大阪の街と別れるのも名残惜しいのですが、もうそろそろ駅に向う時間。きたぐにの入線は23時頃なので、ホームでのんびり待つことにします
大阪は3度目ですが、泊まらなかったのは初めて。これだけおいしいものに囲まれると、やっぱり泊まってたくさん満喫したいというのが本音。次はやっぱり泊まりで来よう、そう思いながら、大阪駅へと入場。
案内表示には、もうきたぐに号が表示されています。もうほとんど見ることができなくなった、JR線の急行表示。旅先の大阪で見る、これまた次の目的地の新潟の文字。この旅の移動距離の長さを感じさせ、より一層旅情を掻き立てます。
ホームで待つことしばし、夜行急行電車きたぐに号が、三つ目をきらきら輝かせながらゆっくり入線。
僕は優等列車に乗るときは、やっぱり始発駅派。まだ乗客の乗っていない回送車両が、ゆっくりと厳かに入線する様は、いつ見てもワクワクするものです。
その全貌をあらわにした、世界初の座席・寝台兼用電車である、583系。元は581系という車両から始まったこのシリーズですが、今はそれも583系とまとめて言われています。
寝台空間の確保のため、限界まで最大限に広げられたボディーは、堂々たる風格を感じさせます。小さい頃テレビで見た、今は無きゆうづる号の発車シーンが思い出され、嬉しさと切なさと、複雑な思いが駆け巡ります。
583系独特のスタイルの方向幕。ちょっとずれているのはご愛嬌。日本にはもうほとんど現存しない、優等列車としての急行。赤く書かれた文字を、この眼に焼き付けます。
急行といえば、比較的最近まで僕のふるさと三鷹を通る急行アルプスが走っていました。早朝中央線各駅停車に乗ると、複々線で抜かれたことを思い出します。
そして何度も見た急行東海も特急に格上げの後廃止。僕の本格的なひとり旅として初めて行った北海道周遊の旅では、夜行急行の利尻で宗谷岬を目指し、サロベツで延々旭川まで帰ってきたものです。
こう考えると、僕らが急行列車を知る最後の世代になるのかもしれません。新幹線路線網や特急の高速化により手に入れたものも大きいでしょうが、失ったものは、もしかするとそれ以上かもしれません。
僕はこの、絶滅寸前の急行に乗ったという経験と、その感動を絶対に忘れない。その覚悟で車内へと足を踏み入れました。
この日はB寝台下段を押さえていましたが、まずは荷物を下ろして車内の探検。生で見る初めての583系車内に、もう嬉しさ爆発です。
この583系が誕生した頃は、乗客が溢れかえり捌けないほどの時代。列車を増発しようとすれば車両も増備しなければならず、車庫の逼迫が問題となっていました。
そこで昼は特急として走らせ、ラッシュ時の車庫の空いている時間に寝台をセットし、夜は寝台特急として走らせれば、車庫を占領することはないと考え出されたのが、この昼行夜行兼用電車。そのアイディアと、それを実現してしまった国鉄の技術には感動を覚えます。
せっかくなので、発車までの少しの間、自由席車両として使われている座席状態の583系を楽しんでみることにします。
現役当時は寝台と座席との併用はされていなかったようですが、このきたぐに号ではその特性を上手く活かして、寝台と自由席と、様々なニーズに応えています。
こう座っていると、これがまさかの3段寝台になるとはどうしても想像がつきません。だいぶ前に写真で寝台の組み立て方法を見ましたが、まさにパズル。
荷棚を通路側にパタリと反転し、窓上から天井に向けて出っ張っている部分を降ろします。それが中段寝台。あの出っ張りの中に上段寝台が隠れているので、荷棚を元に戻して上段寝台を乗せれば出来上がり。この仕組みを考えた人は、まさに天才です。
車内を見渡せば、バックパッカーや登山と思われるひとり旅、そして若いカップル。急行自由席は安く移動できるのがいいところ。寝台特急には無い、雑多な雰囲気が漂います。
皆、思い思いの場所で、夜を通して北を目指す。その空気感は、夜行列車、その言葉が一番似合う。そういえば、昔乗った利尻の自由席も満席で凄かったなぁ。消えかけていた夜行列車の思い出がよみがえります。
こちらはグリーン車。元々583系にはグリーン車はありませんでしたが、きたぐにとして使われる際に改造され生まれた車両。こちらにもちらほら乗客が。
