信濃大町から車窓を染める景色を愛でつつ走ること約40分、次の途中下車駅である穂高駅に到着。ホームへと降り立てば、視界に広がるこの眺望。今日一日、大糸線の車窓や大町の街から幾度も眺めてきた北アルプスの山並み。その表情の豊かさに、飽きもせずいくらでもため息が出てしまう。
鮮やかな白銀の輝きを胸いっぱいに吸い込み、横断場を渡り駅舎の外へ。10年前の初夏、ここから中房温泉へと向かったことが昨日の様に思い出される。そのときとは環境も心境も違うけれど、この山並みのうつくしさは変わらぬまま。
これまで何度かこの周辺を訪れることはありましたが、穗髙神社を訪れるのは今回が初めて。上高地に鎮座する奥宮も近くまで行きながら時間の都合でお参りを断念したこともあり、ようやく念願叶いこのときが。
歴史を感じさせる一之鳥居をくぐり境内へ。周囲は住宅地でありながら、ここ一帯だけは深い森。玉砂利を踏みしめつつ、その音だけが響く静かな境内を進みます。
まずは手を清めるために手水舎へ。文字のびっしり刻まれた手洗石は江戸時代に、それを守る手水舎は明治時代に造られたものだそう。その歴史深さもさることながら、すべてが石造りという重厚さに圧倒されるばかり。
その奥には、山里の神社にもかかわらず立派な木船が。ここ穗髙神社には海の神様が祀られており、それにちなんで昭和57年に奉納されたものだそう。
穂高神社では、500年以上前から式年遷宮が続けられているそう。20年に一度、三社のうちひとつの本殿を造り変える大遷宮のほか、その間に二度行われる小遷宮が執り行われています。ガラス張りで新しさを感じさせる神楽殿は、6年前の小遷宮に合わせて建て替えられたものだそう。
そしてこの白木の美しさが印象的な拝殿も、14年前の大遷宮に合わせて建て替えられたもの。先代の拝殿は127年間もの長きに渡り人々の祈りを受け止めてきたそうで、繊細な彫刻の施されたこの建物もこれから長い時間を掛けて歴史を刻んでゆくことでしょう。
拝殿の向かいには、見上げるほどの高さに聳える立派な杉が。その樹齢は500年以上、遷宮を続ける穗髙神社の歴史を絶えず見守り続けてきた存在。枝の形から葉の茂り方まで、なんとも独特の気迫に溢れています。
ようやく訪れることのできたお礼を伝え、お参りを終えて拝殿を後にします。そこにずらりと並ぶのは、魅惑の樽たち。清らかな水に満ちる安曇野で生まれるのは、いずれもきれいなお酒ばかり。
今宵の旨い酒の妄想を抱きつつ、なんとなく境内の脇の方へ。するとそこには、嶺宮遥拝所と書かれた道案内が。それに沿って進んでゆくと、岩の上に鎮座する石造りの小さな祠が。
このお社は、日本で三番目の高さである奥穂高岳の山頂脇に嶺宮として鎮座していたものだそう。本来登山家しかお参りできぬ神社であったことを考えると、なんとなく不思議な心持ちのまま手を合わせます。
旧嶺宮の背後には、澄んだ水を静かに湛える小さな池が。陽射しに煌めくうつくしい姿に、7年前に訪れた明神橋から望んだ明神岳の神々しい姿が甦る。
あの旅で受けた感動を鮮明に思い出し、この旅で出逢えた悦びと掛け合わせる。これまで旅した地が点から線へと繋がるような不思議な感覚を抱きつつ、静かな境内を歩きます。
明治時代に架けられたといううつくしい透かし彫りの施された石橋を渡った先には、再び塩の道にまつわる一画が。
ずらりと並ぶ塩の道道祖神は、かつての千国街道沿いに在りつつも取り残されてしまった道祖神を移設したものだそう。過疎化により往来まばらとなった旧街道筋を離れ、塩の道の宿場としても栄えた穂高の地で神社の参拝者を見守ります。
今回寄り添うようにしてなぞってきた塩の道との再びの邂逅、そして7年前の旅で得た感動を呼び覚ましさらに深いものとしてくれた神社との出逢い。念願叶い訪れた穗髙神社は、旅の悦び、そして旅路の深さを教えてくれるのでした。
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