古きよき鉄道に想いを寄せる者の、その心の奥に深く響くような展示が印象的な、新津鉄道資料館。
単なる現物の展示ではない、新津の街が持つ鉄道への愛情というものが伝わるような濃い展示に、興奮醒めやらぬまま駅に到着。するとそこには、その余韻を再燃させる存在がガラガラと音を立てて佇んでいます。
豪快なエンジン音を奏でる国鉄型気動車キハ47。その色はここが新潟であることを強く実感させる、新潟色。僕の子供の頃から新潟といえばこの色。運転台後ろに描かれた赤い「N」の文字が、その塗装の渋さを一層深いものにしています。
車内へと足を踏み入れれば、一気に包まれるこの空気感。そういえば、最近はローカル非電化路線に乗ってもキハ110がほとんどだった。
こうして国鉄型の気動車に乗れるなんて、どれくらいぶりだろう。今日もキハ110だとばかり思っていたので、これは本当に、本当に嬉しい巡り合わせ。鉄道資料館の感動そのままに、古きよき汽車旅へと出発、進行!
列車は新津駅を定刻に発車。思い切り吹かすように唸るエンジンとは裏腹に、のそり、のそりと動き出す鋼鉄のボディー。
平成生まれの身軽なディーゼルカーには無い、いい意味での鈍重さ。その加速度の遅さから、非力なエンジンが一生懸命重たい鉄の塊を動かそうとするのが伝わります。
ディーゼルカーより、気動車と呼びたい。のんびり、ガタン、ゴトンと流れる車窓には、秋を彩る柿の実が。あぁ、汽車旅だ。SLだけが汽車ではない。田舎の人が未だに鉄道を汽車と呼ぶ理由が、何となくだけれど分かる気がする。そんな穏やかさに包まれる午後の車内。
車端部のボックスシートに足を投げ出し、身を委ねるエンジンと鉄路の響き。いつしか市街地を抜け、車窓には午後の陽を受けて黄金色に輝く田んぼと山並みが。
それが秋真っ盛りと違うのは、稲はすでに刈り取られ、遠くの山はうっすらと雪化粧をしているということ。程なく秋は終わりを告げ、白い雪に包まれる季節へとバトンを渡すことでしょう。
こんな旅路がいつまでも続いてくれたら。なんてことのない、田んぼと山が続く風景。だけれど、今日この瞬間、こうして見る車窓はただそれだけのものとは違う。
それは鉄道資料館の余韻であり、この車両が刻んできた年輪であり、そして晩秋の午後、弱まり始めた太陽がそう思わせるのかもしれない。
郷愁、この文字が一番似合うこの瞬間。僕の古い記憶を呼び起こす青いボックスシート越しに眺める車窓は、今という時をセピア色に染めてゆきます。
現在と過去が溶けて混じりゆくような列車旅。僕は鉄道が好きで本当に良かった。こうして古い車両に乗り素朴な車窓を見るだけで、埋もれかけていた大切な記憶が蘇るのだから。
国鉄の残像と共に旅できる期間は、あとどれくらい残されているのだろうか。消えてゆく悲しさ、残される寂しさは、自分なりにもう嫌というほど味わった。だからこそ、この瞬間を強く焼き付けたい。きっと遠くない将来、それは永遠の想い出になってしまうのだから。
溢れ出す記憶と感傷の洪水に呑まれつつ味わった、短くも濃い汽車旅。新津駅から走ること30分、今宵の宿のある咲花駅に到着。
到着前の車窓からも、その雄大な姿を見せていた阿賀野川。咲花温泉は阿賀野川に沿って数軒の旅館が並ぶ小さな温泉街。その一角には咲花きなせ堤河床というウッドデッキが設けられ、ここで旅館のランチを食べたりイベントなども開催されるそう。
ゆったりと流れる阿賀野川の流れを楽しもうとデッキに出ましたが、季節はもうすぐ冬。吹きすさぶ風が冷たく、ちょっと早い時間ながらも宿へと向かうことに。
その途中、磐越西線の築堤には今年最後の彩りを残す紅葉が。秋が暮れゆくその様に、僕の心にまで木枯らしが吹き始めます。
新津で僕のスイッチが入ってしまったのだろうか。今日の僕はいつも以上に感傷的。でもそれは決して不快なものではなく、去りゆく季節を全身で浴びているという証。身も心も晩秋に染まったところで、いよいよお待ちかねのお湯で温まることとします。
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