木曽川のほとりに訪れる静かな朝。昨日繰り返した温冷交互浴のおかげか、これまでにないすっきりとした目覚め。軽やかな気分で朝の川辺に漂う清々しい空気を吸い込み、朝風呂へと向かいます。
朝から気持ちのよい冷泉でキリリと目覚め、お腹もすっかり空いたところで朝食の時間に。広間でのんびりと待つことしばし、できたてのお膳が運ばれてきます。
パリッと焼かれた鮭と白いご飯の相性は言わずもがな、熱々の揚げ出し豆腐や甘い蕪の入ったお味噌汁も心をほっくりと包んでくれる手作りのおいしさ。蒸し野菜はホクホクと甘く、朝からたっぷりと野菜を味わえるのも嬉しいところ。
おいしい朝食で満腹になり、食後にコーヒーとチョコをごちそうになり部屋へと戻ります。
皆がチェックアウトしてゆく気配を感じつつ、朝の名残りの温もり宿る布団で微睡む至極の怠惰。そんな贅沢な時間に身を委ねていると、閉じかけた瞼に感じる明るい陽射し。窓辺に立てば、穏やかに流れる木曽川の湛える深い碧。
いい気持ちだな・・・。ふと姿を現した陽射しを受けつつ、ぼんやりと過ごす余白の時間。川の流れも、差し込む陽射しも、そして山から届くうぐいすのさえずりまでも、この瞬間を流れる全てが穏やか。
敷きっぱなしの布団に転がり、気が向いたら木曽の流れをぼんやり眺め。そして足の向くまま湯屋へと向かい、鉄の香り漂う湯と無心で戯れる。
そんな甘美な自堕落に揺蕩っていると、もう時刻はお昼前。もう一度温冷交互浴を愉しみ、冷たいこいつをプシュッと開けます。谷の合間を悠々と流れる木曽川を愛でつつ味わう、昼飯前のいけないビール。この刺激があるから、次の旅までまた頑張れる。
ビールを飲み終えると、ちょうどお昼を頼んでおいた時間に。朝食時に女将さんにお昼について聞いてみると、おそばなら作りますよと嬉しいお返事が。今日は宿でひたすらのんびりしたかったので、お言葉に甘えてお願いしました。
こんもりと盛られた太い蕎麦は、冷たい水でしっかりと〆られておりコシもばっちり。湯浴みで空っぽになった体に、そのおいしさがするすると吸い込まれてゆきます。
あとはもう、ただただ部屋と湯屋を往復するだけの至福の時間。ここでしか味わえぬ温冷の鮮烈な対比を幾度も味わっているうちにすっかり日は暮れ、木曽の桟を見守るように浮かぶ明るい満月が。
あっという間に、過ぎちゃったな。そう思えるのは、愉しい時間を過ごせたという揺るぎない証。そんな豊かな今日一日を振り返るべく、今宵も中乗りさん片手に夕餉を味わうことに。
まずは前菜から。甘えびの唐揚げはサクッと揚げられており、殻付きならではの香ばしさが早速地酒を誘います。添えられた新じゃがチップスも、つまむ手が止まらなくなる旨さ。
その奥は、焼きうどの味噌添え。こんがりと皮を焼かれたうどの中に、しっかりと込められた春の味。ふわっと広がる香りと甘味に、この時期ならではの幸せを噛みしめます。
ほたるいかの沖漬けも呑兵衛には堪らない味わいで、上品な網笠柚子はお酒で火照った口に爽やかさを連れてきてくれる。
今夜のお魚は、鮎の塩焼き。ふっくらと焼かれ旨味の詰まった身もさることながら、驚いたのは蓼酢のおいしさ。僕はほとんど蓼酢を使うことはありませんが、今回ばかりは例外。鮎を活かすちょうどよい塩梅に、味の相乗効果というものを今一度強く実感。
そして今夜のお鍋はすき焼き。濃すぎず薄すぎずの割り下で煮られた具材に絡む適度な甘辛さに、もっともっとと中乗りさんを欲してしまう。
ペース配分に気をつけないと、あっという間に中乗りさんが消えてしまう。おいしいお料理と合わせるからこその嬉しい悩みを噛みしめていると、続いて2品が運ばれてきます。
中とろや鯛、つぶなどが盛られたお造りは、ここが木曽路の真っただ中ということを忘れさせてくれるきちんとしたおいしさ。そのお隣は、熱々のかきのとろろ蒸し。ふんわりとした山芋の食感と香りが優しくかきを包み、それを邪魔しない極めて上品な味付けが心に沁みる優しい旨さ。
続いて運ばれてきたのは、鶏団子の煮物。ふんわりほっくりとした団子には鶏の味わいがしっかりと宿り、鶏の旨味の染み出た上品なだしがよもぎ麩や菜の花を一層おいしくしてくれています。
続いては、小柱とうるいの酢味噌。昨日の鉄砲和えとは打って変わって、豆みそ仕立ての僕にとってなじみのない見た目。ざっと思い返しても、豆みその酢味噌を食べた記憶が見当たらない。一体どんな感じなのだろう。ワクワクしつつ頬張れば、口に広がる酢味噌の旨さ。
