仲卸市場から再び『100円バス』に乗り本塩釜駅で下車。駅前から伸びる門前町の雰囲気漂う大通りをのんびり歩き、「鹽竈神社」に到着。深い森に吸い込まれるかのような石段が印象的な表参道よりお参りします。
石鳥居には「陸奥國一宮」の立派な文字が掲げられています。こちらの神社はとても古く、1200年近く前、平安初期にはすでにあったとのこと。創建以来、この地で東北を見守り続けてきました。
山の傾斜に沿うように造られた急な石段を登り詰めて後ろを振り返れば、目がくらむような高さと傾斜。足腰に自信の無い方は、東坂と呼ばれる参道や駐車場へと続く車道を歩いた方がいいかもしれません。
あの高低差を登っただけあり、近くに街や車道があるにもかかわらず辺りは静寂に包まれています。もうここまでくればあと少し。門を目指して残りの石段を登ります。
門をくぐり左側を見ると、空へと向かう立派な杉の御神木が。フレームには収まりきらないその大きさは、高さもさることながら枝ぶりも見事なもの。
御神木の反対には、とってもかわいい顔をした撫で牛が座っていました。
牛は撫でるとよだれをよく垂らすそうで、よだれが細く長く続く姿から、商売繁盛を祈願して奉納されたそう。この牛さんは商売繁盛のほか開運にもご利益があるようで、もちろん僕もなでなでしてきました。
深い緑に映える朱塗りのお社。豊かな森を控えた荘厳な姿からは、東北を見守り続けてきた歴史が伝わってきます。東北鎮護、陸奥國一宮。しっかりとお参りし、僕の願いを託してきました。
続いて鹽竈神社のお隣、志波彦神社にお参りします。こちらの神社は、元々は今の仙台市内に位置していたそうですが、明治時代に鹽竈神社に遷祀され、昭和時代に国費を以ってこの地に造営されたそう。
赤と黒に彩られた社殿は鹽竈神社とはまた違う趣を持ち、両側に迫る森を従える姿はまさに荘厳そのもの。
志波彦神社前からは、塩竈の街並みと穏やかな海を眺めることができました。昔の日本の人々は、山や森、海などの自然に「神」という存在を感じていたのでしょう。
何でも思い通りになってしまうような錯覚を覚える現代でも、思い通りにならないのが自然。昔の人々が抱いていた「畏れ」という気持ちを、僕ら現代人も持ち続けなければなりません。地震、津波、豪雨、台風。多くの自然災害に見舞われた今年、今一度そのことを胸に焼き付けました。
そろそろ仙台へと戻らなければいけない時間に。帰りは本塩釜駅から仙石線で仙台へと向かいます。
駅前には凛々しい姿のまぐろを乗っけたポストが設置されていました。津波の傷痕が残る中、その姿に心が和みます。
初めて目にした津波の傷痕が残る街並み。その状況は想像していたものを遥かに超え、目に焼きついた光景は一生忘れることができないでしょう。
塩竈はこれでも津波被害が少なかったと言われる街。東日本の太平洋沿いには、このようになってしまった街が数え切れないほどあると思うと、胸を痛めずにはいられません。
ですが、この1ヵ月後再び塩竈を訪れると、このときから何かが変わっているという雰囲気が手に取るように感じられました。被害を受けた建物や消えた信号はそのままなのですが、街を歩く人の数やその表情、そして街に感じられる力。
部外者がこんな事を言うのは失礼で無責任であることは重々承知ですが、間違いなく復興へ向けて着実に向かっている、そのことがしっかりと伝わってきました。
半年経った9月でも、復興よりも前の段階、復旧すらできていない状態。それでも1ヶ月という短期間で感じられた違いには驚きと嬉しさを感じずにはいられませんでした。東北の方々はなぜこうもお強いのでしょうか。その力に少しでもなれるよう、僕らも応援を続けていかなければなりません。
様々なものを目にし、感じさせてくれた塩竈の街。被災状況はネットにいくらでもあるので、僕は敢えて撮影もせず、ブログに載せることもしませんでした。
ただ、海に近い地域では、360°どこを見てもテレビやネットで見る状況が広がっている。それだけは言葉として伝えたいと思います。
ですから、軽い気持ちで訪れることはおすすめしません。そのような気持ちで行けば、自分が予想以上に胸を痛めるか、被災地の方々を傷付けるかどちらかになってしまうでしょう。
それでも、僕はこの地を訪れて本当に良かったと思っています。百聞は一見にしかず、自分の目で見ることの重要性を再認識させられました。
そして辛い現実だけではなく、美味しいものに立派な神社と、塩竈の街は僕に大きなものをくれました。そのご恩を、観光客として少しはお返しできたでしょうか。そしてこれからも返し続けていきたい。強い思いを胸に抱き、塩竈の地を離れるのでした。
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