東置繭所を後にし、更に先へと進みます。こちらの建物は検査人館といい、生糸の検査を行ったフランス人技術者の住居だったもの。レンガの洋館に瓦葺きの破風といった、和洋の組み合わせの妙が印象的。
続いては製糸場の心臓部である操糸所へ。西日に照らされるレンガ造りの建物は、何とも言えぬ郷愁を誘います。
西洋の雰囲気を持ちつつも、日本の建築美を感じさせる独特な入口。江戸時代が終わってからたったの5年、その短期間でここまで外国の技術と自国の文化を融合させてしまうなんて。日本人の良いものを取り入れる力の高さを今一度実感します。
中へと入れば、一本も柱のない巨大な空間。この操糸所は奥行が約140mもあるそうで、この大屋根を支えるためにトラス構造で骨格が組まれています。
操業を停止したときの状態のまま保存されている操糸所。巨大な機械がどこまでも並ぶ光景に、大勢の女工さんたちが汗水垂らして働く姿が目に浮かぶよう。くどいようですが、ここが僕の子供の頃まで現役だったなんて。この30年で日本は本当に大きく変わりました。
日本の近代化の原動力を担った工場を後にし、首長館と呼ばれる建物へ。その途中にある渡り廊下には、懐かしさを感じさせるタイル張りの洗面所が。
きれいな学校が増えた今、いまの子供たちが大人になってこれを見て懐かしいと思うのだろうか。僕はやっぱり昭和生まれで良かった。そう思う瞬間が、歳を追うごとに増えてきました。
その廊下の柱に掲げられた、火元用心と禁煙の文字。写真では伝わりにくいかもしれませんが、これは文字を記して色付けされたタイル。ペンキで書いてしまえば済むところを、ただの文字では済まさない。こんな小さなところにも、失われてしまった美意識というものを感じます。
そしていよいよ首長館へ。こちらは普段は未公開の建物。年に数回だけ、イベントに合わせて公開されるそう。前回来たときには中へと入ることができなかったので、いいタイミングで訪れることができました。
富岡製糸場の設立を指導したフランス人、ブリュナ。その住居として建てられたこの大きな屋敷は、その後若い女工さんたちのための学校として利用されていたそう。内部はその当時の講堂の雰囲気を色濃く残しています。
内部は撮影禁止とのことだったのでカメラはしまっていたのですが、警備員さんが展示物が分からない距離ならどんどん撮ってくださいと言ってくれたため、ありがたく撮影させていただきました。
というのも、このとき展示されていたのは、昭和中期に在籍していた社員の方が製糸場内で撮った写真たち。家族写真のアルバムから選んだであろうたくさんのモノクロ写真からは、当時の生活や場内の空気まで伝わってきます。
そして奥に飾られた見事な花は、繭から作られた造花。単なる生け花だと思い通り過ぎてしまいましたが、警備員さんに教えてもらい初めて造花だということに気が付きました。
この緻密な黒板絵は、昭和10年代にこの社宅で子供時代を過ごした方の思い出を描いたもの。ここに描かれた記憶はその方だけではなく、ここで育ったたくさんの方々が共有しているものなのでしょう。
現役当時の空気を封じ込めたような操糸所に、学園の講堂に飾られた思い出たち。人々が残していった昭和の記憶遺産に想いを馳せつつ、富岡製糸場巡りは更に続きます。
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