酸ヶ湯で迎える最後の朝。3泊もあると思ったのが嘘のように、あっという間に迎えてしまったこの瞬間。ぬくぬくとした布団に未練がないでもないが、せっかく早めに目覚めたのでもう起きてしまうことに。
それにしても、毎度のことながら酸ヶ湯の効能には圧倒される。ガスファンヒーターを点けてみると、室内の温度は7℃。そんななかひと晩寝ていたにもかかわらず、手足の先までぽかぽか暖かい。
本当に、その名の通り熱の湯だな。今回も、身をもって強く感じた湯の力。大地のもたらす恵みを浴びられるのも、あと半日か。そんな若干の切なさを振り払い、白く煙る荘厳な千人風呂へと向かいます。
誰もいない湯屋で、足元からぷくりぷくりと源泉の湧く湯船に肩まで沈む。そんな旅先でしか味わえぬ贅沢を噛みしめ、お腹も空いたところで朝食会場へ。きんぴらごぼうや鶏の甘酢あん、たらこや高菜とともに味わう白いご飯。酸ヶ湯の力で空っぽになったお腹を、そのおいしさが満たしてゆきます。
満腹を落ち着け熱の湯に揺蕩い、汗も引いたところで自室の整頓。名残惜しくも甘美な怠惰の舞台に別れを告げ、10時前に荷物をまとめチェックアウトの手続きを。
酸ヶ湯からの送迎バスは、8時台と12時台の2本。宿泊者はチェックアウト後もお風呂に入れるため、12時過ぎまで湯屋と御鷹々々サロンの往復でまったりとした余韻に浸ります。
3日前の昼前に到着し、そこから72時間以上もの長い時間のんびり過ごした酸ヶ湯。こんな滞在ができるのも、チェックイン前後の入浴と滞在を許してくれるという宿のご厚意があるからこそ。
やっぱり酸ヶ湯は、本当に酸ヶ湯だな。お湯の良さ、白銀に埋もれる雪景色。それらを一層深めてくれるのが、この宿のもつ魅力に違いない。よし、また来よう、絶対に。そう自らに宣言し、3泊を過ごした六号館の渋い姿を改めて眼にこころに灼きつけます。
ありがとう、必ずまた戻ってきます。そう固く固く胸へと誓い、乗り込む送迎バス。覚悟はしていたものの、やっぱりこの寂しさは耐え難い。好きな場所に長く居ればいるほど、情が深まってしまう。でも裏を返せば、その感情こそが再訪へと繋がる原動力となるに違いない。
埋もれるほどの銀世界からグラデーションのように移ろう車窓を愛でること1時間、バスは迎えの場所と同じくアウガ横のセブンイレブン前に到着。ここから慣れない雪道を8分ほどかけて歩き、『まるかいラーメン』でちょっと遅めの昼食を。
これまで青森の麺といえば、味噌カレー牛乳ラーメンか濃さが旨い津軽煮干し中華そばの2択だった。でも残念ながら、今日水曜日は大西も長尾も定休日。でもそういえば、そもそも王道の津軽ラーメンを食べたことがないではないか。そう思い立ち、駅に近いこちらのお店にお邪魔することに。
三角形が目印のアスパム、その目と鼻の先という分かりやすい好立地。メニューはシンプルで、醤油らーめんの中と大、そしておにぎりのみ。大盛にしても50円しか違わないので、いやしい僕は迷わず大を注文します。
8年ほど前に建て替えられたという、外観室内ともにまだ新しさを感じさせるお店。ですが実際は、もうすぐ創業70年を迎えるという老舗だそう。周囲に漂う良い香りにうずうずしつつ待つことしばし、お待ちかねの醬油ラーメンが運ばれてきます。
その刹那、一段と濃さを増す煮干しの香り。目の前の丼から立ちのぼる芳香に急かされつつスープを含めば、一瞬にして舌から腹へと広がる奥深くも素朴な旨味。
この地で食されてきた焼き干しや煮干しだしのそばから派生したという、津軽ラーメン。油をほとんど感じない潔さ、見た目通りしっかりと伝わるしょう油感。一見蕎麦だしのようにも思えるが、でもやっぱりラーメンなのだと主張するスープの深み。
なんだろう、このシンプルでありながら厚みのある味わいは。出逢ったことのない、朴訥としていながら奥行きを感じさせるスープ。その旨さに圧倒されつつ麺を啜れば、これまた圧巻の存在感。
