どんなに楽しい旅でも、必ずこの瞬間がやってきます。いよいよ、帰京の時間。長い長い北斗星が、ゆっくりと札幌駅に進入してきます。この列車が、一晩を掛けて僕を日常へと連れ戻していくのです。
太陽の名残も消えかけた、この空と同じ色をした機関車に輝く流れ星。夜行列車に相応しい、堂々とした佇まい。これから漆黒の雪原を駆け抜けていくという、力強さを感じます。
列車の行き先には上野の文字。心はまだ北海道にあっても、この二文字を見ると、現実に連れ戻されるような感覚を味わいます。
食堂車には、すでに温もりのある灯りがともされています。ブルーの車体に白熱灯の柔らかな光り。誰もがあこがれる北斗星の象徴です。
これが今回僕の乗車する6号車。一人用個室ソロと、ロビー室、シャワー室の合造車です。車両についているエンブレムが、より重厚感を演出します。
一晩快適な旅を約束してくれる、B個室ソロの室内。現在の北斗星は、食堂車を境にJR東日本と北海道の車両がくっつけられています。
ソロに乗るなら断然北海道車。室内に階段があり、そこで立って着替えなどをすることができます。東日本車は上段も下段も立てない高さ。同じ値段でこの差は大きい。5,6号車が北海道車のソロです。
今回の旅でのラスト・クラシックを開け、出発の時を待ちます。明日の朝目覚めるときには、もう本州のはず。
程なく、客車特有の揺れと共に、列車は音も無く静かにホームを滑り出しました。さようなら、札幌。再びこのホームに立てるよう、再訪を強く誓いました。
僕がソロに乗るときは、必ず上段を指定します。人それぞれ好みは分かれるところですが、上段ならではの、天井まで伸びる大きな窓からはすばらしい眺めを楽しむことができます。ひとたび市街地を抜け、漆黒の闇の中に放り出されれば、窓からでも手の届きそうな満天の星空が広がります。
列車の出発後、部屋でまったり過ごします。室内灯を消し、ビール片手に流れる車窓を眺めながら、この旅の思い出を繰り返し、繰り返し、反芻します。
そんなぼんやりタイムを過ごしていると、食堂車営業開始の放送が。今回は、もしかしたら北斗星乗り納めかもしれない、と思いフレンチを予約しました。食堂と書かれた、古ぼけた貫通扉を開けたその先には、まさに非日常の贅沢な空間が僕を待っています。
この日の予約は、僕を含めて2組。気さくなウェイターさんに案内され、席に着きます。北斗星の名を一躍世間に知らしめた立役者でもある、この食堂車。いつ乗っても、この気品と迫力には圧倒されます。
この贅沢な時を楽しむべく、十勝ワインハーフボトルをオーダー。軽めながらも葡萄の風味、渋みを感じられる、おいしい赤ワインです。
いよいよディナーの始まり。まずはサラダ仕立てのオードブル、アスパラガス フルーツトマト 帆立貝と蟹のサラダ バルサミコ風味。
大ぶりのかに肉と、身の厚い帆立の上に、いくらが載せられています。周りを彩る野菜も歯ごたえがよく、ほんのり酸味のあるドレッシングがうまく全体をまとめます。
続いて魚料理、平目の湯葉包み蒸し バジルのムスリーヌ添え 青森産ニンニクのクリームソース。
ほんのり豆の香りのする湯葉に包まれた平目は、ふっくらと蒸あげられており、トマトとバジルのソースが心地よい風味を添えます。
下に敷かれているクリームソースには、青森の特産品であるニンニクが使われており、嫌味にならない程度に、心地よく口から鼻に掛けて香りが抜けていきます。このソースが絶品。今回の一番のお気に入りです。プチパンとの相性もよく、残さず頂いてしまいました。
お次は肉料理、牛フィレ肉のソテー 温野菜添え 赤ワインソース。
丁度よくレアに焼かれた柔らかいフィレ肉の上には、ソテーされたキノコが載っており、周りにはカボチャやオクラ、トマトなどの温野菜が彩りよく盛り付けられています。
それらを付けて頂く赤ワインソースは決してくどくなく、適度な濃さと丁度良い味付けで、これまた美味。ここが列車内であることを忘れてしまいそうなほど、きっちりと作られています。駅弁全盛期の今、列車内で温かいものを味わえる幸せを噛みしめ、心ゆくまで堪能します。
豪華なディナーの締めくくり、特選デザートとフルーツの盛り合わせ。チョコレートのケーキは特に濃厚で、フランスから空輸しているものだそう。
ウェイターさん曰く、濃厚で好みが分かれるとのことですが、僕は美味しく頂きました。甘すぎず、苦いくらいが丁度いい、飲んだ後にぴったりなデザートです。
目にも、舌にも、心にも美味しい料理に舌鼓をうち、暗い雪原を眺めながらワインを頂く。この世にこれほどの贅沢があるでしょうか。叶うならば、このまま時が止まってしまえばいい。そうとさえ思うほどの至福の瞬間。
古くから、食堂車は列車の華。大人から子供まで、ここに来れば皆ワクワクしたそうです。残念ながら僕の世代では、新幹線の食堂車がやっと記憶にある位。それでも人で賑わっていたことを覚えています。
食堂車が消え行く中、ここには未だに元気な食堂車の姿がありました。ディナータイム終了後のパブタイムでは、満席で座れない人がいるほどの盛況ぶり。本気を出せば、十分営業していけるという証拠です。
戦前から受け継がれてきた列車旅の文化は、今でもこうして受け継がれています。その火を決して絶やしてはいけません。
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