送迎車は茅野駅発13時と16時の2本あり、可能であれば早い方の便で訪れるのが断然おすすめ。こんなにゆるりと過ごしていても、時刻はまだ16時過ぎ。標高1,870mの風を浴びつつ飲む湯上りの金星が、2浴目でほぐれた心身に沁み渡る。
夕食は18時前後に設定されており、支度ができたら館内放送で知らせてくれます。その前にもう一度お風呂へ向かい、じっくり浸かり頭を流すことに。
湯上りに、電気も点けず暮れゆく空をぼんやり眺める。そんな贅沢な空白に身を委ねていると、お待ちかねの放送が。食堂へと向かえば、おいしそうな品々が並びます。
前菜の青菜の胡麻和えはしゃきしゃきと瑞々しく、モロヘイヤと長芋のつるりとしたお浸しも素朴な旨さ。ふきのとうの甘酢漬けはほろ苦さと甘酸っぱさが絶妙で、これは冷たい地酒がさっそく進む。
ローストビーフは赤身の旨味をしっかり感じ、添えられた卵ポテサラは優しい味わい。煮いかのマリネは柔らかく、甘酢の染みたいかとしゃきっとした生キャベツの組み合わせは意外なおいしさ。
姫竹と夏野菜、海老の煮びたしは薄味で、野菜の持つ瑞々しさや素材のおいしさをしっかり感じられる味わい。自家製だというますの甘露煮は頭から食べられるほど柔らかく、ほろほろとした身に宿る凝縮感ある旨さが堪らない。
素材の味わいを活かしたおいしい料理とともに、冷酒があっという間に終了。続いてご飯片手にとお茶碗に盛れば、ふっくら艶々もっちもち。ひと口頬張れば甘味が広がり、ご飯だけでもいくらでも食べられそう。
そして嬉しいのが、具だくさんの塩豚汁。たっぷりの根菜と豚の白身の甘味が染み出たおつゆは、ひと口飲めばお腹へと落ちる前に体の芯へと沁み入るよう。
半分残しておいたますの甘露煮に、しっかりとした酸味が旨い野沢菜の古漬け。おひつにたっぷり入ったお茶碗3杯分を、お腹ぱんぱんになりつつも結局ひと粒残さず平らげてしまいます。
期待以上においしい品々に、大満足で自室へと戻ります。館内のところどころに飾られる剥製たちが、車道の突き当り、スマホの電波も届かない山奥の宿へ来ているという実感を深めてくれるよう。
あとはもう、お酒と鉱泉に揺蕩う時間。そんな夜のお供にとまず開けるのは、地元茅野の戸田酒造が醸すダイヤ菊純米吟醸。
そういえば、これだけ信州に来ているのに飲んだことないかも。そう思い手に取ったお酒ですが、これがまた大正解。ここちよい甘酸っぱさの中にちょっとした辛さや渋味を感じ、信濃の酒の奥深さを改めて思い知らされます。
満腹も若干落ち着いたところで、静けさに包まれる夜の浴場へ。緑に染まる昼間とは一変し、そこに広がるのはまた異なる表情を魅せる独特な世界。
ゆるりとした浴感の鉱泉に身を沈め、その絶妙なぬるさに心身を溶かしてゆく。浴場を満たす打たせ湯の音、眼を喜ばせる苔むす岩に羊歯や木の葉の緑。そんなお湯と空間に身を任せれば、心身の火照りや凝り固まった日々のあれこれが音もなく溶け出てゆく。
まだ初日だというのに、すっかりほぐれてしまった。そんな湯上がりの時間を彩るのは、信州に来たらやっぱり飲みたいワイン。信濃ワインの潔さを感じさせるドライな味わいが、空っぽになった体とこころに沁みてくる。
のんびりちびちびワインを味わっていると、窓の外に何やら明るさが。この時間になんだ?そう訝しげに窓辺へと近寄れば、山際からその存在感を惜しげもなく漏らす月の明るさ。
え?これってもしかして月?いい歳してなんて馬鹿なことをと思われるかもしれないが、僕が生れ育ち暮らしてきた環境では、こんな明るい月など見たこともない。その眩しさは、肉眼で直視するのは危ないと思うほど。
44年も生きてきて、まだまだ知らないことや経験のないことだらけだな。
生まれて初めて目の当たりにする、漆黒の山から月の生まれる瞬間。見る間に夜空を明るく染める煌々たる姿に、この歳になってもまだ未知に出逢えることの悦びをひとり静かに噛みしめるのでした。
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