色白のストレート麺は、かんすいを使用していない自家製のものだそう。見るからに太い麺に歯を入れれば、ぷりっとした歯触りの後に来るもっちもち感。噛めば噛むほど小麦を感じ、滋味深いスープとの魅惑の融合が口を満たしてゆく。
薄切りのチャーシューは、赤身を味わうといった昔ながらのもの。噛めばじんわりと豚の旨味が染みだし、薄いからこそのスープとの絡みや歯切れのよさが心地よい。たっぷりと乗せられた長ねぎの風味が変化をもたらし、懐かしい味わいのメンマもまた心憎い。
麺をもっちもっちと頬張ってはスープを啜り、チャーシューの味わいを噛みしめてはまた麺へ。そんな幸せに満ちたループも無限であるはずがなく、たっぷりボリュームのあった一杯も気づけば跡形もなく消えてしまった。
ちょっと青森さんよ、どうしてくれるんだ。ただでさえ味の札幌大西か長尾中華そばで激しく迷っていたというのに、ここにきて津軽ラーメンという選択肢を投下してくるとは。
いやぁ、参ったよこれは。これは新たなパンドラの箱を開けてしまったな。またひとつ増えてしまった嬉しい悩みの種を抱えつつ、食後の腹ごなしにと青い海公園をのんびり歩きます。
それにしても、この4日間で一体どれほど降ったんだよ。日本一、いや世界一の豪雪都市と呼ばれる青森。明らかに増した積雪が、その片鱗を覗かせる。
今年は本当に雪が多いらしく先ほどまでいた酸ヶ湯は昨日、観測史上最速で積雪2mを超したそう。市街地も一気に積もったようで、冷たい海に浮かぶ可動橋も雪をかぶり凍えているかのよう。
現役を退き、それでも今なおこうして青森の岸壁で歴史を刻み続ける八甲田丸。頬を撫でるしばれる空気、網膜を灼く雪の眩しさ。その清冽な世界すら青く染めてしまう冬空が、海峡の女王の表情をより一層深くする。
冬の張りつめた空気のなか、凛と立つ八甲田丸。巨大なファンネルには、誇らしく掲げられたJNR。明治時代に産声を上げ昭和末期に使命を終えるまで、本州と北の大地を結んだ青函連絡船。一体どれほどの船客が、それぞれの想いを抱いてこのマークを見上げてきたことだろう。
僕が初めて青函連絡船というものを意識したのは、この歌を聴いたのがきっかけだった気がする。物心ついたときから四十半ばになる現在まで、ずっと好きで堪らない津軽海峡・冬景色。それはこの歌から旅情というものが滲むからか、それともこの歌が旅情という概念を教えてくれたからなのか。
ブラウン管越しではあるが現役の姿を目の当たりにし、幼心にいつかはと憧れていた青函連絡船。その願いは叶うことなく、僕が小学校にあがる直前に消えてしまった。
上野発の夜行列車おりた時から、青森駅は雪の中。それから12年後、高校卒業を控えた僕はその歌詞のなかに身を置いていた。乗り継ぐのは連絡船ではなくはつかり号だったが、上野発の夜行列車もそのはつかり号も、もう今はない。
社会に飛び出す直前の、期待と不安の入り交じった若き日のあの気持ち。そんな想いを抱いて降り立った青森と、今なおこうして繋がっていられるとは。
傍から見れば、毎回同じ場所に行って同じようなことを考えてと呆れられるかもしれない。でも僕にとってここでこうして八甲田丸と対峙する時間、そして確認する作業が必要なんだ。
高校時代から本格的にひとり旅をするようになり、それ以来飽くることなく続けてきた大切な趣味。その深く分厚く積もった想い出のなかには、もう逢えないものがたくさん眠っている。だからこそそれらの温かくも切ない記憶に、ときおりこうして触れたくなる。
旅を長く重ねていると、どうしても避けることのできない別れがある。そのことを一番最初に教えてくれた、海峡の女王青函連絡船。凍える海に浮かぶ姿の気高さに、旅して実体験することの大切さを改めて噛みしめるのでした。
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