ここでしか食べられない絶品のけとばしわっぱに舌鼓を打ち、お腹も心も満足したところで再び会津若松の街をのんびり歩きます。
歴史ある酒蔵の先に聳える鶴ヶ城。こうして街をお城が見守る姿は、城下町というものに住んだことのない僕にとって一種の憧れ。街のシンボル、人々の心の拠りどころ。だからこそ全国でお城が再建されているのでしょう。
木々もすっかりと葉を落とし、少しだけ寂しさをまとった鶴ヶ城のお堀。遠くにはもうすぐ雪に染まるであろう晩秋の山並み。穢れのない抜けるような青空が、晩秋のお堀端を鮮やかに彩ります。
秋の陽射しに照らされ輝く石垣。重厚な姿に色を添える柔らかい苔が、この地で過ごしてきた長い年月を語りかけるよう。
抜けるような秋空に聳える鶴ヶ城。鶴が羽根をのばしたように美しいことが名の由来となったこのお城は、いつも見るたびにため息の出る優美さをもっています。
鶴のような白い肌、雪国ならではの赤瓦。直線と曲線で構成された天守閣は、まさに空へとのびやかに羽ばたく鶴のよう。
天守閣前の庭園では、来る冬に備え木々の雪囲いが進められています。これから迎える長い冬。秋から冬への移り変わりは、この旅で何度目にしたことでしょう。
晩秋のもつ物悲しさに、自分がもうすぐこの地を去ることの寂しさを重ね合わせる。そんな気持ちで見上げる鶴ヶ城に再訪を誓い、お城を離れます。
バスの時間まではもう少し余裕が。駅へと向かう途中にある『末廣酒造』嘉永蔵に立ち寄ります。ここは会津若松へ来たら絶対に寄らなければならないポイント。
江戸時代の創業からこの地に建ち続ける嘉永蔵。その歴史を表すかのような重厚な看板と、旨い酒ができたことを知らせる立派な杉玉に見守られて中へと入ります。
蔵の中の見学も無料ででき、試飲のできる売店も併設。ここでしか買えない嘉永蔵醸造のお酒も並び、酒好きにとってはまさに楽園。新酒の時期には、運が良ければふなぐちしぼりたてのものも飲ませてくれるそう。
ここでいくつか試飲をし、好みのものをお土産に購入。今度は雪のどっさり積もった新酒の時期に来てみたい。この渋い蔵には雪もきっと似合うことでしょう。
あとはもう駅へと向かい帰るだけ。重たいお酒とたっぷり詰まった想い出を抱え、会津若松の街をのんびり歩きます。
途中には歴史を感じさせる木造建築や蔵がちらほら。街に溶け込んだ、普通にそこに在るという感覚が、この街の歴史ある魅力をより強いものにしています。
晩秋の弱まり始めた日に照らされる、かりんの実と榮川の酒蔵。現在は磐梯山麓に工場がありますが、ここが僕の好きな酒のふるさと。今回も初恋の日本酒をしっかり味わいました。榮川、何度飲んでも飲み飽きない旨い酒。
ついに駅前へと戻ってきました。今回はバスで帰京するため、駅前に位置するバスターミナルへ。以前は渋い佇まいでしたが、改装されてお土産も充実、カフェも併設されています。
待合室で待つことしばし、ついに『JRバス関東』夢街道会津号の入線アナウンスが。あぁ、終わった。この地を離れる、そしてこの旅を終える決心をし、バスへと乗り込みます。
晩秋の日暮れは早い。バスが高速に乗る頃には、すでに会津盆地に夕暮れの気配が漂い始めます。
ぼんやり眺めるバスの車窓。磐梯山麓へと舵を切り、高速道路を登ってゆくバス。会津盆地は次第に眼下へと離れてゆき、それにつれて陽も弱まり色彩が失われはじめる。
満足だ、期待以上、想像以上に満足だ。最初は休みの取れたタイミングが晩秋とはいかがなものか、とも思っていました。でも実際こうして旅してみて、晩秋だからこそ味わえた風情があった。
最近では夏と冬が極端になり、春と秋がその存在感を薄くしつつある東京で暮らす僕。そのため秋といえば、の燃える紅葉に期待しがち。だからこそ、晩秋という季節にはイマイチ心が躍らなかった。
でもそれはあまりにも浅はかで、愚かな考えだった。日本は四季のある美しい国。そしてその季節は、入れかわりたちかわりで交代してゆくのではなく、お互いに手から手へ、きっちりとバトンを渡していた。
紅葉も終わり、雪もない。一見何もない時期に思えてしまう、晩秋という季節。この旅を経て、改めて季節のグラデーションというものを再確認できた。
秋の終わりと冬の始まり。それを結んで僕を運んでくれた、鉄道の時代を彩る主役たち。季節の移ろいに触れ、鉄道の進化を味わう。この旅は、そんなふたつのテーマが根底に流れる、味わい深い旅だった。旅を趣味に持つことの素晴らしさを心に刻み、この旅の終わりを静かに迎えるのでした。
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