白銀に染まる車窓を愛でつつ北陸新幹線に揺られること2時間ちょっと、この旅のスタート地点である糸魚川駅に到着。次の列車の乗り継ぎまで少し時間があるので、駅周辺を散策してみることに。
まずは南側のアルプス口へ。駅前広場へと出ると、重厚な赤レンガの構造物がお出迎え。これは北陸新幹線開通により惜しくも解体された、かつてレンガ車庫として親しまれた糸魚川の車庫の妻面をモニュメントとして再建したものだそう。
建物へ入ろうと赤レンガのアーチをくぐると、奥にはちいさなかわいらしいSLが。このくろひめ号は、近くにあった工場と糸魚川駅を結ぶ専用線を走っていたもの。1982年の引退まで現役で走り続けた、日本で最後の実用蒸気機関車なのだそう。
僕の1歳になるときまで、事業用の軽便鉄道とはいえ蒸機が現役だったとは。その事実に軽い衝撃を受けつつ、『ジオステーションジオパル』へと入ります。
糸魚川ジオパークに関する観光インフォメーションセンターのほか、キハ52待合室、ジオラマ鉄道模型ステーションと3つのエリアで構成される館内。中へと入ると早速トワイライトエクスプレスが鎮座し、早くも鉄ちゃん心がくすぐられてしまう。
この施設は、トワイライトエクスプレスとして活躍した車両で使用されていた本物の備品を用い、食堂車と展望A個室スイートの一部を原寸大で再現したもの。このときはちょっとした混雑とブーツを脱ぐのが面倒で中には入りませんでしたが、今思えば見ておけばよかった・・・。
憧れのトワイライトをスルーしてしまったのにはもうひとつ理由が。それは、目の前に佇む実車に目と心を奪われてしまったから。子供の頃に鉄道の本でその存在を知り、盛岡でははつかり号の車窓に映るその姿を見送り。でも最後まで乗ることの叶わなかった、キハ20系列。
ここ糸魚川と松本を結ぶ大糸線は、かつてこのキハ52が活躍していた路線。この車両も役目を終えるまで実際に大糸線を走っていたもので、現役さながらの威厳を漂わせゆかりの地で余生を過ごしています。
僕にとっても、大糸線といえばこの車両のイメージ。残念ながら乗車したことはありませんが、写真やテレビで見る光景にどれほど心惹かれたものか。深い谷を、小さな気動車がゆっくりと縫ってゆく。なんとも絵になる光景は、国鉄型に宿る無骨さがあってこそ。
車内へと足を踏み入れれば、今にも動き出しそうなほど充満する現役時代の残り香。このキハ52は、急勾配線区向けにエンジンを2台積んだ車両。姫川の刻んだ谷底を、急カーブと勾配の連続で越えてゆく。それはもう、心に響くような素晴らしいエンジン音を轟かせていたことだろう。
国鉄好きの僕としては、もうたまらない空間。現役当時に乗ることは叶わなかったけれど、初めて大糸線に乗る直前にこうして往時の情緒に触れることができるだけでもう充分。
待合室として今なお人々を乗せ続けているキハ52。車内で国鉄の残り香を胸いっぱいに吸い込み車両の反対側へと下車すると、そこには鉄道関連のグッズやプラレール、Nゲージのジオラマの並ぶ空間が。
壁に掲げられる、昔懐かしい方向幕。雷鳥、懐かしいなぁ。東京に住む僕にとって、手の届かない地の花形列車だった。特にスーパー雷鳥は、幼い僕の憧れだった。そして小さくも誇らしげに描かれた、エル特急のマーク。もう僕の心の琴線に触れまくり。
その隣には、昔懐かしいかがやき。ほくほく線開通によりはくたかに道を譲り、新幹線開業により速達列車として復活。かがやき、はくたか、あさま。かつて東京と信越を結んだ列車たちは、今なお北陸新幹線の列車名としてその使命を背負い続けています。
古くから北陸街道と千国街道、鉄道の開通後は北陸本線と大糸線の分岐点として栄えた糸魚川。新幹線開通後はローカル線の趣になってしまった旧北陸本線も、かつては日本海側の大動脈として幾多もの列車を通してきました。
はくたかで糸魚川を通り、加越に乗り換えて加賀温泉へと向かったあの日が懐かしい。今の自分の起点となる二十歳の旅の想い出に浸りつつ進んでゆくと、見事な渓谷と紅葉が再現された巨大なジオラマが。
初めての乗車となる、大糸線非電化区間。未知なる鉄路との対面を前にして、ここまで鉄心を掻き立てられるとは。日本屈指のローカル線ともいわれる旅路への期待を胸に、早くもこの旅程を組んでよかったと僕の中の鉄分が悦ぶのでした。
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