旨い酒と郷土の味の余韻を残しつつ、お囃子に導かれて土手町へ。すでにそこには、津軽の夜を染めあげる灯りの洪水が。
毎年弘前のねぷたを楽しみにしていると話していたら、郷土料理しまやのお母さんが帰りがけに「良かったらこれ飲んでね!」とくれたニッカシードルのロゼ。そんなことされたら、余計に弘前が好きなってしまう。
そしてもうひとつ、足に感じる津軽の温もり。東京で履いている下駄がちびってしまったので、今年も『ゑびすや』さんで津軽塗の下駄を購入。「弘前に来てくれるだけでありがたい」と端数をおまけまでしてくれ、弘前の人の優しさが心に沁みる一日に。
ようやく今年、こうして弘前へと戻って来ることができて本当に良かった。3年ぶりに目にするねぷたの灯りに、やはり僕にはこのお祭りが必要なのだと改めて実感。
映像で見ていても、どうしても満たされなかったこの想い。眼前を流れる色彩の洪水、胸へと響く太鼓の音。その独特なリズムにのせ奏でられるお囃子と、生でしか味わえない感動があるからこそ毎年毎年逢いたくなる。
今年はねぷた300周年の記念の年。津軽の城下を照らしてきたこの火祭りを、津軽のお殿様もきっと悦んで見ていることでしょう。
武者絵や故事など勇壮な絵が特徴的な鏡絵に対し、妖艶な絵が描かれる見送り絵。美しさと妖しさの共存する独特な世界観に、思わず引き込まれてしまう。
幽玄の世界が描かれる見送り絵があったかと思えば、目の覚めるような鮮やかさに彩られたものまで、その個性は様々。
次から次へとやってくる、弘前の夜を燃やすねぷたの灯り。中には3階建ての建物に届くほどの組ねぷたもあり、見る者をその迫力で圧倒します。
細部まで緻密な美しさに彩られる、弘前のねぷた。采配を振るう津軽のお殿様の上には、ヘルメットをかぶったたか丸くんが隠れています。
躍動的な組ねぷたの裏側に描かれた、古のねぷたの様子。300年前から姿かたちを変えながら、こうして今なお人々に受け継がれているねぷた祭り。その一筋の流れに、こうして立ち会えるだけでも貴重なこと。
ただ勇壮なだけではない。ただ美しいだけではない。弘前のねぷたには、美しさのなかにも妖しさが宿っている。何でも都合の良いものだけを見ようとする今において、この独特な世界観が僕は好き。
夜闇を染める、艶やかな色彩。力強く描かれた虎を彩るグラデーションに、思わず目は釘付けに。
街中を鮮やかな色彩で埋め尽くす、ねぷたの行列。次は何が来るかと待ち構え、過ぎゆく様をじっと見送る。津軽の短い夏の到来を待ちわび、過ぎゆく夏を儚む。弘前の人々のそんな想いが、ねぷたの表裏には宿っているのだろう。
そしてついに来てしまった、本日終了を告げるねぷた。待ち焦がれていたこの二夜が、あっという間に終わってしまった。
ねぷたの終わりは、すなわち僕の夏の終わり。終わろうとする夏を惜しむべく、去りゆくねぷたの後を追う。毎度のことながら、この瞬間は切なすぎる。
唯一無二、かけがえのない時間だからこその、この喪失感。祭りのあと。その言葉を噛みしめつつ、静かにひとり飲む作田。その豊かな味わいは、今のこの寂しさを想い出へと変える助けをしてくれるよう。
3年ぶりに再会できた、弘前の夜を染めるねぷた。瞼に焼き付いた余韻を噛みしめ、弘前での最後の夜は更けてゆくのでした。
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