内陣で静かな時間を過ごし、漆黒の闇に包まれるお戒壇巡りへ。錠前に触れて無事に善光寺さんとのご縁を結んだところで、秋色に染まる境内散策へと繰り出します。
本堂の出口を抜けると、ひときわ目を引く大きな紅葉が。秋という季節の移ろいを色として表現するかのように、根元から枝先へと豊かなグラデーションに染まります。
時を知らせる鐘楼を彩る立派な紅葉。秋の午前の太陽に透かされれば、葉の一枚一枚の繊細な美しさが際立つかのよう。
それにしても、今日は本当に天気がいい。文字通りの天高い秋晴れの青さと、色付く木々の放つ紅。この鮮烈な対比に、胸がすくという感覚を久々に味わいます。
渋い檜皮葺の色合いと、鮮やかな秋色の共演。日本の秋を体現するかのような光景は、一年の中でも限られた時期でしか味わえないしみじみとした贅沢。
境内を赤く染める紅葉の中で、負けじと黄金色の輝きをみせる銀杏。モノクロームの冬を目前に、それぞれの木々が自らの持つ固有の色味を競い合う。今年最後の輝きを感じさせるからこそ、秋という季節は郷愁を誘うのかもしれない。
秋の日差しの温もりにふと天を仰げば、抜けるような青空を覆う色彩の競演。赤一色、黄一色もきれいだけれど、それぞれの秋が交じり合うからこそ季節に深みを与えるのでしょう。
苔むす庭園を彩る、様々な木々。思い思いに色付くものや、葉を落とさず緑を保つもの。それらが一堂に会する様は、まさに錦と呼ぶに相応しい美しさ。
枝から散ってなお、その艶やかな紅で地面を染める秋色の葉。紅葉の木の下に落ち葉の広がる姿は、まるで赤い絨毯のよう。
そして上を見上げれば、息を呑むようなこの光景。これを鮮烈と言わずして、何を鮮烈と言うのだろうか。そう思わせる天然色の力が、一瞬で心の深い部分まで秋色に染めあげます。
広い境内を進むごとに、様々な表情を魅せる善光寺さん。300年以上を経た木造の渋さと紅葉の対比は、郷愁という感情を収めた一幅の絵画のよう。
善光寺さんはいつ訪れても心打たれるけれど、紅葉に染まる今日の美しさはまた格別。紅葉を愛でつつ本堂を一周する頃には、自分の隅々までもうすっかり秋色に。
広い境内を埋め尽くす錦秋の輝き。限りあるその美しさを残そうと、あちらこちらに絵を描く人々が。その姿さえも、秋を演出する風景の一部であるかのよう。
更に歩みを進めれば、大輪の花が並ぶ菊花展が。秋晴れに、輝くもみじ、菊の花。日本の秋という概念が凝縮されたかのような光景に、旅に出て四季に触れることの悦びを今一度強く嚙みしめます。
色々ありすぎた今年だけれど、故郷から出ることさえもままならなかった時もあるけれど。その辛抱の時期は、信州で全力の秋をより深く感じるためにあったのかもしれない。
目にするもの全てが秋色に染まる今日の善光寺さん。やっぱり、秋の一番いい時期に来ることができたに違いない。去年の同じ頃には紅葉の盛りは過ぎていたので、その幸運を今は素直に噛みしめたい。
思い返せば、自分的節目で呼ばれるように訪れている善光寺さん。今回は溢れるほどの秋色と穏やかな気持ちを僕にくれました。きっと次も、また違う心境に気付かせてくれることでしょう。秋色の山並みを背負う本堂に、今日のお礼と再訪の誓いを伝えます。
本堂に別れを告げ、駅へと戻る帰り道。すると山門の脇には、金に色付く銀杏の大木が。
あぁ、本当に秋だな。今日幾度も味わったこの感動は、何度遭遇しても色褪せない。きっとこれは、2020年という年に善光寺さんがくれた宝物。到着早々染めあげられた信州の秋に、今はただただ豊かな充足感を噛みしめるのでした。
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