時間を気にせず、優しい瀬見の湯と喜至楼の世界観に身を委ねるという贅沢。予定を詰め込まぬ連泊だからこそのゆとりに揺蕩っていると、もうお昼どきに。お腹も空いたので、昼食をとりに出かけます。
大正時代生まれの4階建て、荘厳な本館千人風呂の建物のすぐ横に鎮座する湯前神社。瀬見温泉の守り神として、薬師如来と不動明王が祀られているそう。
石段の脇には飲泉所が設けられ、瀬見の熱い湯が筒から流されています。柄杓ですくい、ふうふう冷ましてひと口。ほんのり塩味のなかに玉子のような風味が感じられ、意外と結構いける味。
古くから瀬見温泉を見守り続けてきた小さな神社。その周りを取り囲むように連なる、時代の異なる喜至楼の建物。明治、大正、昭和。喜至楼がいかに瀬見の歴史とともに歩んできたかが伝わるよう。
湯前神社に9年ぶりの再訪が叶ったことへのお礼を伝え、小さな温泉街へと向かいます。その道中、やはりこうして足を止めて見入ってしまう。
秋空の下渋さの滲む、重厚な本館。あそこに泊まり、湯浴みをしている。こうして外から俯瞰してみると、現代でそんな時間を味わえること自体が奇跡のように思えてくる。
秋晴れの空を窓に映す、明治元年生まれの本館。その重厚な玄関へと近寄れば、施された彫刻とともに目を引く古いプレートたち。日本国有鉄道推薦旅館に、国際観光旅館連盟会員。雑誌もネットもなかった時代、これらの制度は見知らぬ宿への不安感を軽減するに充分だったことでしょう。
心地よい秋の空気を感じつつ歩くことあっという間、お寿司屋さんである『庄内館』に到着。以前訪れたやまや食堂が昨年末に閉店してしまったため、瀬見温泉でランチをいただける貴重なお店となっています。
お昼から日本酒かよ。そう思いつつ、やっぱりお寿司なら飲みたくなってしまう。初孫をちびりと味わいつつ、静かに待つひととき。一緒に出された手作りのお漬物がまたおいしく、湯の街での昼酒を一層旨くしてくれる。
旅先でお昼からお寿司屋にいる。そんな贅沢と酒を噛みしめつつワイドショーをぼんやり眺めていると、お待ちかねのお寿司が到着。今回は生寿し握りの竹を頼みました。
かんぱちは心地よい歯ごたえとともに脂の甘味が広がり、甘えびもぷりぷり甘旨。北寄は貝ならではのコリっとした食感と旨味を味わえ、柔らかく炊かれた穴子は甘すぎず白身のふわほく感を味わえる絶妙な塩梅。
やっぱり初孫頼んで正解だったな。一貫ずつそれぞれのおいしさを味わっていると、続いて運ばれてきたひと皿。しっかりと巻かれた玉子焼きは、ほっくりと甘い王道の味。お寿司屋さんの玉子って、なんでこんなに酒を進めるのだろう。
続いて巻物を。左側のかっぱ巻きにはしそが一緒に巻かれ、日本酒で火照った口に清涼を与えてくれる。右の納豆巻きには粗みじんの長ねぎが加えられ、香りと程よい辛味がアクセントに。中央はかっぱと納豆のいいとこどりで、これまた日本酒に合わない訳がない。
昼からなんだかいけないことしてる気がしてきた。お寿司と初孫の合わせ技に頬をほころばせていると、熱々のお味噌汁が。運ばれてきた瞬間、鼻をくすぐる良い香り。お椀にはたっぷりと海老の頭が入れられています。
猫舌らしくビビりながらひと口。すると途端に口中を満たしてゆく、幸せな洪水。海老から出た甘味がぶわっと広がりますが、ありがちなクセや臭みは全くなし。一体どんな作り方をすれば、こんな上品かつ濃密な海老のお味噌汁ができあがるのだろう。想像以上の旨さに、思わずうわっと声が出る。
好物のいくらや丁度よく脂ののったまぐろを最後に味わい、ホッとする旨さの海老汁で〆て大満足でお店を後にします。このまま宿に戻るのももったいないな。すっきりとした秋晴れに誘われ、ちょっとばかり食後の散歩をすることに。
奥羽山脈の程近く、太平洋からも日本海からも遠い場所でおいしいお寿司を食べられるとは思わなかったな。そんな予期せぬ出会いの余韻に浸りつつ、のんびり歩く道。山の緑と空の眩い青さの対比に、心の中へとすっと秋が吹き込んでくるよう。
人家も途切れ国道との合流点が見えてくると、そこには見るからに古い一本のコンクリート橋が。陶製の銘板にいちのさわはしと書かれたこの橋は、昭和5年竣工。生まれてからもうすぐ100年、この古豪は新庄方面からの浴客を瀬見温泉へと誘ってきたことでしょう。
実は今歩いてきたこの道、54年前までは国道47号線だったそう。誕生から39年間大動脈として交通を支えてきた小さなコンクリート橋、その先には現道の弁慶大橋と陸羽東線の連なるスノーシェッド。小国川の刻んだ谷を分け合う交通の歴史が、ここ一点にぎゅっと凝縮されているような光景。
多くの車やトラックが往来する現道を対岸に感じつつ、ひっそりとした空気に包まれる旧国道。此君を醸すこの佐藤酒造店も、面する直角カーブにより車にぶつけられることもあったそう。
旧国道のルートを外れ、昼下がりの静かな湯の街へ。瀬見温泉の小さな温泉街にはお菓子やさんや酒屋さん、そしていくつかの湯宿が並びます。
その端には8年前に建て替えられた近代的な共同浴場があり、入口の足湯に注がれる源泉の湯だまりでは高温を活かし温泉玉子が作られています。そんなせみの湯の駐車場奥に、何やら気になる看板が。
度重なる氾濫を繰り返してきた小国川。その暴れ川を治めるための分厚い護岸に穿たれた階段を下ってゆくと、河原にはもうもうと湯けむりを上げる大きな野湯が。
この薬研湯は、源義経の子亀若丸が誕生した際に弁慶が掘り当て産湯を使ったとの伝説が残る場所。その際に使った薙刀の名はせみ王丸、瀬見温泉の名の由来にもなったそう。
見ての通り激熱なので入浴はできませんが、しっかり湯船として整備された跡もあり以前は入ることができたのでしょうか。たとえ適温だったとしてても、このあけすけな環境で浸かるにはかなりの勇気が必要でしょう。
お昼ついでにとふらり出かけた瀬見さんぽ。山間とは思えぬ新鮮なお寿司を味わい、この地を貫いてきた交通の歴史を感じ。瀬見温泉の発祥の湯や神社で義経伝説に触れ、そして自らが宿泊する宿の威容に満ちた姿を改めて俯瞰する。
お湯も街も、派手さはないけれど穏やかさ宿る瀬見温泉。なんだか良い昼下がりだな。喜至楼の放つ圧倒的な存在感を眺めつつ、そんな想いが素直に湧きあがるのでした。
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