しっかりとした味噌のコクに、豆みそならではのちょっとした渋味。それが酸味や甘味と絶妙に絡み合い、同じ酢味噌とは思えぬ味わいに。ですが濃すぎることはなく、小柱やうるいの繊細な味わいを引き立てます。
昨日の白みそ仕立ての鉄砲和えもいいけれど、この豆みそ仕立ても堪らん。長野と愛知を結ぶ木曽路、その地の利ならではの味の愉しみの余韻に浸っていると、続いて信州牛のステーキが。赤身の旨味と脂の甘味のバランスのよいお肉を、粗めのおろしポン酢でさっぱりといただきます。
昨夜に引き続き、食べる楽しみというものを味わわせてくれる贅沢な時間。その〆にと運ばれてきたのは、かきと舞茸の釜めし。
炊き立て熱々をよそってひと口頬張れば、舞茸の香ばしさやかきの旨味がふわっと鼻へと抜けてゆきます。それを上品な沢煮椀で迎えれば、もう言うことなし。すでに満腹ではありますが、そのおいしさにひと粒残さず最後まで平らげます。
最後はフルーツに裏ごしした栗の載せられたモンブラン風デザートまで味わい、大満腹で部屋へと戻ります。
またひとつ、いい宿を見つけてしまった。お湯との相性もさることながら、ご飯が本当においしい。しっかりと丁寧に作られていることが伝わる手作りのおいしさに、なんだか心の深い部分が温もってくる。
そんな夕餉の余韻に浸りつつ開ける、夜の供。1本目に選んだのは、池田町は大雪渓酒造の醸す大雪渓純米酒。初めて出逢ってからもうすぐ20年、信州に来るたびに逢いたくなる水のきれいさに満ちるお酒。
続いて開けるのは、木曽福島の七笑酒造、七笑純米酒。しっかりと日本酒の旨さを感じつつ、クセのない飲み飽きない味わいが印象的。
昨日の木曽路といい、この七笑といい、そして夕食のときに飲んだ2種の中乗りさんといい。以前飲んだ時は、ちょっとばかり木曽のお酒は苦手に感じた。あの印象は、一体何だったのだろうか。そう思えるほど、この旅では木曽のおいしいお酒に出逢えている。
僕の味覚が変わったのか、それともたまたまその時は好みに合わないものに会っただけなのか。とにもかくにも、これは木曽路を旅できたからこそ知ることのできた事実。木曽の酒は旨い。それを感じられただけでも、この旅に出た甲斐がある。
そしてもうひとつ、この旅で新たな発見が。これまで、水風呂が本当に苦手だった僕。それでも何度か冷鉱泉のある宿に泊まり、そこで独特の気持ちよさに感嘆してきました。
でも、これほどまでに源泉が冷たく、そして一晩のみならず幾度も冷鉱泉と向き合うのは今回が初めて。最初は雰囲気だけでもと思い宿泊を決めましたが、いざこの湯に対面してみると、入れば入るごとにその心地よさの虜になってゆく。
一昼夜勤務に就き、不規則かつ寝不足の生活を送る僕。でも一晩目には目の下のクマが消え、今日の日中には頭のモヤも晴れ、そしてついにこれまで蓄積された疲れがなかったかのような感覚に。
なんだろうか、この不思議な感覚は。お風呂と水風呂を往復すると、いわゆる整うという状態になってこんな風になるのだろうか。いや、きっと違う。このお湯だから冷たくても入りたくなるし、効能もあるのだろう。
同じ熱い温泉でも、どうしても入れないものがあれば不思議と入れてしまうものも。それならば、きっと冷鉱泉でも同じことが言えるはず。同じ冷たさでも、心地よいものとそうでないものがある。そしてきっと、この冷鉱泉が僕にピッタリと合ったのだろう。
これまでも、僕の体がてきめんに反応するお湯に出逢ったことがある。須川高原温泉は、思いっきり落として上げるタイプ。起き上がれなくなるので、連泊でなければ怖くて行けない。
高友旅館は、びしばしと濃さは感じるけれど湯疲れはしなかった。でも当時悩んでいた胃の症状が2泊で治まってしまった。そしてここ棧温泉は、日頃の疲れがすべてきれいさっぱりなかったことに。
温泉って、本当に不思議。そんなの、プラセボ効果じゃん。そう言われれば、そうかもしれない。でも実際にいろいろな温泉を旅する中で、うわっ!と思うときがある。そんなときは、心よりも先に体に変化が出はじめる。
久々に味わう、お湯と体が反応する感覚。僕の日常の先には、こんな温泉が湧いていたなんて。中央本線に誘われるかのように訪れた木曽路、そこで出逢えるいくつもの新たな経験。その悦びに、旅することの幸せを心の底から噛みしめるのでした。
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