13時過ぎに妻籠宿に到着し、その町並みの美しさに誘われついつい一気に歩いてしまった。気づけばもう13時45分。お店が閉まってしまう前にと、目に留まった渋い佇まいの『おもて』にお邪魔します。
馬籠から妻籠まで約8㎞。この春の陽気のなか、本当に歩いた歩いた。そのご褒美として喉へと流す、冷たい刺激。ただでさえ旨い瓶ビールを、この心地よい疲労感が昇華させてくれる。
至福の時間をより一層味わい深いものとしてくれるのが、この落ち着いた雰囲気の店内。飴色に染まる木の艶めき、春の陽射しを溢れんばかりに透す木の扉。穏やかに流れる時間に、休日の昼下がりの贅沢というものを噛みしめる。
眩い陽射しに目を細めビールをグイっと味わっていると、お待ちかねのすんきそばが到着。このすんきそばは、冬の木曽路の名物なのだそう。塩を使わずかぶを乳酸発酵させたすんきという漬物が、温かいおそばに載せられています。
注文した時に店員さんに「すんきそばご存知ですか?大丈夫ですか?」と確認されたため、どれほど酸っぱいのかと少しばかり身構えつつおつゆをひと口。うわぁ、これ、べらぼうにうめぇやつ!
すんきの特長である酸味は、想像していたものよりも柔らかさを感じさせるもの。その心地よい酸味がおつゆに溶け出し、絶妙な味のバランスに。酸っぱすぎず、それでいて歩いてきた体に沁み入る味わい。
そのおつゆとともにそばを手繰れば、ひと口、またひと口と後を引く。すんき自体には塩分がないため、おつゆとともに食べて丁度良い塩梅。漬物臭さも全くなく、程よい食感がまた愉しい。
大ぶりの舞茸の天ぷらは、ちょっと厚めの衣がおそばのお供にぴったり。まずは塩で味わいきのこの風味や肉汁を愉しみ、続いておつゆに浸してパクリ。すんきの自然な酸味と油のコクが合わさり、これまた絶品と言いたくなるおいしさに。
いやぁ、ちょっと感動レベルの旨さだった。峠を越えてきたご褒美をもらえ、大満足でお店を後にします。外へと出ると、すぐ目の前は妻籠宿の本陣。再び一気に江戸時代の空気感へと引き戻されるよう。
先ほどは京側から江戸方面へと歩いたので、今度は江戸側からの眺めを愉しむことに。南に向け、ゆったりと弧を描くゆるい下り坂。その街道沿いに軒の連なる姿に、今日何度目かの感嘆の声をもらしてしまう。
江戸時代が終わり、明治、昭和、平成と。そして令和となった今、こうして往時の旅路の情緒に触れることのできるありがたさ。渋い町並みと針葉樹茂る木曽の山並みは、きっと江戸時代の旅人も目にしたことだろう。
ゆるいながらも起伏があり、途中桝形も残される妻籠宿。京側から辿る下りと江戸側から歩く上りでは、全く違った面持ちに。
もし時間があるならば、ぜひ往復で味わうことをおすすめしたい。同じ道を引き返していても、そうとは思えぬ表情の違い。江戸から京へ、京から江戸へ。それぞれの旅人が辿った道のりに、今自分の眼に映る光景を重ねてみます。
寺下にある酒屋さんでお土産の中乗りさんを買い、重たくなったリュックを背負って再び宿場の北側へ。下町から先は恋野地区と呼ばれ、その入口の坂の上には高札場が復元されています。
多くの観光客が下町で引き返すのか、先ほどまでの宿場の賑わいから一変、静かな空気の漂う恋野の集落。人の暮らしの気配がより強く感じられる家並みの横には、鯉岩と呼ばれる江戸時代からの中山道の名所が。
その恋野のなかでも、ひときわ渋い佇まいをみせる旧熊谷家。この建物は、かつて二軒長屋として建てられたもの。その左右の部分が取り壊され、残された中央の部分を戸建てとして使用されていたものだそう。
中へと入ると、往時の暮らしを感じさせる空間が。この長屋は江戸時代後期に建てられ、その後二軒分の間取りを一軒分に造り変えてあるため、先ほどの下嵯峨屋よりも時代が近いといった印象を受けます。
畳の敷かれた部屋を吹き抜ける、心地よい春の風。開け放たれた障子からは木漏れ日が差し込み、その穏やかさにいつかはこんな暮らしをしてみたいと叶わぬ願いを抱いてしまう。
古のここでの暮らしに思いを馳せ、そろそろバス停へと向かうことに。旅の終わりの気配に若干の感傷を覚えつつ歩いていると、ぽつんと残された木の電信柱。なんとも郷愁を誘う光景に、ここが江戸で時が止まっているのではなく暮らし継がれている町だということを感じます。
いつかは訪れたいと願い続けてきた妻籠宿。馬籠から中山道を歩き、峠を越えて辿り着いたその場所は、想像を遥かに超える濃密さだった。
かつての交通を支え続けてきた中山道、その古道を護るようにして建ち並ぶ古き良き建物。その渋い町並みの先には、青く染まる木曽の山並み。
木曽路で過ごした2泊3日、ここでの体験は新鮮なものばかり。初めて訪れた木曽での豊かな感動は、この美しい眺めとともに深く深く胸へと刻まれるのでした。
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