元特急車両とはいえ、リクライニングのしない向かい合わせの座席である自由席で一晩過ごすのは、現代人にとっては大変なこと。そんな人の為にグリーン車も用意されているのです。グリーンなら、寝台よりは少し安く自分の居場所を確保できます。
色々選択肢を用意しているから、このきたぐには今でも現役で夜行列車として走り続けていられるのでしょう。衰退する夜行列車も、乗客のニーズを捉えてやる気を出せば、決して採算のとれないものでは無いはず。もう少しJRには頑張って頂きたいものです。
そしてこちらが今夜の宿となる、B寝台車。昔はB寝台はみな3段でした。僕はその頃の経験は無いので、これがはじめての3段寝台。写真で見た以上のダイナミックさに、圧倒されます。
先程ご紹介した座席状態からは想像付かない姿。カーテンがずらっと並び、床から天井まで埋め尽くしています。昔はこれが満席になるほどの需要があったのですね。今では2段寝台も敬遠されてしまう世の中。俄かに信じがたい事実です。
寝床となる下段寝台。下段は通常のB寝台と同じ料金で、中・上段はそれよりも1000円ちょっと安い価格設定。
その1000円の差はかなり大きい。中・上段は昔の寝台規格なので、寝台幅が異常に狭く、上下方向の空間もかなり狭いので、一度寝たら寝返りもままならないほど。昔よりみんな体格が良くなっているので、その窮屈さは相当なものでしょう。
その点、下段なら座席を展開しているだけあり、今のB寝台より幅は随分と広く、段差解消のマットも敷かれているので寝心地バッチリ。天地方向もギリギリ僕の座高なら座ることができ、それより高い人でも窓側にできた空間に頭をやれば座ることができます。
そしてなにより、この広い窓を独り占めできるのが一番のポイント。テーブルも付いているので、快適な個室空間を確保することができます。
翌朝は柏崎で下車の予定。終着駅ではないので、じっくり車両を眺めることができません。もう一度、今のうちに583系の勇姿を眼に焼き付けておくことにします。
登場後40年以上経ったとは思えないほどきれいに使われている車体は、ホームの照明を美しく照り返しています。くたびれた姿を晒している客車寝台よりもずっときれい。願わくば、ずっとこのまま、この先も夜を走り続けてもらいたいものです。
そして今となっては化石に近い、特急マークとヘッドマーク。国鉄の特急には、みなこのくちばしが付いていて、それが特急のステータスだと言わんばかりでした。僕も大好きな特急マーク。関東ではもう見ることができません。
最近の車両はLED化され、雑な荒い絵しか見ることのできなった、ヘッドマーク。ヘッドマークはやはり幕がいい。幕式のヘッドマークには、それぞれ列車の行き先や名前を連想される、それは緻密なデザインが描かれていたものでした。
あずさには梓川、かいじには湖面に映る富士、踊り子には伊豆の踊り子。このきたぐにには、これから走る北陸線をイメージさせる日本海側の地形と、佐渡おけさを踊る女性が描かれています。まさに、きたぐにを連想させ、旅情をかきたてるヘッドマークに心酔してしまいます。
急行きたぐに号は、新潟への長い道のりに向けて定刻に発車。深夜時間帯の新大阪、京都と停車していきます。
この583系、見た目は昔の国鉄型特急車両と一緒なので、電車独特のモーター音は覚悟していました。
ところがいざ走ってみると、その静かさに驚き。客車に負けず劣らず静かなのです。初の電車寝台として、国鉄は相当の防音処理を施したようです。この車両に掛ける国鉄の意気込みが、今でも伝わってくるような気がします。
ベッドも、客車の枕木方向とは違い、線路方向に並んでいるので、いつも特急に乗っている時と同じ方向に揺れるため違和感を感じません。総合して、寝台としての乗り心地は、客車以上。すっかり虜になってしまいました。
これだけ快適な車両なら、全国各地に向け、色々な方面で走ってもらいたいものです。きたぐにだけではもったいない。でも、現存する583系は残りわずかで、定期運用はこのきたぐにだけ。速さを求めるあまり、本当に痛ましいことをしたものです。
消え行く583系の、多分最初で最後になるであろうこの体験を、余すことなく心に刻み、更けゆく夜を過ごしたのでした。
コメント