男滝女滝の涼しげな水しぶきに一服の清涼をもらい、息も汗も落ち着いたところで妻籠目指して再び歩きはじめることに。
本来は滝の頭上を旧街道が通っているようですが、一部崩落のため通行止め。それでも丁寧に迂回の道しるべが出されているので、迷うことなく先へと進めます。
滝からしばらく歩くと、再び人の営みの気配が。人家が現れはじめたと思えば、そこは下り谷と呼ばれる集落。古き良き情緒に包まれる集落内には、ひっそりとした静かな空気が流れます。
馬籠や妻籠といった、有名どころの宿場町を思い浮かべる中山道。ですがこんな往時の風情を漂わせる小さな集落にふと出逢えるのは、歩いて辿っているからこその愉しみ。
渋さに溢れる集落を抜け、小さな畑をかすめるように進む道。先ほどの集落の方が耕作しているのでしょうか。ずっと山道を歩いてきたからか、里の情緒が温かい。
少しずつ、しかし確実に次の宿場に近づいている。だんだんと濃くなる人の暮らしの気配に背中を押されながら、再び深い森へと足を踏み入れます。
あと、もう少し。手元に地図はありませんが、景色が気配が直感がそう言っている。そう思いつつ坂を下ってゆくと、突き当りの木々の合間からは大妻籠とその先の谷筋へと続く集落の姿が。それにしても、山しかない。本当にこれは、木曽路はすべて山の中、だ。
ここに来て、里との標高差を一気に縮めるかのように下る九十九折りの石畳。馬籠からの登りが急だとはいえ、角度的にはここがこれまでで一番かも。こちら側から登ってこなくて良かった。そう思いつつ、これから下る道を俯瞰します。
見下ろすほどの勾配に目を奪われがちですが、このあたりは特に往時の様子を色濃く残している一帯。石畳も古いもののようで、数え切れぬほどの旅人や参勤交代の行列の足跡の上を歩いているかと思うと感慨もひとしお。
急勾配の山腹を器用に這う九十九折り、その先に続くゆるい曲線を描く石畳。江戸時代から交通を支えてきた旧街道の空気感を胸いっぱいにしまい込み、ふと振り返るこれまで辿ってきた道のり。
初の中山道歩きにして、なんだかすごいところを歩いてきてしまった。恵まれた天候も手伝い、人里に下りてしまうのが少しばかり名残惜しくすら感じてくる。
季節が、天候が違えば、もしかしたらまた違った印象を受けたかもしれない。それほどまでに、清々しい感動すら覚えさせる今日の木曽路。自分の足で山を越えてきたという手ごたえを胸に、さらに先へと歩みを進みます。
ここ大妻籠は、かつて妻籠と馬籠の間宿として栄えた集落だそう。街道筋の立派な建物もさることながら、小川沿いに残る渋い建物がまた味わい深い。
かつて旅籠の並んでいたという大妻籠。今も数軒の民宿があり宿泊できるそう。歴史ある建物に寝泊まりし、朝起きて街道歩きの旅に出る。そんな古の旅人をなぞるような旅も、いつかは経験してみたい。
重厚な旅籠の連なる一画を過ぎると、旧街道は左に曲がり再び県道から距離を置くように。やはり道しるべが立てられているほか、狭い道沿いにそれらしい町並みが続くのですぐにそれと分かります。
ここから下り基調になるかと思いきや、そうはいかないのが山深い中山道。川を渡る小さな橋の先から分岐した旧街道は、再び急勾配で山腹へ。登りきった先には、ひっそりと現れる神明集落。その静けさに包まれた姿は、ここだけ時が止まったかのよう。
ぽつんと佇む集落を抜けると、道は竹林の中を進むように。竹の葉越しにそそぐ陽射し、風にそよぐ葉擦れの音。足元からは男埵川の水音が聞こえ、最後の山道の風情を味わわせてくれているかのよう。
山を抜け、男埵川の合流した蘭川を渡ると妻籠はもう目の前。すると先ほどまでの険しさとは一変し、突如現れる長閑な景色。この開けた光景に、旅の終わりが近いことを直感する。
蘭川の刻んだ段丘上に広がる畑沿いに、ゆるゆると下ってゆく旧街道。その畑も尽き大きな駐車場が現れれば、ついに妻籠宿に到着。自分の足で山を越え、馬籠からたどり着いた次なる宿場。そのことを祝ってくれるかのように、春の陽射しに輝く梅。
何だろうか、この得も言われぬ感慨は。これまで8㎞ほどを徒歩で移動するなど、別に珍しくもないことだった。それなのに、今日の道のりはひと味もふた味も違いすぎた。
宿場から宿場まで、さらには都から江戸までをひたすら紡ぐ中山道。その道のりは、文字通りの山あり谷あり。その合間にときおり出逢う、人々の営みの歴史。道は土地を結ぶものであり、もしかすると時間をも繋ぐものなのかもしれない。
初めて歩き、この足で確かめることのできた木曽路の歴史。古道は言わば、交通の原点中の原点。交通を愛する者として、歴史の生き証人に触れられるだけでもう充分。
本当に、良い旅路だった。馬籠から妻籠まで歩いてきたという実感を足に宿し、辿ってきた道のりを万感の思いで改めて振り返るのでした。
コメント