天気予報通り、夜半から降りだした雨。遠くから聞こえる雨垂れの音は、不思議と深い眠りを誘うのか。ふっと目覚めれば、なんともすっきりした心もち。窓の外には、雨に濡れた鮮緑の瑞々しさが溢れています。
なんとも艶やかな緑に誘われ、まだ誰もいない露天風呂へ。脱衣所に竹笠が用意されているので、雨が降っていても大丈夫。ぽつぽつと頭を打つ雨のリズムを感じながら、しっとりゆったりと朝風呂を噛みしめます。
今日は少々早めに目覚めたため、のんびり朝風呂を愉しんでも朝食まではまだまだ。温もりの残る布団にごろ寝し、落ちるわけでもなく覚醒するわけでもなく。朝から甘美な怠惰に身を委ねていると、お腹も空いたところで朝食の時間に。
食卓に並ぶ、おいしそうなおかずたち。優しい味付けのきんぴらごぼう、しゃきしゃきとした青菜のおひたし。ふっくらと蒸された鮭と野菜は、ぽん酢でさっぱりと。卓上で温める熱々の豚汁は穏やかな中に豚の甘味が込められ、どれをとっても白いご飯の最高の友ばかり。
朝から手作りの優しい味に満たされ、ほっくりとした気分で食堂を後にします。玄関のある建物は古くからある本館なのでしょうか、経てきた時を感じさせる渋さが滲み出ています。
古き良き情緒に包まれた玄関を眺めていると、なにやら動く白い影。脇の窓に回ってみると、看板犬のモコちゃんが丁度朝ごはんを食べるところ。いぬ~♪わんこ~♪としばらくずっと見入ってしまいました。
雨のぱらつくなか、やることといえば部屋と露天の往復のみ。そんな連泊ならではの贅沢に揺蕩っていると、玄関近くでモコちゃんと遊ぶ茶色いわんこを発見。奥鬼怒四湯のひとつである手白澤温泉の看板犬、岳ちゃんがここまで遊びに来ていたようです。
お湯と瑞々しい緑のみならず、わんこ成分まで補給しもうすっかり骨抜きに。ゆるりとした時の流れに浮遊していると、あっという間にもうお昼どき。ヒマーリカフェ&ガイドへと向かい、ランチをいただきます。
昨日はうどんを食べたので、今日は霧降高原牛のカレーを注文。窓辺で緑の潤いを眺めつつ待つことしばし、ワンプレートスタイルで運ばれてきます。
見るからに濃厚そうなカレーを適量すくい、ご飯とともにひと口。その見た目通り凝縮感ある味わいで、しっかり感じる甘さと後から追いかけてくるスパイシーさが美味。柔らかいお肉もごろごろと入っており、口の中で解けると同時に牛の甘い香りが広がります。
深みのあるこく旨カレーに舌鼓を打ち、自室に戻って布団へごろり。ランプも点けず、部屋に流れ込む若もみじの青さに染まる。ただただ静かで、ただただ甘美。
うとうとと微睡み、気が向いたら緑に包まれる露天風呂へ。竹笠をかぶり、まろやかなお湯にじっくり浸かる。少々火照りを感じたら、縁に腰掛け滝を渡る風と雨粒に一服の涼を得る。仕上げは自室の窓辺で、きりりと冷えた瓶ビール。これだから、連泊はやめられない。
愉しい時間というものは、なぜこうもすばしっこいのだろう。何もせずゆったりだらりと過ごしていたつもりなのに、窓の外にはもう夕闇の気配が。今日の夕食は18時40分から。それまでの時間、暮れゆく露天と内湯の渋さに抱かれ静かに湯と向き合います。
すっかり日も暮れ、良き時間になったところで食事処へ。今夜もおいしそうな品々が並びます。まずは前菜から。山くらげと山菜、アスパラの和え物は食感と豊かな風味がうれしい一品。ポタージュはほんのり和を感じる穏やかな味わいで、サーモンとクリームチーズのタルトがまた地酒を誘います。
火の付けられた小さい陶製のポットは、湯波とよもぎ麩の小鍋仕立て。上品なだし味の餡と桜えびが合わされており、とろりと溶けたよもぎ麩の香りや湯波の豆感がとても旨い。
熱々の蒸し物は、しんじょうを米粉で包んだもちふわのお饅頭。だしのふんわり香る餡が掛けられ、合わされたわかめやきのこがまたいいアクセントに。そして今夜もじゅうじゅう焼いて味わう陶板焼き。添えられたからかんべ味噌のこく旨が、地酒をよりおいしくしてくれる。
そして今夜のメインは、豚と生湯波のすき焼き。薄口ながら絶妙な甘辛さの割り下で煮られた豚は、しっかりと味わえる肉感と白身の甘さが美味。下に隠れているわけぎがまた甘く、しゃきとろの味わいにおちょこが止まらない。
そして衝撃的だったのが、生湯波の旨さ。日光の湯波はしっかりとしており、割り下で煮ても決して負けない存在感。分厚い生湯波がしっかりと割り下を吸い、卵に付けて頬張ればとろりと広がる濃醇な豆の香り。もうこのおいしさは、すき焼きには生湯波を義務化したほうが良いと思えるほど。
いやぁ、旨かった。昨日の合鴨のしゃぶしゃぶに続き、今日の生湯波のすき焼きもすごかった。自分では作れぬ未知なる領域のおいしさに、大満足で部屋へと戻ります。
またひとつ、魅惑の湯宿に出逢ってしまったな。そんな八丁の湯での残された時間を愉しむべく、さくら市はせんきんの醸す霧降純米大吟醸無濾過原酒を開けることに。ひと口含んだ瞬間じゅわっと甘酸っぱさの広がる、濃厚な旨い酒。
お酒を味わい、お湯に呼ばれるようにして気が向いたら湯屋へ。じっくりと更けゆく夜には、歴史の滲む内湯が似合う。石の風合いが心地よい湯舟を満たす、滑らかなお湯。その肌触りと硫黄の香に、こころまで溶かされてしまう。
ゆったりと、しかし確実に更けゆく夜。そのお供にと、続いて日光市の渡邊佐平商店、鬼笑い純米酒生貯蔵を。すっきりとした飲み口で、辛さがありつつするりと飲めるおいしいお酒。
降っていた雨もすっかり止み、冷たい夜風を肌に感じつつ味わう露天の心地よさ。そこに響くのは滝の落ちる音と、とぽとぽと湯の掛け流される音のみ。
鬼怒川の源流に佇む一軒宿を包む、質量をもった分厚い夜闇。僕の日常では決して味わうことのできぬ夜に抱かれ、じっくりと温まる優しい湯。
これを贅沢と言わずして、何を贅沢というものか。湯上り肌に夜風を浴びつつ眺める、漆黒を揺らすランプの灯り。その温もりに、胸の奥まで染めあげられるのでした。
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